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第22回放送「国語の専門家に聞いてみた♪③ー言葉が広がる、言葉でつながるー」をまとめてみた!vol.2📚

こんにちは🌤ボケットです。

3学期も残りあとわずか!!

子どもたちが「実りある1年間だったな〜😊」と振り返られるような「学年まとめ」を展開していけたらいいな、と思っています🌱

さて、今回は、ケイちゃん先生の「国語シリーズ」、いよいよ最終回です!!
(第22回放送「国語の専門家に聞いてみた♪③ー言葉が広がる、言葉でつながるー」:2020/8/7)

「国語シリーズ」は内容が濃かったため、1回の放送を前半と後半に分けてまとめていましたので、「まとめ」自体は計6回となりました🙌

「詩の授業」に可能性を見出しているケイちゃん先生ですが、最後に「詩の書かせ方」について語ってくれています💡

今回は一体、どんなことを語ってくれているのでしょうか??ぜひ、お見逃しなく!!

⑴文末を体言止めにする「詩の技術」📝

みなさんは、子どもたちに「詩」を書かせる時、どんなことを大切にしていますか??
「詩」の書かせ方って、意外と難しいですよね😧

一応、指導はしてみるものの、
その子の感性や感覚に頼ってしまうことが多い!!

(というのは、僕だけ??)

そして、「あまりうまく書けていないな」という子には、
「ここはこうしたほうがいいよ」などという、教師の意図が多く入ってしまいがちです汗。


ケイちゃん先生曰く、
「詩を書くには、作者(子ども)にギュッとくる感動がないと上手く書けない」
そうなんです💡

詩の世界って、アーティスティックな一面も持っていますから、やはり、「ギュッ」とくるレベルの感動って必要なんですね😧

「そういったものがないと、ただの言葉の羅列になってしまう」(by ケイちゃん先生)

やっぱり、ただの言葉の羅列で「書いたー!」っていう子も中にはいますよね💦

「ただ、子どもはまだ、そういった感動を短い言葉で伝えることができない場合があります。であれば、一個の技術を身に付けさせてみる、というのはアリだと思います💡」(by ケイちゃん先生)

おぉー。なるほど😲

では、その技術とは、一体どんなものなのでしょう??
教えて!ケイちゃん先生!!


一番最後を『体言止め』にしてみる、という技術があります。それだけでも、伝え方は変わりますね💡」


おぉ。一番最後を「体言止め」!
つまり、詩の文末に当たる部分を「体言止め」にしてみるということですね!


「詩を書くと、子どもたちって、『説明』みたなものが始まってしまう時があります。『○○が○○だよ。』『○○が○○です。』みたいな」(by ケイちゃん先生)

あー、それ、すごくわかりますね。
子どもからすれば「詩=短い文」みたいな所があるから、「短い文で様子を説明しがち」になりますよね💧

「でも、『です。』みたいな文末表現を取ってみるためには、『体言止め』は一個の手段としていいんじゃないかな、と思うんです。多分、要らないものを削除してみるという点では、作文指導にもつながるものと思いますし💡」(by ケイちゃん先生)

なるほど。作文指導でも要らないものを削除して、よりわかりやすく、伝わりやすい文章に「推敲」させてみたりしますもんね!「文末を体言止めにする」という詩の技術を教えることは、そういった所にも繋がっていくんですね😆!

⑵体言止めの授業 〜一人一人が感じる「〜のような雨☔️」〜

では、ケイちゃん先生は、実際にどのような感じで「詩の体言止め」を教えているのでしょうか??

まず、ケイちゃん先生は「体言止めを教える」導入の授業として、
「雨」の授業を行うそうです☔️

「『雨で何を感じる??』というのが、第一歩目となります🌂」(by ケイちゃん先生)

「雨」かぁ。まず、「パラパラ雨」が思い付くなぁ〜。あとは、「ザァーザァー雨」かなぁ〜。

「表現の最後に『雨』というのを残すと、『体言止め』になります💡『〜のような雨』みたいな感じですね👍」(by ケイちゃん先生)

あぁー。なるほど。それなら、すんなり子どもの中に入っていきそうですよね😀

「『〜』はその子が感じたことになります💡例えば、『やりのような雨』と書いた子がいましたね!笑」(by ケイちゃん先生)

おぉ😆それは、面白い!!「雨」を「やり」で表現するとは!!

