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08_「わたしニーファイは善い両親から生まれたので…」(1ニーファイ1:1)

ニーファイが「善い両親から生まれた」と述べている父親の名前はリーハイ、母親の名前はサライア。父親は旧約聖書のエレミヤの時代のエルサレムの預言者のひとりです。ふたりにはこの時点で4人の息子、上からレーマン、レムエル、サム、ニーファイがいました。(娘もいたでしょうが本文では多くが語られていません。)

非常に興味深いことですが、モルモン書の最初の部分(ニーファイ第1書)を読んでみますと、ニーファイはリーハイとサライアを「善い父母」と呼び、両親の言うことに非常に従順に従っています。 また、肯定的なイメージでその姿を描いている一方、レーマン、レムエルは父親のことを「空想にふける人」と言い、多くの場合、反抗的な態度を示し、否定的な説明を加えています。リーハイとサライアは二重人格だったのでしょうか?いいえ、ニーファイには「善い父母」と映り、レーマン、レムエルにはそうでなかったのです。

どちらが彼らの両親のほんとうの姿なのでしょうか? 

どちらもほんとうの姿だったと思います。というより、それぞれの価値観、ニーファイやレーマン、レムエルが何を大切に生きていたのか、どのような事柄を重要に思っていたのかということの違い、ものの見方や捉え方の違いだったのではないでしょうか。リーハイは預言者でしたが、完璧な親ではなかったかもしれません。たくさんの弱点や欠点を持つ普通の親であったと思われます。ニーファイは、不完全な親であったとしても、主に召された預言者として尊重し、主を信じる信仰を持って、そのよいところ、よい面を見ようと努めました。それに対して、レーマンやレムエルは、主を完全に信じることができず、親の不十分な部分、弱点などに目を向けたのでした。 


*この原則は、人間関係において非常に基本的な事柄です。
*周囲の人々について、あなたは、どのような気持ちを持っていますか?
わたしたちの周囲の人々は、わたしたちの心の思いや行動、もの見方や考え方、価値観の鏡といえないでしょうか?


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