架空のキャラが現実世界で拉致された話

 たまたま愛した存在が〇〇だっただけ。

 そんな訳あるか自己正当化野郎共。たまたまで何かを愛せるような奴がいるか。素直に「顔が性格が振る舞いがその他の解釈が、自分にとって都合の良いものだったので愛しました」と言え。男も女も動物も人形でさえも、理由もなしに愛される存在ではない。

 俺のミコトが拉致された。犯人は、世間だった。高速道路に入ると無駄に成長したビル群が薄い塵の向こうで背比べしているのが見える。二千と百二十を数えた辺りから、人々は緩やかに死を待つだけの生き物になった。
 助手席にはミコトを象ったカラクリ人形が脚を組み、左、前、そして俺の顔を一定の間隔で捉える。側にいる人間にツクリモノ特有の不自然さを感じさせないための工夫であり、もはやロボットの習性と呼んで差し支えない。夕日が差し込み、いっそう塵を輝かせる大都市から逃げるように、俺はさらにアクセルを踏み込む。


「私はミコトと結婚いたします」

 ビルに貼り付くモニタの向こうで行われた宣言は、コンビニから出てきた俺をしばらくの間放心させた。中年男の横に、趣味の悪い女児のような服を着せられたミコトが穏やかな表情をして座っている。遠くで歓迎の拍手が鳴り響いた。上手く回らない頭の中で、男の「愛の形とは自由であるべきです」という言葉がこだました。

 ミコトは俺がデザインしたある商品のイメージキャラクターだ。当時から世間はアンドロイド、人工知能、バーチャル、といった言葉に感化されており、その最中に開発された知能付きカラクリドールは予想を遥かに超える売れ行きとなった。

 ドールは持ち主が自由に見た目をカスタムすることができ、性格も多くの種類から選べる。名前を呼べば反応し、会話だけでなく身の回りの世話までしてくれる。そのため医療福祉や接客に使われることもあり、需要は留まることを知らない。
 ミコトはその商品のイメージキャラクターであり、商品がミコトという名前で売られている訳でもなければ、初期の見た目がミコトに似ている訳でもない。ミコトは独自の設定や性格を持つ、れっきとしたキャラクターなのだ。
 ドールだけでなくミコト自体の人気も高く、ファンによる二次創作が作られることが多くなった。そんな中、社会的に権威のある一人の男が打ち明けた。我が家にもドールがおり、恋人のような関係であると。そして、彼女にはミコトと名付け、性格もミコトと近いものに設定していると。

 男の告白を聞いた人々の大半は彼を応援した。立場のある人がよく公開してくれた、ドールへの偏見がやわらぐ、恋愛対象は自由であるべきだ、などと言って。そう、時代だ。これが百年も昔の出来事ならこうはいかなかっただろう。人々はこの頃、自由という言葉にやたらと敏感になっていた。我々が自由であることを主張するばかりか、自由を強制しなければ気が済まないようだ。新しい形の愛じみたものを発見すればすぐさま表に引っ張り出し、賞賛しない者を罰した。

 結局、喜ばれたのはこの男の性癖ではなく自由と結びつけるための物珍しさで、流行の一つに過ぎず、男は世間に利用されただけだった。現に次々と架空の人格と恋愛するサービスなどが展開されたが、自由さを謳う割には、それらには決まって商魂が見え隠れしている。
 しかし男は賞賛されたことを素直に喜び、恋愛は自由であるということを強く主張し始めた。差別や偏見をなくす活動のため、ミコトモドキを連れてあらゆる地域を渡り歩いた。すると同じようにドールや架空の存在と恋愛していた人々が、男の思考に染まり公の場に出るようになった。声が大きくなる。誰がどんな対象を愛したっていい。たまたま愛した存在が、それだっただけだから。
 舐めてんのかお前ら。

 ミコトというキャラクターを作ったのは、俺が十五か十六の時だ。引っ込み思案なせいで友達も出来ず、一人で絵を描いていたところに彼女は降ってきた。その輪郭が、眼差しが、柔和な人となりが、他の誰に見えずとも俺の目にははっきりと映った。作画技術と共に解像度が上がっていくミコトを見る度に、幸せな気持ちともどかしさに悶え、ようするに恋焦がれた。

