日々に色彩を重ねる様に――クロルド

 ある日の早朝、夜遅くまで研究をしていたルードを起こさないようにひっそりと家を出た。
 家出などでは断じてない。ルードがいなければ生きていけない私だもの。ルードに出て行けと言われるまでは、自ら出ていくなんてありえない。
 出不精の私がルードに内緒で出掛けた理由は単純。この辺りでは珍しいものばかりを扱う行商人が、この街へ立ち寄ると耳にしたから。
 この機会に、ルードへ感謝を伝える贈り物でも探してみようと思ったの。
 ルードは優しいから、気持ちだけでも嬉しいと言ってくれるけれど、やっぱり贈り物を渡すというのは特別なことだと思うから、私がルードにそうしたい。
 今まで生きてきて、そんな事を思いもしなかった私に、そう思わせてくれたあなただから。
 それに、ルードはああ見えて好奇心が旺盛だもの。見たことのない物を贈ったら、きっと子どもみたいに目を輝かせて喜んでくれるはず。
 そんな姿を思い浮かべて、つい口元が緩む。
 いけないいけない。急がなくては。街の人達が集まってくる前に済ませてしまいたい。
 外套のフードをしっかりと被り、私は広場へと足を進めた。

 うっすらと朝霧の立ち込める中、行商人たちは露天の準備をしていた。
 フードをギュッと握りしめて、私は一人の行商人に近づいていく。
「す、すみません……貴方が行商人のベンソンさんですか?」
「ええ、いかにも。是非とも自慢の品々を見ていって下さい、と言いたいところですが、今はまだ準備中でしてね」
「か、構いません。邪魔はしませんので、見ていてもいいですか……?」
 少しでも街の人達に会わないに越したことはない。そう思い、図々しく申し出た。行商人さんは少し不思議そうにしながらも、あっさりと了承してくれた。
 次々と並べられていく商品を邪魔にならないように眺めていく。
 虹色に輝く蜂蜜、星々の煌めきを閉じ込めた洋燈、浮遊する絨毯、声を閉じこめるペンダント、等々。私の見たことのない奇麗で不思議なものばかりだった。
 ルードへのプレゼント選びをそっちのけで、数々の商品に魅了された。
 小さな頃からきれいなものが好きだった。キラキラしてて、眩しくて、見てるだけで自分もきれいな何かの一部になれたみたいな気がして幸せな気持ちになれるもの。
 醜い私なんかとは大違い。そう考えて、自嘲気味に溜息をついた。
 そんな私を見て行商人さんは何を思ったのか、ふと思いついたように馬車の中をゴソゴソと漁りだした。
 そして、すぐに湯気の立つ白いティーカップを持って出てきた。
「はい、お嬢さん。おっと、これはサービスですのでお代は要りませんよ」
「え、でも……」
「それでは、もしこちらを気にいった際は商品をお買い求めください。無理に買えとは言いませんので、どうぞ一口だけでも」
 にこりと笑って行商人さんが差し出してきたのは、澄んだブルーが目に鮮やかな飲み物だった。ほんのりとフローラルな香りがする。ハーブティーだろうか。
 私は咄嗟に懐から財布を取り出そうとしたのだけれど、それはすぐさま制された。
 有難くティーカップを受け取り、少し冷ましてから一口含む。
 なにこれ、美味しい……!
「ふふ、美味しいでしょう。これ、実は私が新しく見つけた魔草から抽出させたハーブティーなのです」
「へぇ。素敵です、この青い色が珍しくて……て、あれ。紫色……?」
「そう、こいつは時間が経つと色が変わるんです。不思議でしょう? この街で販売するつもりはなかったんですが、お嬢さんにはこれが必要そうでしたので」
 悪戯が成功した子どもみたいな顔でウインクをひとつ。この人は結構お茶目ね。
 聞けば、この魔草にはリラックス効果があるそうだ。余程私が緊張しているように見えてたらしい。実際、知り合いに会うんじゃないかと今も緊張しているのだけど。
 それにしても、このお茶はすごい。さっきまでは透き通った青色だったのに、今は深い紫色に変わっている。こんな飲み物は見たことがないわ。
 これなら、ルードも驚いてくれるかもしれない。それに、この青みがかった紫はルードの瞳の色。私の大好きな色。個人的にも欲しくなる。
 このお茶と一緒に、お菓子を作ってルードに振る舞うのもいいかも。忙しい時は糖分が欲しくなると前に言っていたし、今の忙しくしてるルードにはちょうどいい。
 お茶の風味自体は薄めだから、さっき見た虹色の蜂蜜を入れるのも良いかもしれないわ。

