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ここからぬけだしたい

高校生の頃から、そんなことをずっと思ってきた気がする。
それが自分の動力になってるとも。

地方の高校生だった頃、登校拒否で授業には出ず美術準備室に入り浸ってた。
何をするわけでもなく、ダラダラと過ごしていた割には、「東京に出たい」とだけ思っていた。

海外のどこかの国よりも、東京へ行きたい。といって、クラスの笑い物になったりしていた。

大学生になって、恐ろしく学校がつまらなかったので、数日通っただけで、編入学とか考え始めていた。
別の大学に行きたい。

が、サークルに夢中になって、大学ではなくサークルのために4年間通った。


就職して、2ヶ月足らずで会社を辞めた。
氷河期でぬけだしてもどこへも行けない。
そもそも最初の会社が、今でいう昭和のブラック企業。この氷河期でも大量採用していたが、大量に辞める人が続出していた。

職安とバイト先を往復しながら、ここからぬけだしたい。そう毎日思っていた。

探せばいいところが見つかる時代でもなく、職を転々とせざるを得なかった。
ぬけだしたつもりが、次の沼だった。

そしてまた、ぬけだすために、足掻き続ける。



高校生の時に、ぬけだして行きたいと思っていた東京にたどり着いた。

ぬけだした先は終着地でもなく、パラダイスでもなかった。

大学を卒業して6年さまよった先に、職種としては「エンジニア」という肩書きになっていた。


ここからぬけだしたい、は数年ごとにやってきた。
今度は、少し違う、ぬけだしたいだ。その先の何かをつかみにいくために。


そして20数年が経った。


私は、今日もここからぬけだしたい、ここからぬけだす、と思ってパソコンと向き合う。


今は、自分の会社を経営している。
経営しているが、自社で事業をやっていない。
自分の時間と能力を切り売りしてなんとか収益を出している。


収益すら出せない赤字ばかりの時は、
通帳の少なくなる残高、自分が売れもしない現実に直面して、ここからぬけだしたいと切に願った。

ここからぬけだしたい。


足掻くだけ足掻き続ける人生。
その先はあるのかわからない闇に向かって

そして、光があれば、そのさきに闇がある。

半世紀生きていても、懲りていない、学習していない。


だけど、


目を覚まし、生きているだけで、光がたくさんある。
何かができる。



今日も、明日も、ずっとあがこう。

ここからぬけだすために


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