 それから十年以上の時を経て、ミコトは多くの人に愛されるようになった。デザイン案が通った時、俺は複雑な感情で身が千切れそうになったのを憶えている。
 キャラクターには意味がなければならない。記号として役に立った時、はじめてキャラクターに価値ができる。
 俺は今まで俺にしか愛されてこなかったミコトを、幸せにしてやりたかった。キャラの幸せは好きな人と結ばれることでも、家族に看取られて穏やかに死ぬことでもない。意味を持った時だ。そして、意味は作成者の意図するものである必要がある。俺一人に愛されるだけでは、彼女はいつまでもキャラクター未満の妄想なのだ。
 印刷されたミコトを見て、俺は心から彼女の幸せを願った。それは一瞬、叶ったように思えた。二次創作者による変な設定付けや猥雑な作品を見ても、これは二次創作の範囲を出るものではないとして、どうにか自分を落ち着かせてきた。複雑な思いを噛み締めて彼女を世に放った時、多少の覚悟はできていた。

 その矢先に起きた、男の主張。男はミコトと付き合っていると言った。二次創作の妄想ではなく、市販の女児服を着せ、現実の恋人として扱っている。それを、世間は自由のために受け入れる。彼らの議論の中に、自分たちと恋愛対象は出てきても、恋愛対象を作った人の存在は出てこない。僅かにいる反対派でさえも、ドールの感情は無視するのか、などと頓珍漢なことを抜かしているだけで、誰も、作者のことを考えていない。

 男がミコトとの交際を打ち明けてから、身の周りも変わった。ドールはさらに売れ、ドールと恋愛しているという客の声も随分と増えた。その中に、アニメや漫画のキャラクターとそっくりな見た目にし、同じ名前をつけて愛でているという人もいた。俺が例の件について職場の人間に意見を聞くと、「客がドールをどう扱おうが自由」「彼のおかげで良い方向へ向かっているのだからいいじゃないか」こういった言葉ばかりが返ってきた。
 俺は誰にも向けられない感情を抱えたまま、家で家事をこなしつつ俺の帰りを待つミコト似のドールを思った。作者の俺でさえ、同居する彼女のことを現実の恋人だと思ったことはなかったのだ。

 お義父さん、娘さんを僕にください。
 昔の男はこう言って頭を下げ、ようやく恋人を嫁に迎えたのだそうだ。創作者の間にも「うちの子」という文化があるようだが、作者とキャラは実の親子ではない。あの男にミコトさんを私にくださいなどと頼んで欲しい訳ではないし(頼まれたとしても丁重に断るだろうが)、そもそもミコトを現実において人間と同一視しないで頂きたい。
 しかし血の繋がりはなくとも、愛した相手が架空の存在である以上、生みの親は必ずいる。恋愛の自由ブームが起きてから、「架空のキャラとの恋は現実の恋愛よりずっと楽」という意見を数えきれないほど耳にするようになった。彼らはきっと、相手が現実にいない、ということを極端に軽く見ており、実在の人間相手では生じないはずのあらゆる苦痛から目を逸らしている。

 架空を生み出すのは現実の人間だ。架空を受け取り、解釈し、再び書き出し、意味を見出すのも、全て現実の人間だ。架空の存在には、時に実在する人物以上に人が関わっている。そうなれば当然、現実の上で問題が起きることもある。娘さんを僕にください、では済まない場合もあるだろう。何より彼らは、架空の存在を普通の人間と同じ土俵に上げて比較しているので、キャラクターがいかに比較しようもないほど実在人物からかけ離れているかが分からない。

 先述した通り、キャラクターには意味がある。背中に天使の羽根が生えていようが、作成者の意図を背負っている。二次創作者は二次創作であると明言することで、キャラの意味や作者の意図を損なわせずに済む。しかしその範囲を越え、現実で交際している、などと公の場に向けて言ってしまうと、何かを伝えるために無駄を削ぎ落として洗練されてきたキャラが、ただの誰かの伴侶になってしまう。その声が大きければ大きいほどに。キャラクターの命である意味、存在意義がなくなってしまうのだ。

