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音ゲー観

皆さんは、上手くなりたいと思って音ゲーに取り組んでいますか?

ゲームなどにハマったら「上手くなりたい」と一度は思うはず。
しかし思ったように、あるいは他人のように上手くいかず、やがて苦痛を感じるようになり、
ゲームから離れたり、現状維持で良しとしてしまったり。

好きな事を、成長が見込めずとも現状維持レベルでも続けていられるくらい好きであるという考え方。

好きな事ですら、好きだから別に上手くなくてもいいという言い訳にして向上しないという見方。

最終的にやってる本人の心が満たされてればどっちでもいいと思います。
たとえばふだん仕事に張り詰めて取り組んでいるから、
休日は好きなゲームのEASYモードをまったり1周するのが日課、みたいな。

休日にレジャーやスポーツを楽しんでる家族とかが、
「先週より5分速く走るぞ!良い休日にしよう!!」などと
毎回ストイックに目標設定をしてるとも思えない。(してたらすみません)

自分はレジャー的な考えに若干近かった。

ゲーセンで遊ぶのが音ゲー以前から昔なじみだったので文化を守りたい(??)みたいな気持ちがあるのと、
ゲーセンの音ゲーにフィットネス的価値を感じており、
休日に外出できるうえに身体動かせて
飯もロクに食わずに済むし(食うと調子落ちるまである)
あと、音ゲーは対戦ゲームのように他人と競う要素がない事も大きいだろう。
FPSだったらお荷物として叩かれるのが目に見えてる。
そう考えるとゾっとする。

ゲーセンで音ゲーで身体動かせさえすれば
上達は二の次で大きな目的は達成されている、
と思っているフシがあった。(ある)

EASYモードでも本人が楽しければ全然いいのです
問題は、本当はNORMALやHARDがクリアしたいのにできない、
それでもゲームが好きだからEASYでもまたやる、
それくらいこのゲーム好き。
それはいい、いいんだけど本当はどうなの?
みたいなモヤがあるのだと思う。

NORMALクリアという大きな目標があるなら
それにむけた小さな目標を作っていこう、とかよく聞くが
あんまり意識できずに今まで生きてきました。
生きたい

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