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ロマ・ホロコースト #19歳僕のギリシャ2ヶ月放浪記8

ホロコーストのサイドストーリー

第二次世界大戦中にナチス・ドイツが行ったホロコーストについて記述されている本では、ユダヤ人を対象としたものが多い。もちろんユダヤ人は第1ターゲットとなり、約600万人という数多くの命が奪われた。ただその傍で同じく虐殺されていた人々もいた。それがロマ人である(同様に多くの障がい者やLGBTQ⁺に属する人々も虐殺の対象となっていた)。ロマ・ホロコーストは長らく「忘れられた歴史」と呼ばれ、約50万人もの命が奪われたことを伝える本は少ない。犠牲者の数は概算でおよそ50万人といわれているが、東欧や南欧で生活していたロマ人については、その生活様式、すなわち放浪生活のため統計記録から除外されており、さらに記録資料による大量殺戮の証拠について、長い間誰も調査の労をとろうとはしなかった*¹。ロマ人はユダヤ人とともに「人種」を理由に絶滅政策の対象者とされ、ナチス・ドイツの占領地や同盟国、アウシュヴィッツ等の強制収容所で殺害された*²。

アウシュビッツで知った新たな史実

僕がこの史実について知ったのはポーランドにあるアウシュヴィッツ強制収容所に訪れた時である。そこにロマ人の虐殺について説明する展示があった。最初はホロコーストとロマ人が頭の中でマッチせず、説明を読むのに時間がかかったのを覚えている。数多くのロマ人がユダヤ人とは別の棟で収容され、強制労働を行わされていたことが書かれていた。国家の統計に登録されていないロマ人も当時は多くいたため、約50万人という推計の被害者数にどれほどブレがあるのか気になったが、ユダヤ人と違って国家や財政的にも大きなコミュニティを持たないロマ人にとっては、実際の数を調査することは難しいのだと思った。実際に戦後も差別に直面していたロマ人は、ユダヤ人と同等の補償を犠牲者とその遺族は十分に受け取れず、戦後も根強い偏見と差別的政策に苦しみ続けた*¹。

アウシュビッツ強制収容所の入り口
アウシュビッツ強制収容所に続く線路
アウシュビッツ強制収容所にある石碑

世界のほとんどは嘘

僕は高校生の時に世界史が大好きで、受験勉強の時も世界史だけ勉強していたと言っても過言ではないが、実際に学んだ歴史よりもロマ・ホロコーストのように「忘れられた歴史」の方が多いのだろうなと思った。「歴史は勝者によって書かれる」と高校の世界史の先生が言っていたが、その勝者が賠償責任などを負わせたい国や人物が「敗者の中心」として描かれるため、そこから外れた層は歴史の教科書にも載らないのだなと思った。そんなことを考えると歴史って本当に無責任だなと思う。

人間の弱さ

最後にアウシュヴィッツ強制収容所に行って、印象的だった言葉について書きたい。それはナチス・ドイツが敗北し、骨が突き出たようなガリガリの姿で解放されたユダヤ人がその近くに住んでいた人々から「ごめんなさい。私たちは知らなかった」と言われた際に「いやあなた達は知っていた。ただ知らないふりをしていただけだ」と放った言葉だった。確かに強制収容所の周りに住んでいた人は、強制労働に行く人々の姿などを見て、彼らがどんな状況であったかは知っていたのだろうなと思う。だが例えば僕がその時にそこに住んでいた住民の一人だったとしても、彼らの現状を見て助けようとでもしただろうか。たぶん自分が被害を受けるのを恐れ、助けることはしなかったと思う。そんなことをアウシュヴィッツ強制収容所の見学が終わった時に考え、自分に失望していたのを覚えている。

前回の記事ではロマ人について、今回の記事ではそのロマ人の近代史について少し触れたが、次の記事では実際にそのロマ人のもとでインターンを行ったことについて書きたい。

つづく。

*¹千葉 美千子「ホロコースト研究におけるロマ民族をめぐる考察」2006年、北海道大学大学院国際広報メディア研究科院生論集
*²左地 亮子「ホロコーストを想起する ――ロマ・ディアスポラ 共同体の新たな想像をめぐる考察――」2022年、東洋大学社会学部紀要

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