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We're LONELY HEARTS CLUB BAND.

noteをはじめてみます。

10年以上前にGrindNikkiというblogをやっていたんだけど、これ誰向けなんだろ?という疑問に苛まれ、やめてしまいました。仕事の宣伝以外、とくに公に発信したいメッセージってあるようでないんですよね。

それなのに再開してみたのは、この1月で独立20年になるのもあるけれど、スタッフや家族など身近な人への発信が全くなかったなぁという反省から。アウトプットの際には、スタッフや家族が楽しみ&喜んでくれるものをつくろうという評価軸でジャッジしているのに(きっとそのせいもあって)、「見ればわかるよね」と説明を完全にさぼってました。互いに見ている世界にズレがあることに気づけなかった。

また、家族も息子が19歳、娘が14歳といい年齢になり、親の名前検索をしているんですよね。もうすぐ77歳になる母もボクをストーカーのようにおっかけてるし。実は過去、ボクはいわれのない炎上ネタに巻き込まれ、会社に電凸がくるような事態も何度か経験しているので、そのあたりも大丈夫だよ、と伝えておきたいかな。

ということで、ここから身内向けです(最後に少し外向け)。

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冒頭の写真ってわかる?

そう、ビートルズのSgt.Pepper's Lonely Hearts Club Bandのジャケット。

で、なぜそんな大それたものをいれてみたかというと、キャッチーだからもあるけど、「バスキュールの周辺にはいろんな流行り廃りもあったけれど、自分たちのスタイルでなんとか20年やれてきたよ」ということを言葉にしようと思ったら、これってSgt.Pepper'sのタイトル曲の歌詞の出だしまんまだなと思い出したから。

もし俺らが前座のLonely Hearts Club BandだとしたらBilly Searsは誰?…というのはおっさんの趣味話とスルーされることはわかっているけれど、まぁクリエイティブ職の教養として知って損がないので、このアルバムくらいは聴いておきましょう。…と書いてから思うけど、今30歳の人に1967年リリースの音楽を薦めるというのを自分にあてはめて換算したら1945年。第二次大戦の終わった年の音楽を聴いてみなよ、と言われてもちょっと困るねw。まぁ俺も彼らを瞬時にパロッちゃうzappaの方がもっと好きだしね。

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最初からかなり脱線したけれど、おかげさまでバスキュールはなんとか20年やってこれました。長く続けることを目標に会社をやってないので、20という数字にこだわりはないんだけど、毀誉褒貶や浮き沈みの激しい業界でみんなとともに今日まで自分たちのスタイルを貫いてこれた、というのは誇らしいことかもと思っています。

じゃ、そのスタイルっていつからカタチになったの?という話について、今回は書いてみます。

最初はバスキュールじゃなかったの?

俺は今52ですが、20年前の32歳のときに独立して有限会社バスキュールデザインという会社をたちあげました。2000年1月7日のことです。バスキュールデザインは今も存在する会社なので、株式会社バスキュールとは別会社です。

じゃ、バスキュールはいつどうやってできたの?ということになるけど、設立日をみると2000年7月28日。バスキュールデザインから半年後。どういうことでしょ?

今振り返ってみると、そこにバスキュールスタイルの根っこがあるなと思うのと、そもそもほとんどの人が知らないと思うので、そこを掘っていきますね。

まずヒントとして、下の画像から。これは2002年5月時点のバスキュールサイトの残骸。キャプチャー画像をクリックするとinternet archive経由で当時のサイトを回遊できるので、Flashを有効にしてチェックしてみてね。

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横幅1024px以内、テキスト領域は800px以内で収めようという努力が垣間見えるのが懐かしいけど、見て欲しい箇所は2つ。

