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ミモザをあなた(たち)へ

いつもジェンダー平等ってどういうことなんだろう。
と考えている。
今日はきっとたくさんの人がいつもよりちょっとだけ多く、考えてくれているかも知れない。

悪いけど、ポーズの人もいるだろう。
なんなら考えてない人ももちろんいるだろう。
今日初めて考えた人もいるだろう。

でもいいんです。
それも含めて多様性かなと思うので。
私はね。

ただ、考える人が増えると、その多様性、が思っているよりいっぱいあって
男女平等が全然ほど遠いって気付くきっかけになると思うので
多いに越したことはないですね。

ちょっと話が逸れました。

国際女性デー。
正直いうと毎年忘れますが、その毎SNSが教えてくれます。
別に普段からぼんやり考えている人間にはいつでもいいのかもしれません。

ただ誰か(例えば私)が発信した時、キャッチする人が増える日にはなるかもしれません。

この日が制定された由来とか話しても仕方ないので(気になったら調べましょう)、
さっそく自分が普段考えていることを
ぶちまけます。

男女平等の前に、フェミニズム、あるいはフェミニストの人々のことを考えます。

ずっとSNSに張り付いているタイプの私、最近は声を上げる人が増えたなあと思います。
増えると必然変な人も増えます。
非難する人もそうですが、発信する側にも増えます。

他の国がどうかは日本人なので知りませんが、女性の露出が過度に多いものを執拗に嫌がるイメージがあります。

これは性的対象となるということへの畏怖だったり怒りだったりだと予想は出来ますが、それでは「短いスカートを履いてるから痴漢に遭うんだ」とか言ってる人と発想が同じではないか、それは本来の意味で女性の権利を守っているんだろうか。と思います。

また近年良く見られるのはアニメやマンガ、イラストなどへの批判です。
意図もなく過度に露出的であったり、無駄に服がぴたっとしていたり、よくある表現です。
私もそういう表現はあまり好きではありませんが、創作というのは、現実で不可能なことを行う自由な場であるとも考えています。
ですから「嫌ならば見なければいい」「自分はその作品のターゲットではない」と割り切っています。
そうするべき、というのが理想ですが、「創作でそのような視点がある人は現実にもそのような嗜好なのでは」と考えるのも分かるので難しいところです。

逆に「現実では不可能だからせめて創作では…」という人もいるでしょう。
それをいわば部外者が考えても分かるはずがありません。
ですから、こと創作物に対しては、やはりある程度割り切るべきだと思います。

(しかし以前のアツギみたいな例は、ターゲットとの乖離が激しく、まあ責められるのだろうと思いますが…)

一方で、現実にいる露出の多い服装の人たちはどうでしょうか。
好きでやっている人もいます。
本当はそういう格好をしたい人もいます。
それを否定するのはやっぱり「痴漢される方が悪い理論」だと思います。
「好きな服を着ていても何も問題がない」状態こそ権利が守られている、と思うわけです。

やっとここで男女平等の話になりますが、今現状の平等というか女性の社会進出というのは、女性が男性的なポーズをすることで保たれている社会ですよね。
女性の上司がいる人は思い浮かべてみてください。
これは極端な例ですが、家庭を顧みず(あるいは独身で)、仕事をバリバリやって、パンツスーツに身を包み、体調が悪くとも働く。
その上「女性らしい気配りがある」ことを求められる。
今までの男性的な働き方をしながら、プラスアルファで女性の目線を求められている、なかなかエグいなと思います。

結局いつまでも女性の管理職が増えていかないので、いつまでも新しい女性の管理職に「女性らしい目線」を求められていくループです。

今は女性を主体に考えましたがそもそも現状の働き方そもそもが「男らしさ」を求めていて、男だってみんなちがう生き物なので困っている人もいるのだろうと思います。
その人らしく働いていても、きちんと評価されるのが平等だろうに、と思います。

男性が女性社会な職業で、苦しい思いをするというのも聞きますし、どっちもどっちなんですよね。
ただ社会の大半は男性主体の職が多いからずっとそういう流れで来てしまっているんだなあと、自分がいる場所ではそう感じます。

女性はその代わりに色んな待遇が厚いからいいだろうというのは良く言われますが、これはむしろ「せめてもの救い」を求めた結果なのかもしれないです。

そして、ぶっちゃけ身も蓋もないことを言えば、レディースデーや女性へのサービスが多いのは、そう言ったキャンペーンを打った時にそれに魅力を感じてくれるターゲットがおおむね女性だからです。
個人的には経営戦略でしかないと思います。

なんだかぐだぐだと言いましたが、
男女平等やら多様性やらを語っているのに
結局平等を目指した時に
この世はどんどん無個性を目指しているように見えてならないと思ったんです。

あるいは逆張り的に
男性が稼いで高級車を買うのを目標にしていたり、女性がお嫁さんを夢見たりすることを、
古いとかって否定するようなきらいもあります。

そういうことじゃなくない?平等って
女性の(あるいは男性の)権利ってそういうことではなくない?

何か起こす時反対意見がないのも困りものですが、粗探しのようなことになって
互いに首を絞め合っている感じになって
とりあえず現状維持
みたいなところがあるよな、と思います。

もちろん日々色んなことが進歩して、進化して、
悪い方向に変化していることはないと思います。
しかし
とてもゆっくりでじれったく
とても後ろ向きな理由での変化には見えます。

変化してもデメリットはないから、あるいは今のままではデメリットが多いから変えよう。
じゃなくて、メリットがたくさんあるから変わろう、逆に変わらないことにも理由があるかも。
みたいな。

楽しくて思いやりがある変化と存続が、あればいいなと思います。

志邑でした。


註※今回は対比として男性女性をベースに話しました。どちらにも当てはまらない人たちの権利や考えを無視しているわけではありません。
また、ここで私がいう男女には身体的・精神的どちらも含みます。
筆者は、自分が女性だと感じる・あるいは含まれていると思う全ての人と、女性の権利や尊厳を考える人のための日との考えです。

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