 私はまんまと行商人さんの商才にしてやられて、ますます購買意欲を掻き立てられてしまった。
 他にも良さそうなものは無いかと、並べられた商品を見回す。と、隅っこに置かれた一対のピアスに目がとまる。橙色の珠と、金糸のタッセルが印象的だった。この商品は説明の紙が置いてなく、どんな効果があるのか分からない。
 作業の邪魔になってしまうとは思ったものの、このピアスが無性に気になって行商人さんへ問いかけていた。
「すみません。こちらのピアスは……?」
「ああ、それですか。それ単体でも魔力補助の効果がある代物です。それと、まあこちらは信じるも信じないも貴女次第ですが」
 そう前置きして、行商人さんは続けた。
「魔力を込めてプレゼントすると、その方を一生護り続ける呪(まじな)いがかかっていると言われています」
「呪い……」
 呪い、つまり呪術。それは、今や魔族しか扱えるものがいないという、禁断の術。そんなものがかかったよく分からないものをルードにプレゼントするなんて、良くないって思う。思うけれど。
 なぜか私はそのピアスから目が離せなかった。

 結局私は、あのピアスを買ってしまった。
 無力な私じゃルードを護ることは出来ないけれど。それでも何かの力になりたいと思うから。ルードにはずっと幸せでいて欲しいもの。このピアスがルードの幸せを永遠に護り続けてくれたらいいなという願いを込めて、魔力を注いだ。橙色の珠が、ややくすんだように見えるのは、きっと気のせい。
 もちろん色の変わるお茶――アウロラと言うらしい――と虹色の蜂蜜も忘れずに購入した。そこそこの値はしたけれど、何とか私の手持ちで買えて一安心。
 行商人ベンソンさんの露天を後にして、広場に立ち並ぶ露天でお菓子の材料を買い集める。既に太陽は登り始め、植物を濡らす朝露がキラキラと輝いていて綺麗だった。澄んだ空気に溶ける朝の匂いが、私は好き。
 いい買い物が出来て、どこか浮き立っていたのだと思う。いつの間にか周囲には街の人達が増えてきていて、その中に見知った人がいることに、私は気付けなかった。

「クロエ?」
 急に後ろからかけられた声に、心臓が止まるかと思った。低くて優しく耳朶を打つ、私の大好きな声を、今こんな所で聞くなんて思ってもみなかったから。
 外套の中にさっき買ったプレゼントを隠して、ぎこちなく振り返る。
 そこには、分かってはいたけれど、やっぱりルードがいた。いつも結んである髪はそのままに、ボサボサと寝癖で絡まった白髪が朝日に透けている。せっかく綺麗な髪なのに、ルードはほんと自分には無頓着なんだから。
 そのくせ、私なんかには溢れるほどの褒め言葉をくれて、言うことの聞かない穢れた色の癖毛を根気よく整えてくれる。……ああもう。
 驚いた様子の青紫の瞳と視線がぶつかって、気まずくてすぐに逸らした。
「どうして、君がこんな所に? それに、今なにか……」
「ななななんでもないの。本当よ! 黙って家を出てしまったのは、その、ごめんなさい。ルードは疲れて寝ていると思ったから」
「それはいいんだ。何でもかんでも僕に許可を取る必要はないんだよ。クロエはクロエの好きなようにしていいって、いつも言っているだろう?」
 驚きの表情を緩め、ふわりと微笑んで、フードの上から私の頭を優しく撫でる。ルードは本当に優しい。優しすぎて、怖いくらいに。
 フードをしっかり被っていたはずなのに見つけてくれた事を嬉しく思う私と、ルードに見つかって焦る私が同居する。
 どうしていいか思いつかなくて大人しく頭を撫でられていると、ルードは「でも」と言葉を紡ぐ。
「女の子が一人でこんな時間に出掛けるのは感心しないね? どんな危険があるか分からない」
「それは、大丈夫。ルードが考えてるようなことは有り得ないから。そんな事よりも、ルードはどうしてここに? あまり寝ていないでしょう?」
 私のあからさまな話題転換に、渋い顔をするルード。
 ごめんなさい、でも本当にそう思うの。こんな醜い私を襲おうとする輩がいるとは思えない。暴力くらいは受けるかもしれないけれど、それはもう慣れっこ。今はルードがいるから、他の誰に何をされたって私は平気よ。だから、そんな顔はしないで。

