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社会人Dr.コースで学位を取得した話(2)

まずは投稿論文一報目


まず、投稿論文×3本については、先生と相談して、一報目は実験方法の工夫、二報目はそれを活かした実験について、三報目は実験結果の活用、にしようと、方針が決まった。この3報を和訳して繋げて膨らませれば学位論文が仕上がるという寸法である。幸いな事に、私の会社では論文が業務の成果として認められているので、業務として執筆にあたることができた。
一報目の実験方法については、これまでに先生に相談しながら進めて来た事だったので、早速書き上げて投稿した。
と、サラッと書いたが英語論文は初めてで大変だった。この6年後には、林先生で有名な某T進スクールの TOEIC 800点コースに遠隔で通って800点ジャストをマークする事になるのだが、当時はまだ英語力が貧弱だったのである。「コ○ャ英和」とかいう翻訳ソフトを買ったがまるで役に立たず、英和・和英辞書ソフトの「英辞郎」が大活躍した。
今ならAIに命じればいい感じに英訳してくれるんだろうか…いやイカンイカン!

院試へ向けての準備

さて、お次は院試の準備である。
院試に向けてまずした事は、「勉強」である。「勉強」と言っても、教科書を読むだけの事ではあったが。
(1)に書いた通り大学には行ってなかったが、企業内大学に通って、給料を貰いながら1日2時間×4コマ×15ヶ月間学んだし、15年以上の研究開発の経験もあった。だけど、実務的な知識はともかく、基礎の所が不充分かもしれないので、院試のプレゼンの質疑応答に耐えられないかもしれん、と思ったのだ。

昔々はお目当ての教科書を探すのにも苦労したろうが、2010年だともう某通販サイトがあったので、良さげな教科書を何冊かポチった。そして、土日も肌身離さず教科書を持ち歩いて、とにかく基礎から頭に叩き込んだ。これはさほど苦痛でなく、それどころか「ああ、そういう事だったのか!」という気付きが沢山あり、わりかし楽しかった記憶がある。

あとは肝心のプレゼン資料だ。これまでの技術相談のお陰で、この時点で必要なデータは全て揃っていたので、「最後の考察の所を在学中にやります」というストーリーにする事にした。
それまでに社内向け報告書を何報も書いていたし、10回以上学会発表をしていたため、絵やグラフなどの素材には困らなかった。
スライドは60枚程度の仕上がりだったと思うが、既存素材を切り貼りして、全体のシナリオ構成を整えた程度だったように思う。プレゼン資料は事前に先生に確認していただいたが、少し修正した程度で済んだ。これまでの技術相談のおかげで、先生がデータもストーリーも把握済み、ってのがかなり大きかったと思う。

そして、院試へ

そんなこんなで迎えた院試の日。やたらと蒸し暑い日だった。前泊して何度も何度もプレゼンの練習をして臨んだので、時間配分もバッチリで、質疑応答も特に困った記憶が無いので上首尾だったのだろう。

後日、合格したとの連絡を頂いた。まずは一安心である。家内も我が事のように喜んでくれて、その姿を見てさらに嬉しくなったし、一層頑張らなきゃ!と思った。

ちなみに、学部の方の院試はプレゼンに加えて筆記試験もあったそうだ。さぞかし大変な事だったろう。。。

さてさて、これでやっとスタートラインに立てただけな訳で、本当の勝負はこれからなのであった。
そして、誰もがそうだったとは思うが、ここから半年とちょっと後に、1000年に一度と言われる大地震が襲うなどとは夢にも思ってなかった…

(つづく)

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