「そうすると、そこで他の子どもたちに『やりのような雨』の感じ方が発生するんですよね🌱どんな感じの雨なのか。

例えば…、『やりのような雨』って、
・刺さるくらい強いんじゃない??😮
・糸を引くくらい筋みたいにに見えるんじゃない??😀

とか。

そういう風に周りがなったら、詩の表現として、「あなたは感じたことを言葉で伝えられたんだよ」と評価できる💮」(by ケイちゃん先生)

面白いですね!

「やりのような雨」っていう表現自体も面白いですし、
「やりのような雨」の感じ方を伝え合うということもとても興味深い✨

そして、こういった中で「体言止め」が、
子どもたちの中で「詩の一つの有効な表現技法」として獲得されていくわけですよね☘️

授業構成の面から考えても、非常に有効な獲得のさせ方ですよね〜。

「日本語には、実は『雨』と『風』の種類の言葉が大量にあります😌例えば、『五月雨』をとりあえず、辞書で引いてみる。それを『自分で表現するなら「〜のような雨」かな』、とか考えて変換させていくことが大切かな、と思います☔️」(by ケイちゃん先生)

いいですね〜。たしか、日本人って「雨」や「風」の感じ取り方をとても大切にしてきたんですよね💡「侘び寂び」みたいなものですかね〜🍵

そういった感じ方や文化を現代の子どもたちにも、現代の子どもたちなりの解釈で深めていくことも、また風情がありますよね✨

(もはや、「詩の授業」から日本語文化論に発展してしていきそう😲)

「わからないからこそ、国語は面白い。感じ方や獲得しているものが一人一人バラバラなので、だからこそ、授業としてやる意味がある」(by ケイちゃん先生)

本当にそうですね!

一人一人バラバラであっていいし、だからこそ、それを「伝え合うこと」に「面白さ」を見出していきたいですよね😆✨

⑶詩を作る時の辞書を使わせるメリット☘️ 〜「語彙」と「語感」の獲得〜

ラジオ動画では、この話を聞いて僕創先生がこのような質問しています。↓

「辞書を言葉で探しながら詩を書かせる時、表現したいことを『元から獲得している言葉から選んで表現する子』『辞書から選んで表現する子』といると思うんですが、こういった場合は、結果的にはこれら2つを『織り交ぜながら作っていく』ほうがいい詩はできるんですかね??🤔」

たしかに。こういった2パターンは詩の授業の中に見られる光景だと思うんですが、織り交ぜながら作っていったほうがいい詩はできるんでんすかねー😧

教えて!ケイちゃん先生!!

「感動がうまく言葉として出ないことって、人間、結構あると思うんです😌頭で思い浮かべたこの半分か8割くらいしか言葉として出ていない。書こうとするとそのパーセンテージはもっと低くなる⤵️」

僕も頭で思い浮かべたことの半分くらいしか、実際言えてませんねー。笑

この点↑については、このまとめの「国語シリーズ」が始まって以来、ケイちゃん先生は何度も言ってきたことですね✨「最終的には、自分の思ったことや考えたことが「言葉」として、相手に100%届くようにしたい」と。

「だからこそ、『語彙の獲得』自体は必要なので、そういった意味で辞書は必要だと思うんです☘️」(by ケイちゃん先生)

「語彙」自体が少ないと自分が思ったことや考えたことは相手に伝わりづらいですから😣つまり、「語彙の獲得」という意味で詩を書かせる時に辞書を引かせる必要性はあるということですね💡


でも、ラジオ動画を聞いていると、他のメリットもあるみたいなんです。↓

「また、詩を書く際に辞書を活用するメリットとしては、『語感』というものにも関わります🌀」(by ケイちゃん先生)

お!なんだか、「語感」というキーワードも出てきましたよ!!

「例えば、『五月雨』という言葉ですが、言葉に出すだけでかっこいいですよね👍『時雨』なんて、言葉を使えるようになったら、一流になった感じもしますし☔️」

たしかに!「五月雨」とか「時雨」って言葉はなかなか普段使わないですけど、使えるようになったらかっこいいですよね😆

加えて、
「詩を書こう」という目的意識があるからこそ、こういった言葉も合わせて獲得しやすい!!

詩を書く時に辞書を使わせるメリットって、結構あるものなんですね😲!!