1つ目は画像最下部にあるテキスト。2つ目はその上にあるFaces Project。

(それにしても、自分たちのアウトプットをきちんとアーカイブできていないのは問題だよね。とくにサーバを使い倒したWeb仕事の保存性の悪さは当時から課題だったんだけど、うちのような「ぽっと出」でも通用してしまう参入障壁の低さとのトレードオフと考えれば仕方ないか。…と思ってたら、無策のまま20年たってしまいました今のインスタレーション系のアーカイブの仕方についても考えないとね。まぁ映像でとっておくしかないか。)

バスキュールは銀座生まれ

まず1つ目のテキストだけど、「4月15日より、株式会社バスキュールとして体制を拡大し営業を開始しました」って理解できるかな?さっきも書いたけど、バスキュールの設立記念日は7月28日。あれ?と思うよね。

バスキュールといえば名前の由来でもある勝どき橋ですが、実は、とある理由で、創業半年で勝どきから銀座2丁目にある片帆ビル(katahoの秘密はこれ)に引っ越してます。

その理由とは、2000年7月にインピリック電通とeCRMサイトを構築するための合弁会社(JV)をたちあげることになったからなんです。広告業界でなんの実績もない32歳の若造でも、独立半年で広告会社と会社を立ち上げられるなんて、能天気な時代だよね。

このJVを立ち上げた目的は、新しいWebクリエイティブを追求し続けられる体制づくりのため。そのために独立したので、一歩先行く自分たちのWebクリエイションは絶対に追い求めていくんだけど、それだけでは全然食えないのは確実でした。なぜなら、当時のネット環境の主流はまだISDN。ローディングは3秒ルールが叫ばれた時代。1メガどころか、10K・20Kで、勝負しないといけない土俵だったんだよね。自分たちのやりたい世界(当時のイメージではのちに出現するセカンドライフみたいなものをつくりたかった)はまだちょっと先だな、と。

なので、まだ見ぬWebクリエイションは追求しつつも、eCRMというユーザーとの新しい関係づくりに挑むというのはクリエイションにも役立つに違いないと、クリエイティブ(バスキュールデザイン)とビジネス(JV)の両輪で進めるべきだと決断しちゃいました。そのJVはブライという名前でたちあげたんだけど、そこではアドというより、ネット上で企業とカスタマーとの長期的な関係を育む、製品オーナー向けサイトや金取引サイトなんかをつくっていました。当時立ち上げたサービスサイトは名称を変えてまだ存在していて、このあたりに面影がまだ残っています。MyEpson G&Pプランナー

状況説明が長くなったけど、2002年5月のサイトで「株式会社バスキュールとして体制を拡大し営業を開始しました」とあるのは、この2000年7月にたちあげたJVが2年持たずに解消され、そのチームとバスキュールデザインを合体させたということを表してます。業績はむしろよかったんだけど、パートナーであるインピリック電通の親会社にあたる電通本体の上場で、子会社の関連会社を整理する的な話が解消の理由でした(と聞かされてます)。

肝の話はここから。JV解消の事情が先方にあったのと業績も順調だったので、バスキュールデザインとして、本格的にその方向を追求しないかと打診されました。俺や一緒にやってたインピリック電通のリーダーたちも、当時まだ30代前半だったんだけど、みなコンサル的にフィーをもらえていて、多分時給2-3万円はもらえてたんだよね。競合は広告会社じゃなくて、NRIとかのコンサル。当時でも俺ひとりで1ヶ月300万くらいになることもあり、制作会社のビジネス的にはすごいよね。

で、どうしたかというと、バスキュールデザインはWebクリエイティブの道を追求します、と辞退しちゃいました(もちろん担当していた仕事は継続したよ)。また、在籍していた12名程度のスタッフも先方でひきとることもできるが…と言われたけど、制作以外の仕事は難しいだろうなぁと全員引き受けちゃいました。当時のバスキュールデザイン所属スタッフも同じくらいだったので、突然、倍の25名の大所帯に。奥さんには内緒にしておこう…という判断だけは明確でした。

