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社会人Dr.コースで学位を取得した話(1)

2011年9月に、某旧帝大より工学博士の学位を授与されました。その当時の、震災も含めた苦労話や想い出話を書いていきます。もう10年以上前の事なので多少思い違いがあるかもしれませんがご容赦ください。話数未定ですが、全話無料です。
なお、大学や会社に迷惑がかからないよう、専攻名など色々と伏せております。

始まりは技術相談

当時在籍していた部署の、とある開発案件で、半年に1回位の頻度で、某大学のとある先生のところに相談に通っていた。入社して15年ほど経った頃の話だ。
先生の「こうしたらいいんじゃないか」のコメントに対して、実際に「こう」してみて、その結果どうだったかを約半年後に報告に来てまたアドバイスを頂く、と言ったサイクルだった。

そんなある日、雑談の中で先生が「社会人ドクターコース」の話題を話し始めた。なんでも、社会人が学位を取るときの仕組みとしての「論文ドクター」ってのが無くなって、「社会人ドクターコース」に入学しないと学位を取れなくなったそうだ。

社会人ドクターコースとは?

論文ドクターというのは、入学しないで、学位論文をまとめて審査に受かれば学位が取得できる、という仕組みである。金銭の負担も軽度で済む。周りで学位を取った人は大抵これであった。
それが無くなると、社会人が学位を取る場合は必ず、社会人ドクターコースで大学院に入学して審査を受ける必要がある。入学金も授業料も単位も必要になるのである。うろ覚えだが、入学金100マン¥程、授業料年間100マン¥位だったように思う。
その頃はまだ、「フーン。そら大変な。でも、あっしには関係のねえこって。」なんて思ってた。

そんなある日、先生から、社会人ドクターコースに入って、学位を取ってみないか?とのお勧めがあった。(何年後かに人伝に聞いた所によると、この時していた技術相談の中身が、"スジが良い" かったらしい)

マヨイからの決断

私は、高2の時に、父が経営してた工場が倒産した事で、実家に仕送り(当時、寮費、保険代、組合費引かれて手取り8〜12マン位のところ、4マン程を援助)するために大学に行かずに就職していたので「いやいや、私は学歴が無いですし〜(大汗 」とお断りしたのだが、「要は修士相当の実力があると認められればよい。あなたなら問題ないだろう。私が一筆書いて何とかします」との事であった。
う〜ん、何とかすると言われても…

その時に聞いた概要は、、、
まず入学のために研究内容とその見通しについて60分程のプレゼン(これが院試という扱い)して、認められれば晴れて入学となる。
入学後は何度か授業に出てレポートを提出して単位を取得する必要がある。
そして、先生と中身を相談しながら論文(当然英語)を3つ書くこと。
また、計3回(中間審査、予備審査、本審査)の60分だか90分だかのプレゼン(これが試験に相当)に合格すること。
さらに、それらの結果を学位論文(日本語でOK。100ページ超)としてまとめ、認可される事。
これらを全て満たして、晴れて学位取得となる。
普通に働きながら、大体月に1回は大学に来る算段だ。
自分(先生)が担当教官となり、その他に2名の副審査役の教授が付くとの事だ。その全員を納得させる論理的説明力と深い知識が求められる。
とのこと。

…さあこれは大変な事になったぞ。無下に断る訳にもいかないし、かと言って自分に出来るのか?
…まあ失うものは無いし(実際には100マン¥超のお金が失われるが)チャレンジしてみるか!
当時は、いや今もだが、お金の事は奥さんに任せきりだったので金銭的に大丈夫かどうか分からなかったが、気付けば「ぜひお願いします」と頭を下げていた。

え!? 1年で学位を?

通常、博士課程後期は3年。
なのだが、「授業料もかかるし、1年で取ったらいい。大丈夫、できるよ」と、先生。入学前に論文1コ出して、在学中に2報目掲載、もう3本目は投稿まででよい。私が責任持って掲載まで漕ぎ着けさせる旨を一筆書くから。あとはプレゼンと、学位論文を書いて、単位落としたりしなければ1年で取れる。今からだと最短で10月入学の来年9月卒業だね。との事。
いやいや、センセ、それはちょっと無茶振りでしょ!?と思ったが、流石教育者。不思議なもので話を聞いていると何やら自分にも出来そうな気がして来て、すっかりその気になって、願書一式を頂いて鼻息荒く帰ってきた。

帰宅して、奥たまに学位取りたいと話した。でも、入学金と授業料で100マンほど(半額は会社が補助してくれる)かかるんだけど、と。そしたら即答で、100マン位なら大丈夫!と、快く賛同してくれた。(えぇぇ、いつの間に!どこに貯めてたんだよ!?)

モタモタしてたら自分で自分のブレーキを踏んでしまいそうだったので、深く考えずマシーンになって願書を書いて、さっさと郵便で送ったのであった。
ここまでが始まりである。

(つづく)

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