デラシネの演劇

 「デラシネ」って言葉知ってますか?日本語に訳すと「根無し草」って意味です。別の言い方をすると「放浪者」って感じですね。『風の演劇 評伝別役実』という本では、別役実さんを「デラシネの劇作家」と捉えて、その人生に大胆に切り込んでいきます。とてもいい本です。先日、この本が何やらの評論賞をとった記念の受賞シンポジウム「別役実の世界」にいってきました。登壇者は、本の著者内田洋一さん、劇作家の岩松了さん、早稲田大学教授の岡室美奈子先生でした。1時間とちょっとの時間でしたが、とても刺激的な時間を過ごしました。その話を聞きながら、僕の好きな劇作家ってみんなある意味で「デラシネ」なんじゃないかなってふと思いました。

 僕の本棚には600冊程度しか本はありませんが、それを眺めながら、改めて今日そのことを考えていました。まずは、別役実。言わずとも知れた日本のレジェンド劇作家。僕の構成要素の約70%が別役実であるという噂もあるくらい、大好きな作家です。先程も紹介しましたが、彼こそまさに「デラシネの劇作家」です。満州に生まれ、終戦後引き揚げ、各地を転々としながらどこにも馴染めないまま生活してきました。その深い孤独感は、戯曲の中から読み取ることができます。家財道具一式をリアカーに乗せてどこまでも当てもない旅を続ける一家を描いた『移動』、「街」に馴染めないしがない秘密探偵X氏と、彼の周りで起こる「そよそよ族」の悲哀を描いた『そよそよ族の叛乱』、最近の作品でも『風のセールスマン』などにそのモチーフは見て取れます。

 次に僕の好きな作家はサミュエル・ベケットら不条理劇の作家。ベケット、イヨネスコ、アダモフ、ジュネ、ピンターらですね。ベケットはアイルランド、イヨネスコはルーマニア、アダモフはコーカサス地方出身です。みんな「パリ」という一つの街で活躍しますが、「放浪者」ではありますよね。ジュネは少し違いますが、彼も「異端児」であったのである種のデラシネなのかもしれません。ピンターをデラシネというのはちょっと無理があるかなあと思っていますが、彼がユダヤ人であること、劇作家になる前、俳優としてイギリスやアイルランドを旅回りしていたことを考えるとあながち、ほかの作家たちと似ているかもしれません。

 次にテネシー・ウィリアムズ。透き通るような叙情性と、魂を抉る情熱とを兼ね備えたアメリカの劇作家です。「自画像の作家」と僕は呼んでいるのですが、自伝的要素の強い作品を多く残しています。その自伝性がある種の普遍性を持って我々に迫ってくるのがこの作家の一番の魅力ではないかと思います。彼はアメリカ南部の生まれですが、両親の仕事の都合で引越したり、作家になってからも居を転々としたりしています。また、彼はゲイであり、そのことで強い疎外感を感じていました。なんとなく「デラシネ」って感じがしますね。

 お次はアルベール・カミュ。アルジェリアの作家ですね。アルジェの街で貧しい少年時代を過ごし、大人になってパリに出ます。そこでサルトルらと知り合うのですが、彼は資本主義と社会主義の思想合戦が繰り広げられる中で本当の「人間」とは何かを考え続けました。そしてその間で板挟みとなり、多くの挫折を経験します。また、アルジェリアがフランスからの独立を求めた運動が活発化し、武力闘争にまで発展した時、彼は祖国と正義との間で揺れ、苦しい立場をしいられました。彼は自分とは何か、どこからきて、どこへ向かうべきなのかを問い直すため自伝的小説『最初の人間』を執筆している途中で、不慮の交通事故に遭い亡くなってしまいました。

 最後はウィリアム・シェイクスピア。彼ももしかしたらデラシネかもしれません。彼はイギリスのストラトフォード=エイボンという街で生まれました。彼の父親は地元の名士でしたが、彼が10代の頃、没落したらしいです。その後、その街で結婚するのですが、結婚生活に耐えられず、ロンドンに出てきて俳優を目指します。その中で、劇作家としての地位を確立させていきました。定住の地を見つけたのかもしれませんが、なんとなく通づるものがありますね。

 僕がこのような作家に惹かれる理由は、きっと彼らが「生活者」だったからだと思います。放浪し、常に社会の異物であった彼らだからこそ見えてきた「生活」という状況が彼らの作品を魅力的にしているのだと思います。やや雑な考えですが、彼らの作品の中にある、妥協のない本当の人間=生活者の視点が僕は好きなのかもしれません。

 ただ、なんとなくそこからもボケーっとそのことを考えていたのですが、そこで一つの発見がありました。「演劇とはデラシネのもの」なのではないか?演劇とは常にどこか「異邦人」たちのものであるという気がしてきたのです。歌舞伎や能など、日本の伝統演劇の流れをたどると、村から村へと旅して祝祭芸能をあげていく旅芸人にぶつかります。古代ギリシアの演劇の神、ディオニュソスは元々は別の地方(ペルシアらへん)の神様でだいぶ新しくなってから、ギリシアで信仰の対象とされたのです。だから異邦の神という一面もあります。また、初めてのギリシア悲劇のコンペティションの優勝者はテスピスという人物なのですが、彼は馬車に乗った姿でよく描かれます。なんとなく何処かからやってきた感じがします。

 ここにあげているのは一例にすぎませんが、デラシネと演劇というのは並々ならぬ関係があるのではないか?という気がしてきました。これはもっと調査してみる必要がありそうです。



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