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【推理小説】『黄色い菓子の謎』第2話

2.思い出せない思い出の味

手羽元と卵を煮ながら、あれは一体何だったのだろうと九子は考えていた。売り物ではなかったレモンケーキ。買えなかったレモンケーキ。秋の夕暮れ、アパートの窓の外ではカラスがカァーカァー鳴いている。
この日、夫は遠方の仕事で泊まりだったため、九子は自分一人の夕飯を用意していた。夕飯といっても、骨を抜いた手羽元のほぐし身と煮卵を食パンに挟んでラップで巻いただけという簡単なもの。おつゆは、マグカップで作った焼き麩入り即席味噌汁。一人分のご飯を炊く手間も皿を洗う手間も省き、ついでに明日の夕飯の支度も一緒に済ませてしまったという訳だ。
九子はこの日、集中してやりたいことがあった。
居間の座卓で、口をもぐもぐさせながらペンを動かしている。白い紙の上には細密なレモンの絵。
九子は、若い頃からずっと絵を描き続けてきた。いわゆる、売れない絵描きである。彼女に言わせると、<写実挿絵画家>というのが正式な肩書らしい。
唯一の取引先は近所の駄菓子製造会社で、現在はそこの看板商品である<ジュースの粉>を担当している。近々、新しい味としてレモネードを発売するということで、そのパッケージ用のレモンの絵を描いているという訳だ。
この駄菓子製造会社というのは、商品作りから小売店への納入まで老夫婦二人だけでやっている小さな小さな町工場で、跡を継ぐ人はいない。朝の散歩で顔見知りになった老婦人と仲良くなり、それがここの奥さんだったという縁で、仕事を発注してもらうようになった。おそらくこのレモネード味が最後の新商品になるだろうと言われ、九子はいつも以上に張り切っていたのだった。
ところが、どれだけ描いても気に入ったものができない。とうとうペンを放り出して、後ろに寝転がってしまった。この時、九子の脳裏に浮かんだのは、先程マーケットで見たレモンケーキの包装紙の絵。単純な線でありながら写実的、それでいて愛嬌があって少し不気味さも感じられる絵…。気を取り直してまたペンを握ったが、描いては丸め、描いては丸め、紙の玉だけが畳の上に広がってゆく。
一旦休憩。
九子は、台所で珈琲用のお湯を沸かしていた。一緒に甘い物も食べたかったが、買い置きがない。ここでまた思い出すのは、昼間のレモンケーキである。一体どんな味だったのか。あの時、買うことができていたら、九子にとって何十年振りのレモンケーキだった。昔はどこにでもあったお馴染みのお菓子。今では売っていることが珍しい。
九子の子どもの頃の記憶にある。祖父母の家の仏壇にお供えされていたレモンケーキ。町内会に連れて行かれた時に公民館で貰ったレモンケーキ。お中元の詰め合わせの中に入っていたレモンケーキ。包装紙は銀色だったり黄色だったり店によって様々だったが、形は全部原寸大のレモン型で共通していた。甘さの中にレモン汁の酸味が効いたカステラ生地。刻んだほろ苦い皮が入っている場合もあった。その表面を覆うのは、薄く黄色で着色されたレモンチョコレートの膜。
九子は、幼い頃に何度も食べたことを覚えている。しかし、その姿を店先で見掛けなくなって以降、次第に味の記憶も曖昧になっていった。思い出の味でありながら、どんな味だったかと訊かれてもはっきり答えることは難しい。九子自身、好物かどうかもよくわかっていなかった。
それではなぜ、彼女はマーケットでレモンケーキを手に取ったのか。
おそらくは郷愁である。その色と形に、幼い日々を思い出したのだ。
<プルースト効果>という言葉がある。とある香りがそれにまつわる記憶や感情を想起させるという現象である。
フランスの小説「失われた時を求めて」の中に登場する貝殻型のプチ・マドレーヌ。主人公が、紅茶に入り込んでいたそのかけらを口にした瞬間、子どもの頃に過ごした町の思い出が甦る。かつてその町で食べたプチ・マドレーヌも、同じように紅茶に浸されていたため、その混ざり合った香りが記憶を呼び覚ますきっかけとなったのだ。
小説を読んだことはなくても、それに由来する用語があることを九子は知っていた。懐かしい味と香りで子どもの頃の記憶が甦る。マーケットでレモンケーキを手に取った時、彼女は無意識にそれを期待していたのかもしれない。
気がつけば中年と呼ばれる年齢になり、子どもの頃のように無心で没頭できることもあまりなくなっていた。好きだったはずの絵を描くことさえ。もしもあの時レモンケーキを食べていたら、何か甦るものがあったのか。
そんなことを考えている間に、時計の針は午後八時を指していた。昼間は涼しかった網戸の風も少しひんやりして、静かな秋の夜である。
九子は珈琲を一口飲むと、Tシャツ姿に長袖を羽織り、財布片手に息抜きの散歩に出た。

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