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七号車

 



「てめえみた、人一化け九、誰が触るってんだ、盲しいだろうが、臭いでわからあ」

「ニンイチバケキュウって何よ」

「人無し化け十のとこを一つ負けてやったんだ、有り難がたがりやがれ、カナダもんめが」

「カナダって何よ」

「同じ豚でも国産よりかずっと位が低いんだ、最下級のアメリカもんで十分なとこをひとつ勘弁してやって優遇したんだ、カナダの豚に心からあやまれ、こんなあたしがずうずうしくも、カナダの豚さま方の部へお邪魔させて頂き、誠に心苦しいです、こめんなさいとな、そりゃ向こうの豚にだってプライドってもんがあらあ、カンカンになって怒るぞ、奴等ケベック者だよ、東北弁でな、いいよ、そしたらオレがそう云ったっていえ、こう見えて津軽の出身だ、何とか収めてやる、それより先ずオレに三つ指ついてあやまるのが順だ、豚の中にさえコネなしで入れない、お負けされてのバケキュウが遠慮会釈、事前の打診、交渉一切なしでオレに貼り付きやがって、てめえ一途にオレを目がけてたんだろ、それなら歌謡スターのステージへ夢中でかけ上がって、歌い手の肌に触れた途端、うっとりと失神するのと同じ役目が筋だろ」

「歌謡スターってどこの誰よ」

「誰だっていいけどよ、この場合はだな、トム・ジョーンズだ、トムにへばり付きやがったくせに、何を云うに事欠いて、痴漢よおあたしのアソコに指を入れないでえ、とは何だ」

「ひらき直らないでよ、あたしだって細かい事グズグズ云ってるんじゃないわよ、透けすけの下着の上から遠慮がちに触りまくるくらいなら、とやかく云う女じゃないわ」

「オンナだとお、オレの顔でカナダ産に無理云って混ぜてやったのを、この恩知らずが」

「はぐらかさないでよ、ちょっといいですか、すみません、とか何とか声もかけないで、直接生指を入れてくるなんて、そんなの痴漢じゃない、私が濡らしているのをいいことに」

「何だと、おめえハナから濡れてやがったのか、豚まんはなあ、もとからしっとりしてるもんだ、わざわざ濡らすこたねえ」

「ヌレヌレうるさいわよ、自分だってカチンカチンにしてたくせに、お尻の割れ目にグリグリ押しつけて、あんまり長くて硬くて、あんなの急にびっくりするじゃない、それに凄くぶっといんだからもう馬鹿、礼儀知らず」

「何をっ、そんじゃおめえ触ったんじゃねえか」

「変なこと云わないでよ痴漢、あたしはアレがあんまり立派そうだから、一応大きさをちゃんと確かめておかなきゃ、と思って握っただけじゃない、触ってなんかいないわよ」

「てめえ、武士の命か魂かどっちかだった筈だがよ、その刀を無断で握りやがって、ぶってえ女だ」

「ぶっといのはあんたでしょ、ちょっとお、誰か、ニヤニヤしてないでケーサツ呼びなさいよ」


満員の銀座線七両目の乗客は二人の大層声高な掛け合いに皆耳をひとまわり大きくしたが、どちらの側にも助け船を出す者はない。楽しそうな噺をもう少し聴いていたいという意見が無言のうちにさっと纏まっていたのだ。顧客満足を第三に考える東京MTRの女性重役が乗り合わせており、すぐに電信で電車を急停車させたが、顧客からは会社に遅れる、学校に遅刻する、祖母の従妹が危篤なんです等、この場に無用の失言は一切なかった。勿論、世話物愛好家の彼女自身もこんな質の良さそうな狂言の成り行きを観ていたかったのだ。虎ノ門、溜池山王間である。運転士も車掌も七両目の観客に加わった。運転士の方は六両分の乗客を漕ぎ進むのに難儀したが、鼻の利く人々が大勢これに従ったので七両目はどうでも全員痴漢のやり手受けての押し寿司のようになった。
初老の紳士が電話を取り出し、嬉しそうに話し出す。

