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21_「…この版…はわたしの民の歴史を残らず述べる版では決してない。わたしの民について残らず述べる版には、ニーファイという名を付けておいた。したがって、それはわたしの名にちなんでニーファイの版と呼ぶが、この版もまたニーファイの版と呼ぶ。…主はある賢明な目的のために、わたしにこの版を造るように命じられた…」(1ニーファイ9:2, 6)

ニーファイは、主から命じられて、以下のような2種類の版をつくりました。民に対する務めについて記録する「ニーファイの小版」と、王の統治と民の戦争や争いについて記録する「ニーファイの大版」です。そして、この2つの版は、ニーファイ以降の記録者に代々引き継がれ、それぞれの記録者は、自分の時代の記録を追加していきました。

『リアホナ』2020年1月号, p.21

ニーファイの作った2つの版について『インスティテュート:生徒用資料』には次のように説明されています。

ニーファイはすでに民の世俗に関する歴史を記録し始めていたが、宗教に関する民の歴史を含んだ第2の記録を作るよう主から霊感を受けた。以下のリストは二つの記録の相違点と類似点を明らかにしている。

1. 1ニーファイ9章1-5節は小版から直接取った記事である。
2. ニーファイが「この版」という言葉を使ったとき、それは小版を指していた。
3. ニーファイは大版を指す際に「ほかの版」という言葉を用いた。
4. 大版は、紀元前 590 年ごろから作られた。
5. 小版は20 年後の紀元前570年ごろから作られた。
6. ニーファイが説明した、主から第2の記録(小版)を作るよう命じられた理由は 1ニーファイ9:5に記されている。
7. 大版には紀元前570年から紀元385年までの王、戦争、歴史について記されている。
8. 小版には紀元前570年から130年までの、ニーファイ人の教え導く業について記されている。

(インスティテュート『生徒用資料 宗教コース121-122』, p.22)

この2つの版が作られたのは、ニーファイが述べている「賢明な目的」がありました。この「賢明な目的」については後日詳しく説明したいと思います。
 
この部分の聖句を読むといつも思い出す話があります。
わたしが25歳の時、ソルトレーク神殿で結婚式を挙げたのですが、その時にわたしの伝道中の同僚が、教会本部に連れて行ってくれました。1階の受付から電話でキンボール大管長に電話してくれました。実は、彼はキンボール大管長のお孫さんで、すぐに大管長の執務室にいくことができました。部屋に入るとすぐの壁面に本棚があり、ちょっと大きめの黒っぽい表紙をした本がずらっと並んでいました。大管長はその本を示しながら「これは、わたしが教会幹部に召されてからの日記(journal)です。」とおっしゃいました。キンボール大管長が十二使徒に召されたのが1943年ですから、33年分の日記でした。「この日記(journal)は、わたしが死んだら教会に寄付されます。」というような意味のことを話されて、ニコッと笑って優しく日記を書くことの大切さを話してくださいました。


スペンサー・W・キンボール大管長の言葉

「皆さんの存在は特別です。皆さんのする経験の中には,ほかの人の人生で記録されるものよりも,ずっと高貴で,称賛に値する出来事があるかもしれません。思いが照らされた経験や,忠実さを示した経験があるかもしれません。ほかの人からどう見られているかではなく,皆さんのほんとうの姿を正直に記録してください。
皆さんの話は,記憶が新しいうちに,まだほんとうの詳細が分かっている間に,今書き留めておく必要があります。……
自分の生涯の物語を記録しておくこと以上に,皆さんの子供たち,子供の子供たちにとって良いものがあるでしょうか。逆境に打ち勝ち,つまずいても立ち上がり,暗闇の中でも前進し,目標に到達できたときの喜びの物語です。……
まずノートを用意してください。……生涯の終わりまで書き続ける日記です。いつか永遠の世で天使がその日記を引用するかもしれません。今日始めましょう。自分の日常を,心の奥底の思いを,達成できたこととできなかったことを,人との交流や業績を,心の思いや証を書き留めてください。

(“The Angels May Quote from It,” New Era,1975年10月号,5)

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