ダムに沈んだ村は幸せだ

やあ (´・ω・`)
ようこそ、バーボンハウスへ。
このタイトルは人寄せだから、まず読んで落ち着いて欲しい。

うん、「また」なんだ。済まない。
仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。

でも、このタイトルを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。
殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい
そう思って、この記事を書いたんだ。

ここからが本文

さて、古式インターネットしぐさによる挨拶文は置いておいて、上述の通りこのタイトルは半分煽りだが半分はその通りでもある。

ダムに沈んだ村は幸せだ

古いデータだが、まずこの下記のデータを見て欲しい。例によってめんどくさい場合には見ても見なくてもかまわない。

(1)農村と農業集落の現状 イ 集落の状況(農林水産省)

この図2-95には、10年以内に消滅の恐れのある集落といずれ消滅の可能性のある集落の数が示されている。このデータは1999年時点と2006年時点の調査を元に算出している。ということは、既に10年以上経過した2019年現在、この数に近い集落が消えた可能性が高い。最大の四国だと90箇所だ。

無人化集落というものは、googleマップの航空写真を使うことで比較的簡単に探し出すことができる。また、無人になって久しい、完全に森に還ってしまった集落は国土地理院の航空写真閲覧サービスを使って古い航空写真と現在のgoogleマップを比較することで見つけることが可能だ。

何が言いたいかと言うと、この国には相当数の無人化して放棄された山村、離島集落がある。筆者の自宅から車を小一時間ほど走らせるだけで、数箇所の無人化した集落にたどり着ける。山中で葛に覆われた廃屋は傾き、神社は取り壊され鳥居のみが残り、先人が苦労して築き上げたであろう山の斜面の棚田には潅木どころか木が生えていたりする。かつて多くの人でにぎわったであろう山村が哀れな骸をさらしているのは見えるに耐えないものだ。

忘れられた日本人

これらの無人化した集落で、どのような暮らしが営まれていたか、その地域に独特の古民家の形態であるとか、習俗であるとか、産業であったかなど多くの情報は失われてしまった。

一部は地方史の編纂を行うプロアマ問わず研究家が残しているが、村の生活を網羅したものはどの程度残されているか疑問が残る。宮本常一(1907-1981) のように、長期に亘り全国の各地を実地調査した民俗学者も少なくないが、すべてを網羅しているわけではない。

忘れられなかった日本人

一方、ダムに沈んだ村では、私的・公的に確実に記録が残される。しかも、徐々に離村して平成後期に集落が消えた場合と異なり、古い生活を知る人がまだ多い70年代前後のことが多い。そのため残される情報のクオリティや精度、量も段違いに高い。

有名どころだと、村が完全に水没した岐阜県の徳山ダムが挙げられる。まず、1978年に『ふるさと徳山』として徳山村が当時の生活や習俗を記録映像として残している。さらに1983年に徳山村をモチーフにした映画『ふるさと』が公開されている。これは名作なので未見の諸兄にはぜひともお勧めしたい。また、2007年には映画『水になった村』が公開されている。これはダムに完全に沈んでしまった後の住民まで描いたドキュメンタリー映画だ。また、徳山ダムはアマチュア写真家の故増山たづ子氏でも有名である。氏が撮り続けた写真は民俗学の資料としても貴重だ。

このように、多くの人が村の最盛期を想いながらさまざまな形でそれを残し、後世に伝えていっているのである。

ゆえにダムに沈んだ美しい村は幸せだ。21世紀の現在、自発的に住民がいなくなり荒れ果てた過疎地とは根本的に違うのだ。人々の記憶に残り、文字として記録され、美しい山村のままダムに沈み消えていけたのだから。

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