(あ、あたしだ、今日休む)(何のご冗談を、久し振りのGⅠ級判決公判じゃないですか)(そうだったかな)(はい、死刑単勝一・0倍の強盗、強姦、放火後放尿殺人です。長らく半端お裁きばかりでくさってらっしゃるところ、今日は晴れ舞台ですよ。東スポやテレビ岡山もやって来ます)(うーんそうか、でもいいや、行かない)(裁判長が居られなくて、判決をどう致します)(適当にやっつけといてくれ)(困ります)(じゃ、無罪でいいや)(そんな、乱暴ですよ)(うるさいなあ、あたしは今取り込み中なんだぞ)(もう少し何とかして下さい)(じゃ、本日裁判長に慶事あり、よって恩赦に処する、無罪放免、一同仲良く解散、そう云え)(誰が云うんです)(おまえでいいよ)(私事務員ですよ、自信ありません)(そうだな、こないだうちからの立ち会い検事ね、あいつ後輩なんだ、あたしの云う事は何でもきく、あれに代読させろ、じゃあな、忙しいからきるぞ)

紳士は寿し詰めの乗客に左右、正面と三度、済まなそうに口元をほころばせて頭を下げた。二人は電話の間、掛け合いを中断して待っていたが、裁判長の話も悪くなかったので観衆からクレームはなかった。

「あたしはね、あなたのが凄いから濡らしてたんじゃないわよ、のぼせないで」

「じゃ何だ、濡れ腺のパッキンが取れたか」

「ばーか、彼が来てたのよ、もう朝まで大変だったんだから」

「ドロボーに入られたんだな」

「彼が泊まりに来たって云ってるでしょ、何でドロボーよ」

「見栄張ってドロボーを彼って云ったんだろ、朝までだとお、ウソだ、ドロボー震えてあやまっただろ、うちを間違えました、ごめんなさいって云ったろ」

「何でよ」

「おまえの目を見て、まずい、手ごめにされると思ったんだ、かわいそうに」

観客が一様にうなずくような息をした。

「彼氏だって云ってるでしょっ」

「金属音を出しちゃいけない、朝は宿酔いの観覧者も大勢いらっしゃるんだ、見え透いた嘘に罪はないが、ひつっこいと皆さんを苛々させる。もういい、許してやる、自慰でもして個人的に治めろ」

「嘘じゃないってば、いいわよ詳しく説明するから、みんなもちゃんと聞かないと承知しないわよ。彼ね、急に会いたくなったみたい、夜中に突然入って来たの、ベランダから」

「あたりまえだ、ドロボーが予約するもんか大概いきなりやって来るもんだ、それでおまえを見たとたん引きつけを起こして倒れたのを幸いに、命乞いするドロボーをあざけり笑い、馬乗りになって想いを遂げたんだな、ドロボー絶命したろ、ひでえ話しだ、化け十強姦傷害致死及び死体弄び遺棄、安くねえぞう」

「あなた、あたしを豚って決めたでしょ、何で人間の罪がつくのよ」

「あっ、そうか、裁判官の先生、ここんとこどうしましょうか」

「まあそれは後日身体検査をしてから考えるとして、ここは皆さんの期待を優先させ、話しを先へやりましょう。さあ豚のお嬢さん、どうぞ」



「それがさ、彼入って来るなり、ちょっと気分が悪いからやっぱり帰るって云うじゃない、あたし許さなかったわ、だってそうでしょ、女一人の部屋へいきなりちん入して来たのよ、こっちだって覚悟ってゆうか、それなりの期待をするじゃない、七階のベランダからよ、よっぽど元気溌剌で本気出してたに違わないでしょ、彼を見たとたん驚いたけど、カッと体が熱くなったのよ、当たり前でしょ、女として。それが何よ、顔を見るなり帰るって、あたし決して怒りっぽい方じゃないけど逆上したわ、初対面の女性に失礼じゃない馬鹿にしないでよ、って怒鳴ってやったわ」