資本金でいうと、バスキュールデザイン(500万)よりJVであるブライ(5000万)の方が規模が大きかったので、一旦ブライに人を寄せたのち、会社名をバスキュールに改称して再スタートをきったというのが、あの最下部のテキストの意味。

こうして、ゴールの見えないまだ見ぬWebクリエイションの道を「バスキュール」として明確に突き進むことになりました。まだ30代前半でお金も経験も不足していたので、この決断は結構なストレスだったけれど、今思えばよかったな、と。

ということで、みなさんがいるバスキュール。厳密には勝どきではなく、実は銀座生まれなんです。母体となったJVの設立日である2000年7月28日が、バスキュールの設立日になったというわけだけど、俺がその日をなかなか覚えられない理由もここですね。

この決断から18年。創業3年目までよりストレスな決断が迫られることはなかったのが事実で、クリエイティブ追求の道を簡単に諦めない、といううちのスタイルができました。(実は2010年頃に、個人的に強烈なストレスのかかる機会があったんだけど、それはまた場を変えて)

A New Position of Web Creation

このストレスフルな決断ができた理由が、2つめの見て欲しいところと書いた「Faces Project」。JV解消の直前に、Flash環境で稼働する自家製のマルチユーザーサーバが完成し、Web業界というかFlash業界内でそれなりに評判になってました。

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(上の画像をクリックで、このサイトもなんとか閲覧可能)

当時在籍していた北沢くんを中心に、Flashマルチユーザーサーバ(FACEs)を自作していたんだけど、それで開発したコンテンツたちに可能性を感じて、「自分たちならではのWebクリエイションの未来はこの先にある。賭けてみたい!」と思っちゃったんだよね。当時のWebデザイン業界はビジネスアーキテクツやイメージソースが圧倒的存在感で、ルールが美しく整ったデザインが流行ってたんだけど、それとは全く違うアプローチで、ユーザーに夢中になってもらえるクリエイションを提示してみたかった。ちなみに当時の広告発じゃないWebクリエイションというと、ゴノレゴなどのお手軽Flashアニメが話題で2ちゃんねる文化が色濃い時代でした。

土俵からつくる

FACEsサイトのタイトル横でNew Positionと記したのは、Princeの同名曲が大好きだからというのがまず先にあるけど、自分たちのアウトプットとして、新しい土俵づくりからトライしたいということを表してます。

ここは、HAROiD設立にもつながったM.I.E.S.をはじめ、今も稼働中のVR野球Meteor Broadcaster音声ARきぼう宇宙放送局というプロジェクトがあるので、土俵からつくるという言葉の意味はわかるよね。

と、またちょっと脱線したけど、当時のWebクリエイションと同義だったFlashでのクリエイションを自分たちならではの土俵にもっていくために、半年くらいかけて開発したFACEsサーバをプロジェクトサイト上で無償公開し、そのケアもしてました。そんなとき、JV解消話が勃発してお金は心配だったんだけど、この先の景色を自分の目でみてみたい、そんなジャッジで生まれたのがバスキュールです。

Webやデジタルに限らず、表面的な雰囲気重視のクリエイションに俺があまり興味がないのは、この決断をしたときから脈々と繋がってるかも。でも、どうしてもそれが好きな人がいれば堂々とやって欲しいし、応援もしたいと思っているので、そこは誤解なく。

事故は起こるさ

JV解消という事故への対処の心支えとなったFACEsサーバにも、ハプニングが襲ってきました。

なんと公開してすぐに、Flashの開発元のMacromedia社からFlash Communication Server(略称FCS - FACEsと名前まで似てる)というマルチユーザーも可能な通信機能にビデオストリーミングまで付加した正規サーバがリリースされるという話が舞い込んできました。手が震えました。

意地で人員も倍にしちゃったのに、寿命半年でプロジェクト終了の危機。みんなならどうする? 下の映像でも見ながらちょっと考えてみよう。

(当時、1歳の息子と一緒にきかんしゃトーマスに凝ってました。当時のサイトにあったSODOという書道コンテンツも、その舞台のソドー島が由来)

(ついでに貼ると、未踏の地では事故が起こりまくるので、俺らには特別な乗り物が必要だなと。春日くんは知ってるけど、mixiとのJVバスキュール号の別の名前候補はヘリコプターでした。HAROLDってなんかと似てるね)

どう? 思いついたかな?

