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【推理小説】『黄色い菓子の謎』第4話

4.レモン型タイムカプセル

時刻は午後九時半を過ぎ、外はすっかり夜である。マーケットを出た九子は、寂れた商店街の細い通りを歩いていた。手には先程拾ったレモンケーキ。封は開けられ緩んでいたが、中身はそのまま入っていた。食べる訳にはいかないが、見るだけでもと、そっと包装紙を開けてみる。すると、中から出てきたのはレモンケーキではなく、硬く丸めてレモン型に整えた新聞紙の玉だった。
拍子抜けである。なんとなく、真っすぐ帰りたくなくなった九子は、回れ右して商店街を逆方向に抜け、駅前の通りに向かって歩き出した。彼女の住む田舎町で、この時間に開いている店といえば、駅前の喫茶チェーン店しかないのだ。
店に着くと、九子は一番奥の一人掛けの小さなテーブル席に座った。電灯の下で改めて新聞紙の玉を観察する。褪せた色味とざらざらした紙の質感からして、かなり古いもののようだ。
注文の番号札が呼ばれるのを待ちながら、新聞玉のほぐしにかかる。破かないように慎重に開いていくと、指先に紙とは違う感触が当たった。紙玉の中に何か潜んでいる。ゆっくり取り出すと、それは円筒形の写真のフィルムケースだった。中身も入っていた。
九子は、温かい紅茶を一口飲むと、フォークで四角いケーキの角を崩して口に入れた。バターのコクにレモンの酸味、表面のアイシングが口の中で薄氷のように砕ける。喫茶店のウィークエンドシトロンは、子どもの頃に食べたレモンケーキとは比べものにならないくらい上等だったが、だからこそ余計に美味しいとは言えないけれど懐かしいあの味が恋しく感じられた。
今、九子の目の前にあるのは、皺だらけの古新聞と写真のフィルム、そしてそれらを包んでいたレモンケーキの包装紙。夕方にマーケットで回収されたレモンケーキと夜にマーケットのゴミ袋から拾ったレモンケーキが同一のものだと仮定すると、買えても買えなくてもいずれにしても九子はこのいたずらに引っかかることになっていた。
しかし、それにしては手が込んでいる。新聞玉に仕込んだ未現像のフイルムをレモンケーキの包装紙できれいに包んでマーケットのお菓子売り場に放置する…。いたずらというよりも何かのメッセージのようだ。
九子は、若い頃に読んだ梶井基次郎の「檸檬」を思い出していた。丸善の売り場に放置された檸檬と、マーケットに放置された偽物のレモンケーキ。なんとなく状況は似ているが、後者の場合は純文学というより推理小説である。九子の探偵気分が高まっていく。
ケーキセットを食べ終えると、九子は丁寧に新聞の皺を延ばし、その日付を確認してみた。
<一九六四年、X月X日>
今から六十年程前。九子が生まれる十年以上も前にあたる。同時期のものなら、フィルムもその時代のものということになる。
そこに一体何が写っているのか。
そうこうしている内に、時計の針は午後十一時を指そうとしていた。そろそろ閉店の時間である。帰り支度をするためにテーブルに広げた新聞紙を折り畳んでいた時、九子の目に小さな記事が飛び込んできた。
見覚えのある商店街名。さっきまでいたあの商店街である。記事は、そこで起きた火事を伝えていた。
<X月X日午前八時頃、商店街の洋菓子店から出火し、木造二階建ての一階店舗部分が全焼した>
記事によると、発見が早かったこともあり近隣の店舗への延焼は免れたらしい。
約六十年前の商店街の火事の新聞記事が、同じ商店街で発見される。それも奇妙な形で。
記事の中で特に九子が引っかかったのは、洋菓子店が全焼したという部分だった。この新聞がレモンケーキの包装紙に包まれていたことと何か関連があるのかもしれない。
様々な考えを巡らせながら、もと来た道を戻って家路を急ぐ九子だったが、問題の商店街に差し掛かった時、思わぬ人物に出くわした。
街灯を背に浮かび上がる丸い頭の黒い影。それが急にこちらに手を振りながら、お嬢さん!と近づいて来るから、九子は全身の血が冷たく感じる程慄いた。悲鳴も出せないまま硬直していると、こちら側の街灯のスポットライトにぬっと見慣れた顔が浮かび上がってきた。
――今晩は!今日は夜遊びかい?お嬢さん!
たこ焼き屋のじいさんである。緊張の糸が切れて腰が抜けそうになっている九子を後目に、じいさんの深夜の独演会が始まった。
夜はどんどん更けて行く。

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