「やっぱ彼氏じゃねえじゃん、ウソつきケベッ子め」

「ウソじゃないわよ、ベランダから乗り込んで来た時の顔が間違いなく彼氏づらしてたもん、だからあたし、まいいかと思って認めてあげたのに、腹が立つったらないじゃない、逃げられちゃいけないって一心、彼を腕づくで素っ裸にしたのよ、そしたら後はもう他に仕方がないじゃない、イヤイヤするのを引っぱたいて、無理矢理跨がったのね」

「やっぱ馬乗りになったじゃねえか、虐待ケベ豚」

「ちょっと聞いてよ、彼ったら全然なのよ、まるっきり駄目、泣きべそかいて、許して下さい、次は何とかしますから今夜は帰して下さい年老いた母が心配してます、なんて動転した事云って、ますます縮ぢこまっちゃって、話しんなんないわけよ」

「もうその辺で解放してやれ、そこから盛り返す事はねえよ」

「いやよ、滅多にないチャンスなんだから、諦められっこないじゃない、全裸の男が目の前にいるっていうのに、もう絶対ものにしてやるって決めに決めたの。でもあたしだって府中の商業出てるんだから、計算に関しちゃ馬鹿じゃないのよ、脅し一方じゃいよいよ彼のモノ、縮むんじゃ足らなくて凹むかも知れないってくらい考えたわ。いやらしく甘えていろんな事してあげたり、男の人って凄いのね、って持ち上げたり、あたし淋しかったのお願い、って涙をみせたり、もう朝まで大変だったんだから」

「あ、それで朝までなんだ、何とかなったか」

「まるっきりよ、ピクリともしなかったの、あんちくしょう、だんだん青くなって、引きつけ起こしたんだからひどいじゃない」

「やっぱり引きつけをね、云ったとおりだ」

「あたしとっても冷たい心になったの、当然よね、七階までよじ登って来る男だもの、そりゃ希望に燃えたわよ、もうダメえ、堪忍してえ、これ以上あたし壊れるう、ってくらいは鉄板だと思ってヨダレ垂らしたって何かおかしいかしら、失礼にも程があるわよ、役立たず」

「やっと諦めて釈放したか」

「冷たい心だって云ったでしょ、真っ青で痙攣している裏切り者を見ているうちにわかったの、これは生ゴミだって。布団袋に押し込んで、怒りに任せてゴミ置き場まで引きずってったわよ。そしたらゴミ出し係のおじさん、あっ、粗大ゴミはここでは、と言いかけたとき、布団袋がガサガサ鳴って、うめき、いざったの、おじさん、ヒャッと云って後じさったところ、これ生ゴミよ、ってメラメラする目で睨んでやったら、はい、あとは私、完全消毒で処理しておきますから、行ってらっしゃいませえ、って上ずった頓狂な声をだしたわよ、その卑屈な顔にムカムカしたけど、おじさんを裸にするのは我慢して、欲求不満の濡れヌレが、ヒトの形をして田原町の駅に悪態つきながらもぐり込んで、間もなくあなたが隣になったのよ」

「ふうん、そうか、おまえも普通なら諦めるほかねえこれだけ酷え生まれつきだってのに、よく奮闘してんだな、ヒトの形ってとこが気になるが、いいよ、苦労に免じて認めてやろう」

「じゃ次はあなたの番よ、どうしてそんないいもの熱々にたぎらせてるのか説明しなさいよ、それでおあいこでしょ」

「おし、わかった、おめえ一人に苦労はかけねえ、恥はかかせねえ、オレも男だ」

「何を大げさに発表しなくたって、こんなバカでかいクリちゃんがあるもんですか」

「ははは、違げえねえや。まあ聞け、オレがご幼少の頃だが、クリスト宗の白人シスターが幾人もいる幼稚園の年少さんだったときだ、ある夕方誰も居ない礼拝堂を覗くとよ、磔クリストを見上げてな、前をはだけてしゃがみ込みんで、凄い勢いで右手を夢中で上下させている若い日本人シスターを見ちまったんだ、普段の小鳥のような声とまるで違う、盛り猫が啼くのを少し太くしたような怖い音にすすり泣きがまじるんだよ。オレ毛穴が総立ちになっちまって、逃げ出すときピカピカの床に転んだんだ、絶対に見つかったと思ったけど振り返らずに夢中でうちまで走ったよ」