まず決断したのは、自作サーバにこだわらないということ。

Flashでリッチなマルチユーザーコンテンツをつくるという上位概念に立ち戻り、社外活動を必死に頑張りました。誰よりも早くFCSを使い倒そう。Macromediaの懐に真っ先に入り、敵ではなく味方になるぞ作戦です。

FACEsの存在は彼らからの信頼獲得に有効で、公開前のFCSのβ版をいち早く入手できました。Webクリエイティブ界のご意見番、太田さんとの出会いも多分このとき。

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画像が欠けちゃってるけど、半年後のサイトにはFACEs Projectの右にOHAYO PLAYERSというコンテンツが追加されてます。FACEsサーバではできない、マルチユーザーとライブ映像ストリーミングが同居するデモコンテンツを速攻で用意し、Macromediaサイト上で解説&サンプルファイル付きで紹介してもらいました。FACEsサーバも無償公開してたけど、当時、自分たちで作ったものをここまでオープンにする会社はあまりなかったです(深津くんのnoteでも言及してくれてる)。そういう選択をしないのはカッコ悪いとチームのメンバーに諭されたのがホントによかった。

このOHAYO PLAYERSというタイトルの由来は、OHIO PLAYERSというファンクバンド。画像だけでなくサウンドもしっかりオマージュして、まんまのタイトルに。世界のクリエイターに新技術デモをアピールするのに、スマートにいくより、キャッチーな方がクールだよねと考えたんだよね。

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上の画像をクリックしてFlashを有効にしてもらえれば、OHAYO PLAYERSの扉画面のボタンだけは押せるよ。社交界デビューに向けたうちのスタイル。

当時25,6歳だったカンペーくんメインで頑張ってもらったけど、カンペーくんには入社してからずっとこんな仕事ばかりで、お金は二の次のビジョン優先でやってもらってました。オープンかつキャッチーにしたおかげで、バスキュールにとって最初の海外賞入選作にもなりました。カンペーくんは勢いでSIGGRAPH講演まで実現しちゃいました。

神様を味方に

連続で襲ってきた巨大事故も、堂々とオープンに展開したおかげで、一気にいい風が吹き込んできました。

Macromediaのイベントに登壇できることになり、そこで日本の歴代Webクリエイター最高峰(才能も身長も)のMarcos Weskampに出会い、仲間になってもらえました。また同じ場で、電通の佐々木(康晴)さんにも出会えました。今はすっかりえらい人ですが、当時からhi-resやTOMATOなど世界の先端デジタルクリエイティブブティックと一緒に、Webクリエイションの次元を上げようと奮闘してました。

この出会いのおかげで、それまで離れていたクリエイティブとビジネスが一緒になって、一気にアウトプットのチャンスが広がりました。当時IC局に席のあったヒロキくんや木谷さんも合流し、この後数年に渡り、アウトプットしまくり、世界のアワード荒らしと化しました。ちなみに康晴さんとつながった理由は、すでに神的存在だった勇吾さんが「このイベント会場で一番面白いチームはバスキュール」と伝えてくれたから…と聞いてます。

ここで言いたいのは、単なる幸運話ではなく、次の世界を模索しているのは自分たちだけじゃない、ということ。意義のあるビジョンや課題意識そしてそれを示すアウトプットがあれば、自分たちより力がある人や先に行っている人がきっと評価してくれるはず。能力がある人はアンテナも強力なので見つけてくれるし、器量もあるので応援だってしてくれるかもしれない。能天気に聞こえるかもしれないけれど、未踏地に挑む冒険者にとって大事なポイントだと今も思ってます。

