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33_「見よ、わたしはあなたを精錬し、苦難の炉の中であなたを選んだからである。」(1ニーファイ20:10)

ニーファイは、真鍮の版から預言者の言葉を引用する一つの理由として、「主なる贖い主を覚える」(1ニーファイ19:18)ためであると述べています。そして、この聖句(20:10)を引用して、主をいつも覚えて頼るならば、苦難や試練に遭遇しても、主によって祝福を受け強められると述べています。
 
D・トッド・クリストファーソン長老は次のように語っておられます。

「神の助けがあれば、究極的に苦痛は慰めに、混乱は平安に、悲しみは希望に取って代わります。神は、試練を祝福に変え、そしてイザヤの言葉で言えば、「灰にかえて冠を与え」(イザヤ61:3)てくださるでしょう。主の約束は、…苦難の中にあるわたしたちを守り、慰め、わたしたちの益のためにそれを聖別してくださることです。」

(D・トッド・クリストファーソン「苦難という精錬の火」『リアホナ』2022年3月号, p.7)

ダリン・H・オークス長老も、苦難が同様にわたしたちを精錬し、清めることができると教えておられます。

「わたしたちのほとんどは、『苦難の炉』と聖文中に呼ばれている状態をある程度は経験しています(イザヤ48:10; 1ニーファイ20:10)。障害を持つ家族の世話をするために全生活をささげている人もいます。愛する人の死を経験する人、あるいは、結婚や出産という義にかなった目標を失ったり、遅らせたりしなければならない人もいます。機能障害に陥っている人、拒絶感、力不足、あるいは鬱で苦しんでいる人もいます。愛にあふれた天の御父の正義と憐れみにより、わたしたちはそのような経験を通して精錬され聖められることが可能になります。そして、神が望んでおられるような者になることができるのです。」

(ダリン・H・オークス『リアホナ』2001年1月号,p.42)

「救い主に従ったとしても,試練のすべてが取り去られるわけではありませんが,天の御父が与えたいと思っておられる助けと,皆さんとの間にある障害は取り除かれます。神は皆さんとともにいてくださいます。進むべき道を示してくださいます。主は傍らを歩いてくださり,助けが最も必要なときには,皆さんを背負ってくださるのです。」

(ディーター・F・ウークトドルフ「帰郷—切なる望み」『リアホナ』2017年11月号,p.22)


わたしは、これまでの人生を振り返ってみると、全て順風満帆だったように思いますが、深く考えてみますと、たくさんの試練や苦難と呼ばれるものにも遭遇していたことに気づきます。しかし、上記のウークトドルフ長老の言葉のように、その度、祈りや聖文、預言者の言葉などからもたらされる御霊によって主を身近に感じて、主からの導きと力をいただき、それらの試練や苦難を乗り越えることができたのだと思います。また、多くの方々が「大変ですね!」とか「大丈夫ですか?」と声をかけてくだり、慰め、励ましてくださいました。わたしが平安を得る大きな助けとなりました。

ニール・A・マックスウェル長老は、特別な試練や苦難に遭っていない人々の責任についても次のように語っておられます。

「そして、わたしたちは、わたしたち自身が特別な試練に遭っていないときには、ほかの人が試練に耐えられるように助け、思いやりをもって霊的な励ましを与えなくてはなりません。」

(ニール・A・マックスウェル
「もし、汝よくこれを耐え忍ばば」『聖徒の道』1990年7月号, p.38)

自らが試練や苦難に対する見方や捉え方をちょっと変えて、主を信頼して前向きな態度や姿勢を持って、自らが強くなり、必要な人々に手を差し伸べられたらと思います。


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