2023/1/25時点


この文章は2023年4月以降のどこかの時点で無料にします。今急いで読む必要性は全くありません。お金は全く求めていません。それでも読みたいというもの好きの方いらっしゃればお読みください。また、こちらを購入されていない方と内容を共有することや、note等で引用すること等はお控えください。僕と相互フォローの方が、この文章の具体的な内容が伝わらないように記事を書くのは問題ありません。



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かける言葉と、寄り添う言葉。

この3年間、ひとりで引きこもり、精神的に落ち込んだ日々があったという人を何人も知っています。

今はだいぶマシになったよ。今は元気だよ。

そんな言葉を聞くたびに、私は悔しい気持ちになるのです。あのとき、元気?って、今度オンラインでお話ししようって、声を掛けていればよかったって。(その人の近くに住んでいて)たまに作ったお菓子でも差し入れてあげたら、少しは気が紛れたかもしれないって。

それと同時に、そんなとき、(時には勇気を必要としたとしても)大切な人たちにちゃんと声を掛けられる人でありたいと思いました。

思いを伝えることの、ハードルが上がってしまった日々だったと思います。いつもキャンパスで会っていた友人とは、LINEで授業課題の進捗を報告し合うだけになりました。高校の同窓会は当然中止になりました。オンラインで集まろうと声を掛けましたが、その規模は仲の良かった友達10名弱に留まりました。「仲の良かった人も特に交流がなかった人も関係なく、当時のクラスメイトと久しぶりに話す」という同窓会の醍醐味には届きませんでした。

幼馴染は、大阪での一人暮らしで、体調を崩していたそうですが、私がそれを知ったのは随分後のことでした。眠れなくなり、一日一食、何とか流し込むそうめんだけという日々が続き、体重が何キロも減ったそうです。体調を崩して倒れたことで病院にかかり、何とか今は元気になったと言っていましたが、記憶の中のよく知る笑顔と比べると、どこか影があるように感じました。

幼馴染がひとりで"病んで"自信もやる気もなくしていたなんて、遥か遠くにいる私は知りもしませんでした。いえ、本当は知ることはできたはずなのです。今度オンラインゲームでもしようとか、何でもいいからお話しする機会を設ければ良かったのです。この生活に慣れた今ならそう思いますが、その時はそこまで、気が回っていませんでした。私は実家暮らしで話し相手もいるし、バイトも巣ごもり需要である程度繁盛しており、自宅で過ごすのもそれほど苦ではないタイプでした。

研究室の同期は、何も言いませんでしたが病みがちだったのかもしれません。必要最低限の会話のみで、人柄を理解する間もなく何とか卒業していきました。隣の研究室の女の子は、何があったのか、一年留年しました。高校の時の読書仲間は、2年の浪人を経てやっと入った大学ですぐコロナ禍となり、引きこもって精神的に参っていた、と語ってくれました。そして今は、Vtuberさんのファンコミュニティで交流をするのが楽しいそうです。

人と全く関わらず、会話もしない。感染の不安だけではなく、私たちは心の闇を野放しにしてしまったのです。

私たちは、何の武器も持たないまま、大きな闇に立ち向かわないといけなかったのです。今までなら、そんな闇に出会うこともなかった人たちや、人と関わることで闇を消し去れた人たちも、心の闇に触れることもあったかもしれません。「生きる意味とは何だろう」と、そんなことを考えてしまうとき、私たちには「漠然とした不安」を共有できる場所がとても少なかったのです。
私は、以前から気になっていたnoteを始めました。言葉を綴り反応をいただく中で、不安やストレスを、以前上手く、消化・発散できるようになったと思います。高校の友人のようにVtuberを推すことも、幼馴染のようにスマホゲームでガチャを引くことも、小さな楽しみや息抜きとして小さな武器になったのです。

人と交流する、その一歩目のハードルが高くなってしまった日々でした。だからこそ、伝えたい気持ちはちゃんと伝えることが大切だと実感したし、ひとりの時間を支える、言葉や作品の力を痛感しました。

会えない日々。私はその人の近くで寄り添えないけれど、小説も漫画も、映画も、音楽も、絵も、その人に寄り添える。
武器もなく、丸腰で挑むしかないと思っていた心の闇でしたが、本当はそうではなかったのかもしれません。作品に触れ、共感したり感動したりして心を動かすこと。または、作り手としてそれを届けること。趣味としてでもいい、私のように何かを表現すること。
言葉たち(ここでは音楽や絵も含めてコンテンツと呼ぶことにしましょう)は、確かに私たちを掬い上げてくれました。

みんなと何不自由なく過ごしていれば、皆、心の闇に囚われることはなかったのかもしれません。けれど、もしかしたら、いつか何処かで心の闇と出くわすことがあったかもしれません。それが、この3年間に現れただけだったのだと、そう思うこともできます。

誰かに忍び寄る心の闇に、気がつけないこともあります。いえ、そんな時の方が多いのです。だから私が気がつけないところで、声を掛けきれないところで、誰かの闇を照らす作品たちが、コンテンツが、その人の傍にあればいいのにと思いました。

オタクは最強だっていうのは、そういう意味だったのかもしれません。私はただ、先に叫んでしまうタイプなのです。



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2023/1/26 6:56

最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回は本当に書き殴っただけ。ESに書くこともないだろうし、なんというか、感情の整理です。この業界は設問が特徴的ということで有名です。自由で僕らしくいられるところがとても心地よいのと同時に、僕では個性や魅力が足りないんじゃないかと不安になることの繰り返しですが…でも前向きにちゃんとやるって決めたので、もう暫く頑張ります。
読んでいただきありがとうございました。


最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。