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27_「地の上に入念な造りの丸い球が一つあった…球の中にある指針を見ると、それは、わたしたちがそれに寄せる信仰と熱意と注意力に応じて働いた。」(1ニーファイ16:10, 26-29

スペンサー・W・キンボール大管長は「入念な造りの丸い球=指示器または羅針盤=リアホナ」について次のように語っておられます。

「…この珍しい細工の球の働きを注意深く見るならば、それが『信仰と熱意と注意力に応じて』働き、進むべき方向が示されることに気づくであろう(1ニーファイ16:28)。

……もっとよく調べてみると、言葉が『読みやすく』球に書き記されていて、……主の道が説き明かされていることが〔分かる〕。〔その指示は主の御心に従って、家族の信仰と熱意に応じて書き替えられた(1ニーファイ16:29)。〕…球すなわち羅針盤を意味すると解釈されているリアホナは、リーハイが荒れ野を旅するときにその道を示すために、特に主によって備えられたものである。

あなたはこのような球を持ちたくはないだろうか。過ちの中にあるとき、あるいは誤った道にいるときにいつもそれに気づくように、正しい道を示し、メッセージを記してくれる球を。

若い兄弟たち、皆さんは全員それを持っている。主はすべての少年、すべての人に、誤った道へ入るときにそれを告げてくれる『良心』というものを与えられた。耳を傾けるならば、いつでも聞くことができるのである。しかし言うまでもなく、そのささやきを聞くことがあまりにも習慣化して無視するようになるならば、やがて聞こえなくなることだろう。皆さんは自分自身の内に、羅針盤のような、リアホナのような何かがあることを認識しているに違いない。すべての子供にはそれが与えられているのである。

……自らの内にあるリアホナを無視するならば、ついにはそのささやきを得られなくなることだろう。しかしわたしたち一人一人は正しく導いてくれる〔リアホナ〕を持っているということを心に留めるならば、すなわち自分のリアホナ、良心とも言われるリアホナの指示に聞き従うならば、船は誤った航路に迷い込むことは……ないであろう。」

(スペンサー・W・キンボール「わたしたちのリアホナ」『聖徒の道』1977年2月号、109-111)

また、七十人のローウェル・M・スノー長老は次のように語っておられます。

「主はリーハイにされたと同じように、今も、個人や家族に導きを与え、方角を示しておられます。この総大会はまさに現代のリアホナとして、霊感された導きと指示を受ける時と場所であり、わたしたちが栄え、神の道をたどって現世の豊かな場所を旅するのを助けてくれます。

預言者や使徒たちの勧告を聞くために集まっていることを考えてみてください。何を言うように主が望んでおられるのかを知るために預言者や使徒たちは熱烈に祈り、入念に準備をしました。わたしたちは、慰め主が神の思いと御心を教えてくださるように、彼らと自分たちのために祈ってきました。主が御自分の民をお導きになるうえで、この大会以上の時と場所はありません。この大会の教えは主の羅針盤です。

 

リーハイがそうだったように、皆さんも玄関を出て『リアホナ』や『エンサイン』(Ensign)などの教会の出版物が郵便受けにあるのを…見つけることでしょう。そこにはこの大会の内容が書かれています。昔のリアホナと同じように、この新しい言葉も簡潔で読みやすく、皆さんと家族に主の方法と道に関する理解を与えてくれるはずです。

ニーファイとアルマが教えているように、主の教えに寄せるわたしたちの信仰と熱意と注意力に応じて、主は旅路を導いてくださいます。すでに示されている道を忠実に歩んでいなければ、主は新しい道を明らかにはしてくださらないでしょう。人生の過程で神の繁栄を受けるのは、霊感を受けた勧告に熱心に従う人たちです。神の勧告を生活や言葉に反映させ、ついには、約束の地へと旅路を進めるための新しい言葉を受けるのです。

兄弟姉妹の皆さん、いつの時代も預言者と十二使徒は主が下さった羅針盤です。彼らを通して与えられる主の教えは簡潔です。その道は確かです。主の道を歩むのは、そのくびきを負うのと同じように容易です。しかし、主の方法の容易さに惑わされてはなりません。容易だからたいしたことはない、つまらないものだと思わず、神聖な事柄を大切にして主を頼ってくださいそうすれば皆さんは主のようになり、主とともに永遠に住むことができるのです。」

(ローウェル・M・スノー、2005年10月半期総大会説教『主の羅針盤』)

十二使徒のデビッド・A・ベドナー長老は次のように語っておられます。

「リアホナは主によって用意され、リーハイが家族とエルサレムを去った後、荒れ野を旅していたときに与えられました。この羅針盤または指示器は、リーハイと一行が進むべき方向を指し、それはまさに『約束の地に至るまっすぐな道』でした。リアホナの中にある指針は、旅をするリーハイたちの『信仰と熱意と注意力に応じて』働き、家族が争ったときや粗暴になったとき、怠惰になったとき、無頓着になったときに働かなくなりました。

人生の道を進むとき、わたしたちはそれぞれが、リーハイがリアホナによって導かれたのと同じように、聖霊から導きを受けます。『見よ、わたしは、もう一度あなたがたに言っておく。あなたがたがその道によって入り、聖霊を受けるならば、聖霊は、あなたがたがなすべきことをすべてあなたがたに示されるであろう。』( 2ニーファイ32:5)

リアホナがリーハイと家族のために働いたのとまったく同じように、聖霊は日々の生活の中で、わたしたちの信仰と熱意と注意力に応じて働かれます。」

(デビッド・A・ベドナー『リアホナ』2006年5月号, p.30)

リーハイの一行が約束の地に向けて荒野を迷うことなく進むために、主は「入念な造りの球=リアホナ」を与えられましたが、私たちがこの混沌とした世の中を迷わず主のもとに進むことができるように現代のリアホナとして、キンボール大管長は「良心=キリストの光」、スノー長老は「生ける預言者の教え」、べドナー長老は「聖霊」が与えられたと話されています。主は、わたしたちが道を誤らないようにさまざまな「リアホナ」(導き)を与えておられます。


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