「あなた何のはなしよ」

「今後の大事なはなしだ、よく聞け、翌日シスターは、おいでおいでをして、お目々をつむってあーんをしてごらんなさいって優しく云うんだ、ちょっと怖い指先と目つきでな。震える口にポイと入れられたやらかい塊はヌメッとして甘かった、こいつぁ食っちゃいけないもんだとすぐに分かったが、あんまり旨くてゆっくり舌に絡ませてからのみ込んだ。次の日もその又次の日も、シスターは半月ばかりそいつを毎日口に入れてくれたが、ある日突然幼稚園へ来なくなった。オレは彼女と小さな一瞬のご馳走にぞっこんだったから、残念で恋しくて仕方がなかった。後から知ったんだが、あれはオレんちでは決して口にしちゃいけねえって厳禁されていた、ヌーベルカモノハシ娘の胸脂だったんだ。わかったかよ」

「何をよ、それが痴漢とどう関係あんの。厳禁なんかしなくったって普通んちじゃそんな食べ物あるのも知らないわよ」

「うちのオヤジってのはちょっと変わってんだ。オレが何をやっても怒らなかった、保健と音楽と家庭科の先生をまとめてオレが先頭で廻したときも、職員室に火をつけたときも褒めてくれた。廻された先生たちも褒めてくれた。それがただ一つ、処女カモノハシの尻脂だけは許さなかった」

「あんた、何云ってんのよ、それに胸脂って云わなかった」

「どっちも凄いんだ、しかし、つまりだ、オレはあれ以来秘密であの脂身を従兄弟のタスマニアンで密猟野郎がいるんだがそいつを頼って食ってきたが、シスターのくれた強烈な臭いと旨みには一度として巡り合わなかったんだ」

「脂身なんか熱々の説明に関係ないでしょ、もう早く何とかしてよ」

「ところが大ありなんだ、オレは今朝一生一代のカンが冴えてたんだな、必ず乗る六輌目の六番扉を何だか知らねえが、すっとやり過ごして七輌目の二番扉から乗ったんだ、稲荷町だよ、でこの汗臭え肉詰め満杯車輌にやっと体を収めたとたんだ、いきなり何十年来のあのどうしょもねえひでえ臭いが甦えった、反応の早さったらなかった、あれっ、あっ、この脂身の、と思う間に寸分のあそびも残さずテカテカのピカピカに充血しちまった。取り返しのつかねえ不道徳な臭いはおまえだった。オレは突然の幸運に嬉しがり方をど忘れしちまったよ」

「それであたしに辛く当たるって何よ」

「あまりにいいことを急に突き付けられて声帯の筋肉が暴走したんだ、子供が大好きなおもちゃをもらうと脳の電気が喜び過ぎて叩き壊したりするだろ、可愛くて気になって仕方がわかんない女の子がそばにいると制御部のサーモが焼けちまって、どうにも庖丁振り回してその子をミンチにしたくなるだろ、あれだ」

「あなた馬鹿みたい、でもいいわよ好きにして」

「おい、買いかぶんなよ、オレは極上のひでえ臭いのことを云ってんだ、まあいいや、てめえだって嬉しくて自分で何しゃべってんだか分かんねんだろ」

「そんなのいいから早く何とかしましょう、もうあたし辛抱いっぱいよ、このままじゃあなた銃刀法違反、あたしわいせつ液漏泄罪よ、急がなくちゃ」



 重役は話しの頃合いを計って電車を溜池山王にすべり込ませていた。観衆は恥ずかしそうに腕を組んで降りてゆく二人を温かく見送った。目頭を熱くする年配の婦人もあり、皆一様にたまには満員電車も好いものだ、と寿司詰めの車内は和やかな気分に浸った。



 運転士と車掌は何か正しい事をしたような晴れがましい気持ちで運行本部へ運転見合わせ事案の報告書を提出したところ、すぐに短い返信が届いた。



〝当該日時に運転見合わせの記録はなく、銀座線に七輌目はない〟 

              

おわり  

 

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