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【ゲッターズ飯田公認エッセイ】 ゲッターズ飯田は、失敗、挫折を意味付けする。

人は、「自分の人生をできる限り意味あるものにしたい生き物」だという。
 
ゲッターズ飯田は、占いを始めてから、これまでの足跡を、よく反芻する。しかも、成功だけでなく、失敗したことも。それも、いまみたいに成功していない時代から。が、この「意味付け」、ウソが一滴でも混じれば、途端に「運」が離れてしまうように感じる。

しかし、ゲッターズ飯田は、どんなに大変だったことも健康的に話す。だから、半生に意味的価値が見出され、人生がどんどん濃く豊かになっているのだろう。
 
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ゲッターズ飯田は、カフェを共同経営していたことがある。
それは2010年に新井薬師駅徒歩3分の所にオープンした「カフェシーラカンス」
 
なぜ、ゲッターズ飯田がカフェの経営に誘われ賛同したのかというと、自身の占いで「体調を崩す年」と出ており、この不運を避けるためには、「お金を使い切った方がいい」と占いで出たため、当時、通帳に入っていた全財産300万円を投資してオープンしたそうだ。もちろん共同経営者にも動機は伝えている。

ちなみに、不運を避けたい場合は、自分のことではなく誰かのためになることにお金や労力を使うといいらしい。例えば、結婚している場合は、パートナーへの献身的なフォローや育児に励むことをオススメしている。実際、ゲッターズ飯田のトークイベントやWEBラジオなどでパートナーを務めている、おくまんさんも乱気の年に赤ちゃんを授かったのだが「夫婦で手を取り合って育児中心の生活を送っていたら楽しく乗り越えられた」とよく話されている。
 
カフェでは、毎週木曜日だけ20組ほど占っていた。無論、ここでも占いに関して自身の懐にお金を入れることはなかった。ご飯とドリンク2杯とデザートに、占いが特典で付くメニューなのだが、この料金はカフェの賃料や共同経営者たちへの給金などにまわされていたという。素人が始めたお店、SNS等で告知するなど出来る限りのことはしたが、黒字にすることは難しく2年で店を閉じることに。飲食店経営は失敗に終わったのだ。

が!この失敗こそが、占いを続けるうえで、とても役にたったという。

というのも飲食店経営にまつわる相談をうけることも多いため、自身が飲食店の中でも特に黒字にするのが難しいといわれるカフェを共同経営したことでアドバイスがしやすくなったそうだ。また、お店を持ったことで、人生の財産となるような人との出会いもあったという。
 
そして、もうひとつ。ゲッターズ飯田は、お笑いコンビを組んでいたことがある。

1999年から活動し、2005年に解散。芸人として、自分が作ったネタを全国ネットで放送するというのが夢だったゲッターズ飯田は、相方の津村さんとネタ作りに奮起。完成した漫才は、全国ネットで放送され、見事、夢を叶えたのだった。とはいえ、所属事務所側からの期待は、漫才よりもテレビタレントとして活躍してもらうこと。賞レースや動画・配信などがない時代、テレビの中で活躍することだけが若手芸人の勝ち筋であった。しかし、ゲッターズ飯田も津村さんもテレビタレントに憧れて芸人を目指していたわけではなかったため、心構えや準備不足もあり壁にぶつかったという。タレントは人気商売。世間受けするキャラクターの作り方など見せ方がわからず、挫折を味わい解散し、事務所も離れたのだった。
 
その年の夏、手元には68円の小銭しかない時も。

ゲッターズ飯田の占いでは「終わりの日」。家電が3つ潰れて、携帯電話のメモリーも全部消えたという。そこから自分には何もないからと、コンビニでアルバイトをしながら無償での占いを続けていたという。

そんな生活からしばらくして、以前から占いを通して交流のあった番組プロデューサーにバッタリ出会い、放送作家の仕事をすることに。テレビ作りのイロハを叱られながら覚えていったという。

時が経ち、周りに流され、仮面をつけ占い師としてテレビに出演するようになった時、これまでの失敗や挫折という自己投資が大いに役立つことに。

今までテレビに登場した幾多の占い師とは違って、生放送でも緊張することなく、かつ、演者の気持ち、制作スタッフの気持ち、両方に寄り添えるエンタメ要素ある占いをテレビの向こう側に届けられたのだ。

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2020年秋、ゲッターズ飯田に、知人のお姉さんを無償で占ってもらったことがある。理由は、御主人が病気で亡くなり、息子さんも未成年で、先々のことに不安を覚えていたから。しかも、ゲッターズ飯田の本を愛読しているというものだから、ゲッターズ飯田にお願いし時間を作ってもらった。(人は時間を削っているけれど 本当は魂を削っている。という言葉も胸に入れて)
 
彼女は、占ってもらった後、すぐに立てたわけではない。

御主人の仕事の引継ぎ等は経験不足などから上手くいかず、心の振り子は大きく揺らいでいたという。ただ、ゲッターズ飯田から「2年後には気持ちが切り替わる」「2年後に種をまいたことが楽しくなる」など前を向ける言葉をもらっていたらしく、その鑑定結果がお守りとなり、ネガティブな気持ちに圧し潰されそうな日があっても、1日、1日を乗り越えられたという。
 
2024年春。

「飯田さんから貰った言葉を信じ続けてよかったです。主人が亡くなってすぐの頃は自分のことばかり考えて体調不良になったりしましたが、飯田さんの占い通り、生きがいを見つけられ元気になりました。よろしくお伝えください」というLINEが届いた。
 
その生きがいとは、2022年、気分転換に始めた楽器の習い事が、いまでは特技となってステージで演奏するまでになったということ。演奏されている動画も付いていたが、表情も明るくなっていた。

まさに、ゲッターズ飯田の占いを入り口に、自分の生き方に、ウソのない意味付けをして進んだことで、その人の半生の意味が変わった実例だ。

そして、こういう無償占いで、ゲッターズ飯田は感謝という徳を積んでいるんだなと、近くにいると忘れてしまいがちなことも思い出させてくれた。


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