 ルードは、寝床にいない私を探しに来てくれたらしかった。心配をかけてしまった。つくづく私は間が悪い。
 やんわりと叱られながら、私たちは帰路につく。私の歩幅に合わせて歩いてくれる事、さり気なく馬車の通る側に回ってくれる事、しきりに私を気にしながら歩いてくれる事、そんな小さなことの積み重ねが、本当に嬉しい。
 ルードといるだけで、今日も世界がキラキラして見える。私の日々に色を重ねるのは、他でもないあなたで。あなたの日々を彩るのが私であればいいのにと願った。

 家に戻って朝食をとった後、ルードには仮眠を取ってもらった。私のせいでルードを早く起こしてしまったから、せめて家事だけはしっかりしておこうと思う。
 まずは部屋の掃除。毎日やっているけれど、それでも埃は溜まるから手を抜くことは出来ないわ。それから洗濯と夕食の仕込み。今日は日頃の感謝を伝える日と決めたもの。いつもより手の込んだものを食べてもらいたい。
 次はお菓子作り。以前ルードが気に入ってくれたハニージンジャークッキーと、生地とクリームと果物を何層にも重ねてケーキを作る。
 甘い匂いが漂う中で、ルードのことを想ってお菓子を作る時間は、とても幸せ。綺麗なものが私の手から生み出されていく瞬間はいつも心が踊る。
 こんな気持ちも、ルードと出会っていなければ知らないままだった。私にたくさんの初めてをくれたあなたに、私が返せることはなんだろう。

 もう日が落ちかけてからルードが起きてきた。今日は随分ぐっすり寝ていたみたい。
「おはよう、ルード」
「おはようクロエ。もう夜一(十六時)くらいかな」
「もうすぐだと思うけれど、まだ鐘はなっていないわ」
 寝起きでふにゃふにゃしたままの無防備なルードは、「そう」と言ってぼんやりと椅子に座る。まだ目が覚め切ってないみたい。
 私はコーヒーを用意しようとして、手を止めた。どうせならアウロラを出そうと思いついたから。
 手早く準備を整えて、上品な花柄のティーカップにハーブティーを注いだ。柔らかいフローラルな香りが鼻腔をくすぐる。
 さっき作ったクッキーと一緒に、自分の分のカップも用意してテーブルへ向かう。
「はい、どうぞ」
「ありがとう……ん? このお茶は初めて見るね。こんなに鮮やかなブルーのお茶があるのかい」
「ふふ、実は今日買ってきたやつなの! ルードをびっくりさせたくて」
 寝起きでぼんやりしていたあなたの目が、キラキラと輝き出す。そして、興味深そうに眺めたり匂いをかいだり、カップを傾けて光を当ててみたりしていた。
 ふーふー、と冷ましてから、ようやく一口。あまり味を感じなかったのか、首を傾げながらもう一口飲んでいた。
「味は薄めよね。だから、これを入れて飲んでみて」
「こ、これは……! もしかして、レインボービーの虹色はちみつかい!? うわぁ、すごい。本で読んだことはあったけれど、この辺には生息していないみたいでね、実物は初めて見た」
「そ、そうなの? 綺麗だったから買ってみたんだけど、そんなに喜んでもらえたならよかった」
 虹色の蜂蜜の小瓶を目の前に置いてあげると、ルードのテンションが急上昇した。どうやらレインボービーという魔物が集めた蜂蜜だったらしい。ここら辺には生息していない魔物な上に採取も簡単ではないから、あまり流出しないんだとか。
 そ、そんな凄いものだったなんて。お茶に合いそうだったから買っただけだったけれど、結果的には良かったわ。だって、ルードのこんなに興奮してる姿が見られたんだもの。
 嬉々として虹色はちみつをお茶に入れて、美味しそうに飲んでいるルードを見て、私まで嬉しくなった。
「んん!? さっきまでとお茶の色が変わっている? さっきまでは青色だったのに、今は紫っぽいような」
「驚いた? このハーブティーは時間が経つと色が変わるの」
「ああ、驚いた! そんなお茶があったなんて知らなかったな。ううむ、不思議だ」
 色の変わったお茶を目を丸くして不思議そうに眺めるルード。驚いてもらえて良かった。
 ……良かったけれど、さすがに夢中になりすぎよ? 私が話しかけても生返事ばかり。気になる事があると周りを気にせず一直線なルードも好きだけれど、今は少しだけ困る。
 このままの流れで自然な感じにあのピアスもプレゼントしてしまおうと思っていたんだもの。また改めてとなると、渡す勇気が無くなってしまう気がして。
 誰かに何かを渡すなんてこと、初めてだから勝手が分からない。ルードが私にそうしてくれた時はどうしてただろう?

