もう一人の師匠は今、デイトレーダーらしい。

コピーライターの多賀です。前回、勝手に「師匠」と思っているコピーライターのTさんの話を書きましたが、今度はもう一人、私が勝手に「師匠」と思っている方の話を書いてみたいと思います。

1. オランダとサッカーとWWEが好きだった。

その方は、Sさんといいます。前述のTさんが私の常駐先だった埼玉・大宮の事業所に赴任する前の1年間、役職名は異なりましたがTさんと同じマネージャー的なポジションで働かれていました。コテコテの関西人で、常駐先の企業が世を騒がせたとある事件の発生した翌年に新卒入社したという方でした。大宮の前任地が石川・金沢にある事業所でした。実はこの「金沢」というのが、ここで私が今後書くであろうコンテンツに大きく影響を及ぼすことになるのですが、それは私がそのコンテンツを書くまでのお楽しみ、ということで。Sさんの話に戻りますが、懐かしの動物占いでいうと「ペガサス」という、束縛されることがとても嫌いなタイプで、オランダとサッカーとアメリカのプロレス団体「WWE(当時はWWF)」が大好きなことが印象的な方でした。

2. 一人ひとりの強みと弱みを言い当てる。

「束縛が嫌いな自由人」なSさんですが、自由であるためには責任が伴う、ということを常に意識されている、言ってみれば「常識人」でした。クリエイターと呼ばれる人にはあまりいないタイプと言えるかもしれませんが、「常識人」ゆえ、Sさんが組織からミッションとして与えられていた私の常駐先の制作チームのマネジメントも、実に「常識人」らしいスタイルであり、同時にチームのメンバーに「やる気」を出させる手法でもあったのが、私にとっては大いに「学び」になりました。

では、Sさんがどんなスタイルでマネジメントをしていたかというと、一言で言えば「メンバーの一人ひとりと向き合う」マネジメントでした。Sさんの赴任から一カ月ほどが経過した頃、チームのミーティングにひと綴りの書類をメンバーに配布しました。そこには一カ月の間、私も含めたメンバーの一人ひとりを観察し、それぞれどこが強みで、どこが弱みなのかが記述してあり、その弱みを克服していくためにこんなことをしていったらいいんじゃないか、という課題が列記されていました。その内容は実に的を射たもので、私などは「どんな大変そうな営業マンからの相談でも快く引き受けるその姿勢は称賛に値する、しかし引き受けすぎてキャパオーバーになってしまい、原稿内のケアレスミスや納期遅れをすることが多いから、そうならないようにどうすればいいかを一緒に考えよう」と、当時の私が心の底で「どうしたらいいのかな」と課題に感じていたことを言い当てられていました。そリャあもう、人の言うことにはなかなか耳を貸さなかった私も「Sさんの言うことは聞こう」と思うようになるのも、不思議はありませんよね。

3. 一人で抱えてしまったことを、怒鳴られた。

そんなSさんに一度だけ、怒鳴られたことがありました。前述のように「Sさんの言うことは聞こう」と思ってはみたものの、やはり私にはキャパオーバーになるくらいに営業マンの相談や要望を聞いてしまうクセがありました。今から振り返ればわかるのですが、当時はまだ30代に入ったばかりの若い頃で、どこか自分に自信が持てておらず、「相談や要望を聞かなかったら干されるんじゃないか」「仕事がなくなるんじゃないか」という強迫観念があったように思います。そんな私のクセがなかなか治らないことも、Sさんは折り込み済みで、キャパオーバーになる私のことを「またか(笑)」くらいの温度感で優しく見守ってくださっていました。しかしながら、その一度だけ怒鳴られた時は、私がキャパオーバーになって、対応しきれなくなった案件の量が、Sさんや他の制作チームのメンバーではフォローし切れないくらいのものだった、と記憶しています。「そこまでいっぱいいっぱいになる前に、なんで相談せんかったんや!」というような怒鳴られ方をしたような気がします。誰かを頼る、助けを乞う、というのは、自分の許容範囲を知らないとできないことであり、むしろそれができるようになるということは、自分を知ることができた、ということでもある。つまり人間としての成長を遂げられたことになる、と気づけたのは、Sさんに怒鳴られてから何年も先のことになります(苦笑)。でも何年か先ではあるけれど、そう気づけたのはSさんに怒鳴られたからだ、とも思っており、今でも私はSさんに感謝の念を抱いています。

4. 「自由人」は「昔は良かった」とは言わない。

そんなSさんが1年間の勤務を終え、異動になると聞き、私はチームのみんなに「お別れ会をやろう」と提案しました。みんなに異論がなかったのは、前述のようにSさんが私たち一人ひとりに向き合ってくれたからだったのではないか、と思います。Sさんは関西出身だし、埼玉には何の縁もないし、私も含めたチームのメンバーもほとんどが埼玉には縁がない人たちだったので、せっかくだから埼玉らしいお店でお別れ会をやろう、とうなぎ屋さんを探して予約したのを覚えています。余談ですが、同じ埼玉でも大宮近辺にはうなぎ屋さんはほとんどなく、浦和近辺だと名店と呼ばれるお店が多い、ということに気づかされた次第です。うなぎを中心とした川魚料理のお店だったのですが、うなぎとともに鯉の料理も何品か登場し、鯉コクを食しながら、当時のオランダ代表にいたフィリップ・コクーが好きだったSさんは「鯉COCU〜」と、「コク」の部分を「COCU〜」と発音するのが気に入って、何度も何度も繰り返していたのが面白かったです。

そんなSさんですが、今では私の常駐していた求人情報大手を退職し、その際に社員持株制度で取得していた株を売却して、そのお金を資金に自宅でデイトレーダーをやっているらしい、という話を風の噂で聞きました。「常識人」であり、それゆえに「組織人」としても振る舞っていたSさんですが、おそらく「組織人」でなくなった今はただただ、ひたすらに「自由人」でいたいと思われているのだろうと想像しています。「組織人」だった頃に関わった人たちと「昔は良かったなぁ」などという会話を交わすのは、おそらくSさんの流儀とは相容れないものではないか、と考えているので、今では私から連絡を取ったりすることはありません。何かの拍子に、この記事を読まれたら「多賀くん、余計なこと、書かんでええわ」と言われるような気もしますが、自分の備忘録的な意味合いも含め、ここに改めてSさんへの感謝の気持ちを表しておきたいと思います。

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