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『実習サンスクリット文法』演習問題7 解答案前半

はじめに

吹田隆道『実習サンスクリット文法』(以下『実習』)は、サンスクリット文法書の名著である、荻原雲来『実習梵語学』の新訂版として2015年に出版され、最近では日本の大学などでサンスクリット文法の教科書として用いられています。

『実習』は、前書きにもあるように、リファレンス文法とトレーニング文法の両方の性質を持つ、おおむね優れた文法書だと思いますが、問題があります。

練習題の解答がない

これです。古典文法あるあるですね。自学用でなくて教室での利用が前提とされている、といえばまあそうなんですが。

あってもいいじゃない。もっと先に早く進みたいとか、大学とか東方研究所とかは遠かったり、時間が取れない方もいらっしゃるでしょうから。

というわけで作ってみます。第一回である今回は、演習問題7の前半をやってみます。
なぜ7からか? まあ、いいじゃないですか。

いろいろ書きたいところですが、とりあえず分析と解答案(あくまで案です)、多少の解説だけ書くようにします。訳語は基本的に『実習』の語彙集に準じますが、時折そうでない訳語を使います。

分析部の凡例

名称詞の場合
(問題文での形): (語幹)、(性)、(数), (格)。「(訳語(格情報含む))」

śabdam: śabda-, m, Sg, Acc.「言葉を」

動詞の場合
(問題文での形): (語根), (類), (態), (法・時制), (人称), (数). 「(訳語)」

vadati: √vad, I, P. Ind.Pres, 3rd, Sg. 「彼は話す」。

略号

名称詞(subanta)にかんするもの
m: 男性; f: 女性; n: 中性.
Sg: 単数; Du: 両数; Pl: 複数.
Nom: 主格; Acc: 対格; Ins: 具格; Dat: 為格; Abl: 奪格; Gen: 属格; Loc: 処格; Voc: 呼格.

動詞(tiṅanta)にかんするもの
類 ローマ数字で記述。
態 P: 能動態(parasmaipada); Ā: 反射態(ātmanepada); Pass: 受動態。
法・時制 Ind.Pres: 直説法現在; Pres.Impf: 直説法過去; Opt: 願望法; Inp: 命令法; Aor: アオリスト; Pred: 祈願法; Perf: 完了; ; Fut: 未来。
人称 1st: 一人称; 2nd: 二人称; 3rd: 三人称。
数 名称詞と同じ。

その他
ind: 不変化辞。

※今は代表的なものを凡例化しただけですので、更新の可能性があります。

問題7-1

7-1. na hi jalaukasāmaṅge jalaukā lagati.

分析

na: ind.「ない」。
hi : ind.「というのも/実に」。
jalaukasām: jalaukas, f, Pl, Gen. 「蛭たち/どもの」。
aṅge: aṅga, n, Sg, Loc. 「四肢/体に」。
jalaukā: jalaukā, f, Sg, Nom. 「蛭が」。
lagati: √lag, I類, P, ind.Pres, 3rd, Sg. 「付着する」。

解答案

「というのも、蛭どもの体/足に、蛭が付着することはないからである」。

解説

"hi" は文の中で二番目の位置に来て(ヴァッカーナーゲルの法則というらしい)、理由を表します。

問題7-2

7-2. yo yad vapati bījaṃ hi labhate so 'pi tat phalam.