「ル、ルード! これ、あげる!」
「わっ!? えっ、何だい?」
 悶々と考えても答えは出ないまま、結局これ以上ないくらい不自然に渡してしまった。ルードの手を取って、そこにプレゼントを乗せるという形で。
 私だってこんなことをされたら驚く。もっとスマートに渡すつもりだったのに、本当に私は駄目ね。
 驚きながらも包みを開けるルードをただ見ているのが居た堪れなくなって、何かを言わなくてはと思うあまり、言わなくていい事まで口から溢れ出す。
 今朝だまって露天に行った理由、そこであった事、そしてピアスにかかっている呪術のことまで、洗いざらい。だって、それを言わないのは騙しているみたいで嫌だった。
「その、だから、気持ち悪いなって思ったり、嫌だったら、付けなくてもいいの。捨ててくれても、いいの。ただ私が、渡したかっただけだから」
「クロエ」
「で、でも、目の前で捨てられるのは少し傷付くから、こっそり捨てて欲しいな、なんて」
「クロエ!」
 びっくりした。温厚なルードが急に大きな声を出した事も、見慣れない真剣な顔でこちらを見ていた事も。
 目を逸らしたかったのに、宝石みたいな青紫の瞳にどうしようもなく惹き付けられる。ルードの瞳に映る醜い私が目に入って、少し冷静になれた。渡してから言い訳をする自分の醜さを理解して、頭が冷える。こんなでは、さすがのルードだって付けてくれるはずもない。
「捨てるなんて、有り得ない。君からの初めてのプレゼントだ、勿論付けるよ」
「えっ?」
 驚く私をよそに、いつもの無色のピアスを外して、片手で器用に取り替える。
 透けるような白髪に、橙の珠と揺れる金糸のタッセルがとても映える。ああ、やっぱり似合うなと珍しく私の感性を褒めたくなった。
 ルードは満足そうに笑みを浮かべると、そっと私の手を握った。
「僕相手には、そんなに気を遣わないでいい。君が僕のためにしてくれる事が、本当に嬉しいんだ」
「ルード……」
「おっと、まだ言ってなかったね」
 何を、と私が問掛けるまでもなく、ルードは言葉を続ける。
「クロエ、本当にありがとう」
 そう言って、心があったかくなるようなひだまりの笑み浮かべる。
 私はあなたのその顔を、何年経っても年老いても、一番近くで見ていたいと思った。
 見ていられるものだと、この時の私は本気で思っていた。

――
―――
なんでもない日を特別な日にしたかったクロエ(生前のマモン)のお話。
幸せだったあの頃……。

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