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人に会うこと、話すこと

 5月は色んな人にたくさん会った。
大学のサークル、ゼミの友だちから高校時代の友人、はたまた会社の同期まで。”会いたい”という気持ちが生まれた時にすぐさまその人に連絡をして予定を立てるようにしてみたら、これが案外うまくいって、さらには幸いなことに「会わない?」と別の人から声をかけられたりもして、その結果気づいたら仕事が休みの日は誰かしらに会っているみたいな感じになっていた。
 人に会うこと、人と話すことは、こわいことだな、とよく思う。一緒に過ごしている間、自分は全く意識せずにしていた行動が、相手にとってはすごく気になることかもしれない。不快な気持ちにさせることかもしれないし、そこまでいかなくても、あ、この人こういうところがあるんだ。って思われて、ほんのちょっぴりがっかりされているかもしれない。会う、ということは、その人と時間を重ねるということで、会う回数が増えれば増えるほど、そうやって知らないところで幻滅されてしまうリスクは高まる。話すこともおんなじだ。好きなもの、嫌いなもの、最近こんなことを思ったんだよね、なんてことをなんの気なしに話しているけれど、それは紛れもない「自分はこんな人間です」ということの表明で、それをすることは、しないことよりよっぽどリスキーなことに思える。これが好き、と語ることは、それが嫌いな人を遠ざける行為だし、これが嫌い、と語ることは、それが好きな人を遠ざける行為だ。
 私が人に会いたい、と思うのは、その人に好意を抱いているからであって、だからこそこうした恐れはいつも私に付き纏う。自ら会おうよと声をかけるような、もしくは会わない?と言われて喜んで予定を立てるような相手だからこそ、ちょっとでも幻滅されるリスクを避けたほうがいいんじゃ…なんて考えてしまう。
 それでも、私は人に会う。人に会って、人と話す。好きなものの話をし、苦手なものの話をし、最近考えたことの話をする。恐れは消えないし、いつだって人と別れて家路につけば、自分ばっかり話しすぎた気がする…あの時無理やりポッケにねじ込んででも1000円くらい払えば良かった…などとぐるぐる反省会をしてしまうけれど、それでもやっぱり、会いたいから会う。話したいから話す。多分それは、私が相手に提供してしまっていることを恐れているような情報こそを、相手から与えられたいと願っているからだと思う。会わないとわからなかったとても些細な、だけど素敵な相手の人柄に気付いたり、話さないと知り得なかった相手の考えや心の動きを、もっと知りたいと思っているからなんだと思う。
 5月の終わり頃に、今月はなんだか元気だったな〜と思った。仕事のこととか、この先の人生のこととか、これからどうしていったらいいんだろうねってことはぼんやりずっしり重く心にのしかかっていて、気がつけば呼吸が浅くなっているような日々だけれど、人に会って話をするとその喉のつっかえがちょっぴり小さくなって、空気が吸いやすくなるからありがたい。今月もやっぱり愛想を尽かされることに怯えながら、それでも私は人に会って、人と話をするんだろう。

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