分析

yo: yad, m, Sg, Nom. 「ある者」(関係代名詞でsoに呼応)。
yad: yad, n, Sg, Acc. 「ある」(関係代名詞でtatphalaのtatに呼応)。
vapati: √vap, I, P, Ind.Pres, Sg, 3rd. 「(彼が)蒔く」。
bījaṃ: bīja-, n, Sg, Acc. 「種を」。
hi: ind 「というのも」。
labhate: √labh, I, Ā, Ind.Pres, Sg, 3rd. 「(彼が)得る」。
so: tad, m, Sg, Nom. 「その者は」。
'pi: api, ind. 「~もまた」。
tatphalam: tad + phala-, n, Sg, Acc. 「その果実を」。

解答案

「というのも、ある種をまく者、その者はその[種の]果実(結果)を得ることにもなるからだ」。

解説

関係代名詞と、それを受ける相関詞が2セットある文です。セクションの課題である動詞も二つありますが、どちらもI類動詞の能動、三人称単数現在です。
ちなみに、この文言は「カター・サリット・サーガラ(kathā-sarit-sāgara)」という説話集のなかの一節です。問題になっているのは韻文の後半ですが、前半を合わせるとよりよく意味が解ります。

evaṃ kukarma sarvasya phalaty ātmani sarvadā /
yo yad vapati bījaṃ hi labhate so 'pi tatphalam // SoKss_3,3.148 //
「このように、あらゆることにかんして、どんなときでも、悪業(悪い行為/の結果)は自分自身に跳ね返ってくるものだ。というのも、ある人が種をまいたなら、その同じ人が、その同じ果実を得ることにもなるからだ。」(ちょっと意訳かな?)

「このように」というのは、インドラ神が人妻に手を出して呪われたりしていることを指していると思われます(多分)。

問題7-3

7-3. daivameva paraṃ manye pauruṣaṃ tu nirarthakam. 

分析

daivam: daiva-, n, Sg, Acc. 「天命,神的な」。
eva: eva, ind 「だけ」。
paraṃ: para-, adj, n, Sg, Acc「最高,最上」。
manye: √man, IV, Ā, Ind.Pres, 1st, Sg. 「私は(AをBだと)考える」。
pauruṣaṃ: pauruṣa-, n, Sg, Acc. 「人為/勇気を」。
tu: tu, ind.「しかし,一方(逆接)」。
nirarthakam: nirarthaka-, adj, n, Sg, Acc. 「意味のない,無意味な,無意義な etc.」。

解答例

「私は、天命だけを最上と考え、一方人為/勇気を無意味だと考える」。

解説

動詞√man「考える」はAcc. 二つをとって、「Acc. をAcc. だと考える/みなす」を表すことがあります(cf. P,1.4.51: akathitaṃ ca)。
√manはIV類動詞として語幹をmanya-という形に作りますので、三人称単数をman-ya-teと作ります。また、この動詞は能動の意味でも普通、反射態を使います。今回は一人称なので、man-ya-eですが、このときyaのaは消失します(p.69, A 第一種活用、③を参照)。というわけでmanyeという形ができます。
"eva" は直前のものを限定し、それ以外を排除します。つまり、仮に後半部がなかったとしても、「私」が最上だと考えるのは、「天命(daiva)」だけであってそれ以外ではない、ということを意図していると考えてよいでしょう。
"tu"  は(先ほどの "hi" と同じく)文の二番目にきて、逆接を表します。というわけで、 "pauruṣaṃ" の前で文が切れている、と考えられます(ただし、この文は詩なので、それが当てはまらない可能性もあります)。
daiva-, pauruṣa- はどちらも,deva-「神」、puruṣa- 「人」から派生された単語です。どちらも最初の母音をvṛddhi化して、最後の母音をaにして形容詞を作っています。したがって直訳的には、daiva- は「神的な」、pauruṣa- は「人的な」というような意味ですが、ここではdaiva- は「天命」、pauruṣa- は「人為/勇気」と訳しています。神的なもの、人的なもの、ということです。

ちなみに、この文言はラーマーヤナに見られます(1.57.21)。

問題7-4

7-4. na hi nimbātsravetkṣaudram.

