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私と母と、1という数字

私の人生に深く関わる数字、1。
私の誕生日は11月11日。
そして私の母の命日は1月1日。

私の産まれる予定日は11月4日だったのだけど、母のお腹に閉じこもって中々出てこず、自ら時を待っていた様に予定日の7日後の11.11を選んで産まれてきた。

母は末期癌で12月25日に意識が無くなったのだけど、医師が今夜逝ってもおかしくないと宣告した聖夜を乗り越え、時が訪れるまで頑張っていたかの様に7日後の1.1を選んで息を引き取った。

そして今日、祝うべき笑顔がもういない事を初めて実感させられる母の誕生日を迎えた私はふと考えている。1について。

私が予定日を過ぎても産まれる気配がなくて母に心配をかけた日数と、私が病院からいつ訃報が来るかと気が気じゃなかった日数が丁度同じだった事で、私達母娘は奇遇にも生と死に記録される数字が1繋がりになった。

1って不思議な数字だと思う。素数じゃないけど、素数に唯一関われる小さい数字。
それは、自分に干渉出来るのは自分だけって思い込む人に、私も側にいるよって言うようなほんのりした存在な気がする。
だって素数の事を、自分自身でしか割り切れない孤高の数字と勘違いしている人が結構いるけど、素数は自分と1の二つの因数しか持たない数字のことだから。

1の日を選んで亡くなった母は、我の強い人間にもそっと寄り添う人だった。私が自分でしか解決出来ないと思う問題に出会った時も自然に答えへ導いてくれる様な存在だった。
1まみれの月日を選んで生まれた私もそんな存在になれたら素敵だと思う。

母に直接おめでとうを言えない母の誕生日でも、絶対無敵の1になった母は私の心を一人にさせないでいてくれる。

「26時に待ち逢わせ」 アクリル画
遺骨を絵の具に混ぜ込んだ絵を描くことが
母が絵描きの娘と交わした生前の約束でした。

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