 一個人が宣言したことでそんな簡単に意味が損なわれるものか、と言う人は、一個人の宣言で終わっていれば良かったものを恋愛の自由、さらには関係のない差別、偏見と結びつけたせいで肥大化してしまったミコトの「イメージ」について、現状を考えてみるとよい。検索すると、ミコトと交際宣言をしたあの男の記事が、一つや二つに収まらず出てくる。どれも決まって彼を賞賛したものだ。新しい価値観と持て囃し、自由を解った素振りを見せる。

 あの男は「ミコトは自分のものだけでないと知っている。他の誰かがミコトを愛しても咎めない、それはその人にとってのミコトだから」と言った。ちょっと待てよ。それは作者である俺だけが言っていい台詞だろ。なに勝手にクローン設定作ってんだ。クローンはイメージキャラクターのミコトではなく、あくまで商品であるドールだ。お前の作った設定を世間に認めさせるな。世間も世間で、思考を停止させてボヤけた価値観に頷くな。

 ついに、男はミコトとの結婚を発表した。ドールの会社はそれを認め、結婚式が開かれたら代表が参加するとまで言い始めた。世間は騒ぎ、ハリボテの自由は加速する。俺のミコトが拉致された。犯人は、世間だった。


 ナビが目的地周辺を教える。横をちらりと見ると、カラクリ人形は散弾銃をケースから取り出し、不備がないか確認していた。もうとっくに日は沈み、市街地は微睡みの中にある。

「行ってこい」

 俺の命令に彼女は車を飛び出し、立派な佇まいの家へと向かう。あらかじめ彼女の視界と繋いである端末には、テーブルで向かい合うあの男とミコトモドキが映っていた。相変わらず悪趣味な女児服を着た哀れな女が、首を傾げてこちらを見る。遅れて男が振り向いた瞬間、少し遠くから雷のような音が響いた。画面に視線を戻すと、既にミコトモドキの首から上はない。

 男が二度転びかけながら嫁の元へ駆け寄る。何を叫んでいるかは容易く想像できる。その名前は俺の全てだったよ。十五の時に降りてきた天使を、誰よりも幸せにしてやりたかったんだ。
 お前は妻を生涯愛すと、結婚式でも挙げたならそう言いそうだよな。愛してるならキャラクターの存在意義ぐらい考えろよ。自分の行動が相手にどう影響するか、相手の生みの親や周囲に対してどんな振る舞いをするべきか、相手の性質から、何をしてやるのが最善なのか、自分の物差しでなく、向こう側に立って考えてみる。

 それは正解こそ違えど、恋愛対象が人でも動物でも人形であっても重要なことじゃないのか。ドールに感情はないし必要もないが、そのことがお前の言う自由に繋がる訳ではないぞ。
 わかったか? 二度目の銃声が轟く。男は首のない伴侶にぐちゃぐちゃの身を預けた。

 川には薄ぼけたネオンライトが写し出され、遠くで絶え間なく車の走行音が聞こえている。車を降り、電源の切れた彼女を抱いて橋に凭れかかる。ちょうど、摩天楼かというほどに高いビルに巨大なドールの広告が現れた。当然のようにミコトが使われ、最新技術で活き活きと動き回りながら商品の魅力を伝える。隣で眠るカラクリ人形と交互に見ると、むしろ、この人形の方がミコトらしく思えた。俺の創作物は、あんなに輝かしいものだったか?
 欄干から離れ、バンザイの体勢で遠くなる女の身体。彼女は破裂音と共に水面へ叩きつけられ、やがて汚水に白肌を隠して流れていく。

「あばよ、ミコト」

 キャラクターは死なないが、ゾンビのように腐ることはできる。もし自分の大切な人がゾンビになったら、トドメを刺すべきだろう。ド腐レゾンビと共存していくのが世間様の言う自由な愛か。上等だ。だから俺は追われている。
 こんな時に煙草を吸えたらどんなに気持ちが良いだろうな。しかしそれは叶わない、煙草は二年前に発売禁止となったのだ。

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