分析

na: na, ind. 「ない」。
hi:  hi , ind. 「というのも」。
nimbāt: nimba-, m, Sg, Abl. 「ニンバ樹から」。
sravet: √sru, I, P, Opt, 3rd, Sg. 「流れる」。
kṣaudram: kṣaudra-, n, Sg, Nom. 「蜜が」。

解答案

「というのも、ニンバ樹から蜜が流れることはありえないからである」。

解説

7-1と同様、"na hi"  から始まる文です。同じように、「というのも~ないからである」という理由の文として解釈しました。
動詞は√sruの願望法です。願望法はいろいろな意味をもちます(『実習』p. 69, l.3)が、ここでは可能の意味でとりました。否定辞naがありますから全体としては不可能の意味になります。

この文言も、ラーマーヤナ(schlegel edition, 2.35.15)に一応見られます。

問題7-5

antakāle hi bhūtāni muhyantīti purāśrutiḥ. 

分析

antakāle: antakāla-, m, Sg, Loc. 「最後(anta)の時(kāla)=死ぬとき,臨終のとき」。
hi: hi, ind. 「実際」。
bhūtāni: bhūta, n, Pl, Nom. 「生き物/衆生たちは」。
muhyanti: √muh, IV, P, Ind.pres, 3rd, Sg. 「迷う」。
iti: iti, ind. 「という」。
purāśrutiḥ: purāśruti, f, Sg, Nom. 「古(purā)伝説(śruti)」。

解答

「実際、臨終のときに衆生たちは迷うという古伝説がある」。

解説

動詞は√muh。第四類の動詞で、現在語幹をmuhya-につくります。今回は三人称複数なのでmuhyantiとなります。
今回の "hi" は理由の意味「というのも」ととっても良いのですが、文脈的に考えてやめておきました。単なる文法の訓練としてはどっちでもよいでしょう。
"bhūta" は「衆生」としておきました。ちょっと仏教的すぎるのですが、「生き物」とか「動物」じゃあんまりだし、「人々」だと狭すぎるだろうし…と考えてやむなく。

最後、 "asti" 「~がある」と動詞を補って訳出しています。

ちなみに,この文はラーマーヤナ2.98.51abに見られます.ラーマーヤナ多いですね.ラーマの父王ダシャラタがラーマを追放したことに関して,「いや,基本良い人だったんだけど,死ぬ前におかしくなることってあるやん」みたいな感じで述べている感じかな? ちゃんと確認はしてませんが.

問題7-6

yadeva rocate yasmai bhavet tattasya sundaram. 

分析

yad: yad, n, Nom, Sg. 関係代名詞。
eva: eva, ind. 「だけ」。
rocate: √ruc, I, P, Ind.pres, 3rd, Sg. 「Dat. はNom. を好む」。
yasmai: yad, m, Nom, Dat. 関係代名詞。
bhavet: √bhū, I, P, Opt, 3rd, Sg. 「である」。
tat: tad, n, Nom, Sg. 「そのもの」指示代名詞(yadと呼応)。
tasya: tad, m, Gen, Sg. 「その者にとって」指示代名詞(yasmaiと呼応)。
sundaram: sundara, adj, n, Nom, Sg. 「美しい」。

解答

直訳「ある者が好むもの、彼にとってはそれだけが美しい」。
超訳「ものの美しさって、好みによって決まるんよ」。

解説

関係代名詞とそれと呼応する指示代名詞のセットが二つずつある文です。全体としては前半(yasmaiまで)の従属文と後半(bhavet以降)の主文に分かれます。

"rocate" は「輝く」などの意味が辞書の最初に出てきますが、「Nom. がDat. の気に入る」つまり「Dat. はNom. を好む」という意味にもなります。ドイツ語のgefallenと類似していますが、言語学的な関係は知りません。

"bhavet" は√bhū「ある/いる/である」の願望法です。願望法ですが、文脈的には願望と可能の意味はないかな、と思われるので、単に語気を和らげる願望法(辻文法、p.297)だと解釈しました。現代的には「~なんよ」とかでしょうか。違うでしょうね。