「さらに言えば、そういった『文字と音の力』を使いながらも、そこに自分の表現をどう付け足していけるか?!これを吟味させるのも面白いですよね😆」(by ケイちゃん先生)

おぉ!

「五月雨」とか「時雨」みたいなかっこいい言葉を使いながら、さらに、そこに自分の表現を付け加えるということが「詩の創作」になるんですね!!すごい!!


「例えば、
・どこの位置に配置する??
・中でこの言葉を使う??
・いや、最後に持ってくるべき??

など。自分の伝えたいこと次第で、考えることは山ほどあります💡それが『自分の伝え方、表現方法』になりますね!😆」(by ケイちゃん先生)

ほんと、その通りですね!!

短い文だからこそ、いかにして相手にどう伝えたらよいかを熟慮することができる。「詩の創作の授業」って、国語教育的にこんなに魅力的なものだなんて、思ってもみませんでした!!🙌

⑷「『自由』だよが一番☘️」 ~ケイちゃん先生が伝えたいこと~

最後に、「国語シリーズ」のまとめとして、僕創先生がケイちゃん先生に質問しています。↓

「詩の授業を通して、こうなって欲しいという子ども像はどんなものですか??」

ケイちゃん先生は、この質問に対して、次のように答えています😌

「ためらいなく表現できる子どもであって欲しいですね😃間違ってでもいいから言葉として出して欲しい

素敵ですね☘️「ためらいなく」か…。僕は躊躇してしまうことが結構あるな…。

「思いや考えを言葉に出すということは難しいことだと思うんです。『もしかしたら、違うかも…』なんて思うと、喋ったり、書かなくなったりしてしまう」(by ケイちゃん先生)

そうですね…。「違うかも…」って思うと、言葉にしなくなったりしますよね…。

「でも、喋らないと相手に伝わらないし、そうなると、今度は相手側の方がわざわざ読み取らなくてはならなくなってしまう。そうすると、コミュニケーションって、阻害されてしまいますよね😢

だからこそ、心にあるものを表に言葉として出させてあげたい🌈

社会の中でも「出せない」という人はたくさんんいるはず。

そういった人や、そういった子たちの一手段として、
「書く」が出てくるように、「話す」が出てくるように、「言葉」が出てくるように、

そういう風にしてあげたいですね😌✨

何よりも『自由だよ』が一番かと思います☘️」

(by ケイちゃん先生)

😭🙌✨😭🙌✨😭🙌✨


今年に入ってから、計6回に渡って、ケイちゃん先生の「国語シリーズ」をまとめてきました。

「国語」という教科は、小学校の先生なら、毎日1時間は必ず行う授業です。

そういった意味では、小学校教師にとって、国語は「当たり前」のものでもあるし、
そもそも、国語は、ケイちゃん先生が仰られてきたように、
「日常生活に『当たり前』にあり触れすぎている『言葉』」というものを扱う教科でもあります。

そういった「当たり前」を「当たり前」のもとしてはない見方で見てみる。

ケイちゃん先生のように、「国語」をよ〜く観察してみると👀、

人間生活にとって、何よりも大事な「言葉」というものを、
一人一人の子どもたちにどのように獲得させていくか。

国語は、そういった、【人間としての発達】に関わる、
とてもとても重要な教科であるということを再認識させられました😌

国語って、こんなに興味深い教科だったんですね!
そして、まだまだ、深めて進めて行ける道は、ずっとずっと続いている!!🗺

一人一人が「自由に表現」して、自身の世界を広げて行けるように🌏、

僕自身も精進していきたいと思います😃


以上、ケイちゃん先生による国語シリーズ、
「国語の専門家に聞いてみた♪ー言葉が広がる、言葉でつながるー」のまとめでした!

みなさん、いかがだったでしょうか??

次回からは、新たなシリーズのまとめを行ってきますので、みなさん、今後ともよろしくお願い致します🙇‍♂️✨


記事を見て「ラジオ動画を視聴してみたい!」と思った方は、
Facebookグループ「僕創とスッチーの二人語り」へ。

放送は「10分×3回」程度が、毎週末に更新されています!


また、こちらのマガジンでは、YouTubeラジオ動画「僕創とスッチーの二人語り」のまとめを行なっています!気になった方は、ぜひ、覗いてみてくださいね🌱

では、また!

(2021/3/14:ボケット)

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