見出し画像

ひとつひとつの心の機微を取りこぼさない

人に言葉をかけるひとたちへ
【⠀昔からずっと思ってた 言葉への違和感。
    なに向きよりも、大事なことがある…⠀】

「元気そう」「前向く」「前に進む」
昔から、人から言われると違和感で疲れる。
それって何だろ? 前ってどこ?
今、明日、未来?形にすること、安定すること、何かに貢献すること? 自分のなかでの成長、人からの評価?

実際どれくらいの人が、自分のことを「元気か・前か後ろか」とまとめられるんだろう。
そう思うと、何をもって「元気・前向き」?

前向いて。の何気ない励ましも、
ときに「いま前向いてないよね、いつまで引きずってんの?」って聞こえる。ときに前を向けない誰かを、ムリせずありのままを見せた誰かを、否定することにもなる。
強さも脆さもあるのが当たりまえなのにな…。


.
すこし楽しさや近況を共有したら、とたんに「元気そう」「前向いてる・進んでる」と言われる。
でも、わたしはそれ結構傷ついてプレッシャーで冷める

【 だって私の側面・見えた一部でしかないから⠀】

元気そう、でも本当は?
大丈夫そう、でも本当は?
前向いてそう、でも本当は?
しんどそう、でも本当は?
楽しそうな表情のなかにも、変わらない苦悩やしんどいはある。しんどそうな表情のなかにも、楽しい時間が1つあったりするよ。

自分を外に表現したり、きもちをだれかとシェアするとき
「私の一部の感情や その時々の姿を、わたしの人生像・性格像のすべてにされませんように。
キラキラの美談に捉えられませんように。
ドロドロの不幸にも捉えられませんように。」と、いつも祈りながら過ごしてます🙏
たまーに、
「美談ではないし、しんどさ比べ合戦でもない。」と伝えるのは、そういう意味で…。
何でも都合よく色をつけて変換されたくないから。


ひとが他人に使う「壮絶」という言葉も、やっぱり苦手。
自分の人生、壮絶か壮絶じゃないか、その人生に「壮絶」という名前をつけるかどうか、決めていいのは その人生を歩いてきた本人だけ🚶

逆に感動してほしくて、過去や経験を話してるわけでもないのに、「お話に感動しました・いいお話でした」と言われるのも、「美談ではないのにな。感動よりも、問題だらけの現実があることは伝わり、しずかに受けとめてもらえただろうか?」ってことのほうが気になって。
一過性の感動ポルノに勝手になってないようにと、祈る🙏


.
一括りにできない心の機微があることを、
しずかに受けとめる大人が増えたらいいな😌
本人にしかみえない背景を、
決めつけないでいる大人が増えたらいいな😌

ひとのすべては みえない。
他人にわかることは、目の前のその人が
今日まで絶えず生きてきたってことだけ🌱
何向きでどこ向きかなんて、人にジャッジはできないよ。

大切なのは、
ひとりの人生のなかにある、
喜劇も悲劇も取りこぼさないことだとおもいます🌲🕊


なので、最後にこの歌を置いていきます🌸

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?