"tasya" は指示代名詞tadの属格形ですが、属格は「~にとって」という意味を表すことがあります。

なお、この文は『ヒトーパデーシャ』の詩節の一部です(GRETILでは2.53)。本文と、金倉・北川による訳を引用しておきます。

kim apy asti svabhāvena sundaraṃ vāpy asundaram / 
yad eva rocate yasmai bhavet tat tasya sundaram // Hit_2.53 //
本来美なるものはなく、
本来醜なるものもなし。
人それぞれの好みもて、
美醜はまるものなれば。

Hitopadeśa2.53および金倉・北川訳(1968)


問題7-7

hanūmānabdhimataradduṣkaraṃ kiṃ mahātmanām. 

(わかりづらいので分節)
hanūmān abdhim atarad duṣkaraṃ kiṃ mahātmanām. 

分析

hanūmān: hanūmat, m, Nom, Sg. 「ハヌーマト(ハヌマーン)は」。
abdhim: abdhi, m, Acc, Sg. 「海を」。
atarad: √tṝ, I, P, Pres.Impf, Sg, 3rd. 「渡った」。
duṣkaraṃ: duṣkara, n, Nom, Sg. 「困難が」。
kiṃ: kim, n, Nom, Sg. 「どのような」。
mahātmanām: mahātman, n, Gen, Pl. 「偉大な魂を持つ者たちにとって」。

解答案

「ハヌマーンは海を渡った。偉大な魂を持つ者たちにとっていかなる困難があろうか」。

解説

解答案にあまり自信はないです!二文として解釈してみました。
なお、13世紀のジャヤラージャという人の詩論書『チャンドラ・アーローカ』にこの文が見つかりますが、これが初出かどうかはわかりませんでした。詩論書というジャンルの性質上、たぶんオリジナルは別にあるんじゃないでしょうか。知らんけど。

"hanūmān" という語は hanūmat-の男性単数主格です。-mat/-vatに終わる語の変化は特徴的なので注意です。
また、一般的には "hanumat" (uが長くない)という形で知られていると思いますが、uが長い場合もあるようです。

"atarat" は初見殺し感ありますね。結論から言えば、√tṝの直説法過去です。√tṝは一般形(三人称単数現在)が "tarati" ですので、現在語幹はtara-です。直説法過去の場合、語幹の前にオーグメントである "a" と、語幹の後に第2語尾を付けますので、三人称単数の場合は "t" が付きます。したがって "atarat" です。

"duṣkara" "mahātman" はどちらも、『実習』巻末の語彙集では形容詞として挙げられています。もちろんその通りですが、この文では名詞化して解釈しました。サンスクリットの形容詞はすぐ名詞になります。

余談ですが、サンスクリットの名詞が日本で広まる際、普通は語幹の形で広まります。例えば「アルジュナ(arjuna-)」や「カルナ(karṇa-)」なんてのは語幹の形です。「アルジュナハ(arjunaḥ)」「カルナハ(karṇaḥ)」とか言いませんよね。
一方、一部の語は単数主格の形で広まっています。日本では語幹の形「ハヌマット」ではなく「ハヌマーン」という単数主格の形で伝わっていますよね。「カルマ」なんかも単数主格形で広まっていますね(語幹は「カルマン」karman-)。
サンスクリット的には、名詞に格語尾がつかないことはなくて、単語だけを提示する場合には単数主格を用いるので、まあ、後者も一定の妥当性があるわけですが… 本来的には語幹の形の方が良いとは思います。
とはいえ、もう人口に膾炙しちゃってますからね。ハヌマットよりハヌマーンの方がかっこいい気がするし。カルマンよりカルマの方がかっこいいし。

小結

途中ですが、エディタが重くなってきたのでここまでにします。
疑問点や、「そこちゃうで」というところ、追加情報等ありましたら、学習中の方でもācāryaの皆さんでも結構ですのでTwitter等でお尋ねください。
たぶん続きます。


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