といいながら、すぐうまくいったかというとそうではなくて、実は広告の仕事で潤うようになるのはブロードバンド環境が整い始めた2004年くらいから。

2003年は会社をあげて、当時のFlashエンタメサイトではNo.1だったshockwave.comという会社との協業で、Ottiki(会社の入り口の木像ね)や挟撃というマルチユーザーゲームをつくってました。言わずもがなで、この圧倒的に早過ぎたチャレンジは億近い経済的損失を生むんだけど、自分たちのイメージしていたアウトプットを世に出せる喜びの方が勝ってました。

その姿勢はバスキュールへの評価も生み出し、ついにやってきたデジタル広告クリエイティブを求める潮流に初めから参加することになります。東京インタラクティブアドアワードという国内最初のデジタル広告賞が生まれたのもこの時期。バスキュールはその1回目からこのshockwaveのためにつくったバナーで入選します。また、この後6年に渡って社内のテクノロジー&クリエイションを注ぐことになるポケモン社との出会いもやってきました。なんとファン向けeCRMサイトの相談。縁だよね。

宇宙と未来のニューヒーローを目指そう

予想通り超絶長くなってしまったけど(脱線もたくさんあった)、ここまでが会社をつくって丸3年くらいのエピソード。

それから17年。とりまく環境はさらに激変しました。SNSやスマホが登場し普及するその一方で、Flashは終了。ネット技術はブラウザやデバイスを超え、街へ日常へ浸透していきました。主要なアワードからデジタル部門も消滅し、狭義のWebクリエイションが大げさに評価されることはもうないでしょう。

2019年のバスキュールの売上のうちWeb制作の占める割合は15%。一方で全体としては過去最高売上。リアルワールドへ浸み出したネットを活用した前例のないものづくりが、評価される時代がようやく整ってきました。

今のサイトからは落としてしまったけど、2005年に作った長いFlashサイト時代に、会社のキャッチフレーズを掲げています。

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派手というか普通ではないクリエイティブを仕込んだサイトなので、この言葉の存在も知っていると思うけど、その下にある小さく書いてある英文を読んだことあるかな?

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宇宙は宇宙でもデジタルスペースのことを言っていたんだよね。そして未来は次世代の子供たち。超デジタル技術満載だけど、誰のためにつくるの?といったら、時代の先輩として子供たちに喜んでもらえるもの、夢中にさせてしまうものをつくりたいよね、というメッセージでした。もしそんなコンテンツがつくれたら、きっと子供達からヒーロー、ヒロインと思われちゃうね。と突然、綺麗ごとを書いたわけではなくて、ポケモン仕事での気づきがこう思わせてくれました。

ヒーロー&ヒロインへのお願い

前例のないものづくりって、ものすごいストレスです。

そんなとき大切にしたいのは、家族をはじめ身近な人が楽しんでくれるかどうかという評価軸をもつこと。

もちろん自分の好き嫌いを大事にしてもいいのだけど、新しいトライの前では結構吹っ飛んじゃうんだよね、好みって。一方で「大義」じゃ大げさなので、「大切な人をイメージする」くらいがいいかなと。また、困難を前にすると、ロンリーハートな気分になります。でも、すぐ隣に仲間がいるので、なんでもオープンに相談しあいましょう。

以上、「We're LONELY HEARTS CLUB BAND」という長文エントリーでした。20周年を迎える2020年。集大成ともいえる巨大プロジェクトが待ち受けてますが、ともに楽しんでいきましょーー!

最後に、仲間募集です!

うち向けのエントリーですが、最後まで読んでくれた外部の方もいるかもと期待して…

以前のサイトのキャプチャーで恐縮ですが、未踏の地へともに踏み出してくれる仲間を全職種で募集しています。

働き方も自由なので相談しましょー!

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