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20210712

天気:曇り時々晴れ
気温:三十度前後
朝食:食わず
昼食:カレーラーメン
夕食:餃子

好きなものを語るのが苦手だね。その対象への愛情だけでなく、「その対象を好きな自分」を伝えてしまうクセがある。むしろ愛情の方が少ない事すらある。


自分が好きなのか、果たして自信がないのか、自分を語ってしまう。「自分を語るために好きだと思い込んでいる」ものすらあるのでは。

インターネットの仲間達の多くは、純度100で対象物を語れているように見える。「それを好きな私・俺・僕」を表現しない。「私・俺・僕は対象物のどこが好きなのか?」を語っているのにも関わらずだ。


それは側から見ると、「隣人を愛せよ」に近い事をしているように見えて、とても尊い。名前は出さないけど貴方達、すごい。

こちとら油断すると、好きな酒何?って聞かれたらマイナー(だと思ってるもの)な銘柄答えちゃうんだからさ。頼むよ。
それか「一周回って鏡月かな?」とか答えちゃうかもしれない。いらねぇだろ「一周回って」は。謝れ鏡月に。一周走ってこい。


映画ならフランス映画を答えてしまうかもしれない。こんなときにレンタルビデオ屋でバイトしてた経験が悪い方に作用してしまう。
「一周回ってトレインスポッティングかな。あ、ちょっと待って、やっぱスターウォーズかも笑」じゃないんだよ。ぶん殴られてぇのか。


でも、サウナは好きかも。「こんなとこ知ってるワイ。」を表現しないかも。
あ、するかも。出張で一回だけ行った神戸の有名なサウナの事語っちゃうついでに、
たまに?神戸とか?出張しちゃうんすヨネみたいな?ビズネスマンオーラを匂わせちゃう的な?

好きなものを語る人は尊い。そこに語り手の嫌な思惑がなければ、上質なコンテンツだ。
自分を捨てて語れるものが有れば、それはかなり幸福な事だと言えるのではないか。


はい今日もおつかれさんでした。



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