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80以上の国を訪問してきました❸   ~バングラディシュの空港でプチ賄賂を払った話(2014年1月)~

これまで80か国以上訪問してきました、の第三弾です。
これはNewsPicksのNew Schoolのビジュアルコンテンツに参加した際に、
自己紹介用に作成したスライドの抜粋を元に作成しています。
気が向いたときにぼちぼちと書き足していって、7大トピックはカバーしたいと思っています。

1.前書き

以下が7大トピックです。候補として30くらい挙げたのですが、場所をなるべく分散させ、ネタ的に使いやすいものを選んでみました。今回は以下の❷の空港でのプチ賄賂体験についての話です。

201229_❷7大トピック

尚、題名に「賄賂」という不穏当な単語を使っていますが、
念のため申し上げると、基本的に日本で法令違反はもちろん
コンプライアンスに抵触するような行動はしておりません。
(少なくとも本人はそのつもり)
初めて訪れた国の空港イミグレ―ション・エリアで、
流されるがままに行動して、少額のお金で、
ちょっとだけ便益を享受した、というお話です。

2.国境越えのイベントについて

国境を超える際には、色々とイベントが起こることがあるというお話。
特に印象に残っているのは、以下でしょうか。

①1998年にグルジアからアゼルバイジャンに電車で移動していた際に、国境検査の際にバックパックの中身をさんざんにまき散らされて、金目のものや外国のコインを奪われたこと
(1991年ソ連解体後、旧ソ連の国を行き来する際は、経済的に
 困窮(当時ルーブルが通貨切り下げ等の事情もあり)しており、
 また、管理が行き届いていなかったこともあったのでしょう)
②深夜の3時にエジプトからのバスでイスラエルに入国した際の話
 (2人が付きっ切りで、自分のバックパックの中身の全てのアイテム
   について聞き取り調査・尋問を受ける。約2時間。終了後の国境を
   ようやく越えた後の朝焼けはきれいだった。。。)
その他、1998年の話ですが、エストニアの首都タリンからバスに乗り、VISAの要否が情報の出元によって様々だったラトビアとの国境に移動したものの、VISA不携帯で強制送還されたこともありました。
同じく1998年、リトアニアとポーランドの国境をバスで超えるさいの国境で、アジア人が珍しかったのか一人下ろされて尋問を受けるはめに。他の乗客からは怪訝なじっとりとした視線を感じつつ、30分程度でなんとか出発できたこと。もありました。
(エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランドのEU、シェンゲン協定  加盟前の話ですね)

等々。でもたいていの国境越えハプニングは陸路の話です。
陸路とはいっても、ヨーロッパは上述のようにシェンゲン協定締結が進んでおり、陸路国境越えの感慨は味わえなくなってしまっておりますが。

空港でのハプニングと言えば、キューバ→ケイマン島→アメリカ(マイアミ)と飛行機で入国する際、検査官にパスポートを念入りにチェックを受けましたことがありました。
ケイマン島に行く際の経路が途切れていることに感づかれて、
キューバに行っているのでは?と怪しまれたのかもしれません。

別室に連れていかれ、1時間ほどこってりチェックを受けたことがありました。まあよくある話だと思います。

尚、キューバのビザは、そういうことを考慮してなのか、パスポートにスタンプを押したりシールを貼ることなく、紙を挟んで終わり、というシンプルな形となっています。海外からの旅行客を減らさないための知恵なのでしょう。

3.旅程

話が横道にそれてしまいましたが、今回の旅程です。

210125_旅程_v2

期間は正月休み1週間程度です。何故こんな旅程になるのか?
というと、今回の目的地はスリランカのコロンボ、バングラディシュのダッカと、ネパールのカトマンズ。だが、直行便は年末年始ということもあり非常に高い。
そこで色々なサイトで経由便を調べてみたところ、カタール・エアーでのコロンボ→ドーハ(15時間程度stay)→ダッカのチケットが安く売られていたのでそれを購入して、バンコクをハブにしてつないだらこんなルートになったという感じ。
尚、上記では省略してますが、ダッカ→カトマンズも実際はデリー経由で飛んでいます。
加えて省略してますが、出発地は東京です。念のため。

4.バングラディシュ首都ダッカの空港にて

カタールのドーハの空港を深夜に出発し、ダッカのシャージャラル国際空港に到着したのは午前9時半頃だったと思います。
(以下は空港に関する単なる参考情報です。)

ダッカ日航機ハイジャック事件

空港のイミグレーションでは大行列。。。人人人。
列の最後尾あたりについてみたものの、先頭はどこにあるのか見えず、
しかも、5分たっても10分たっても列が進みそうな感じもない。
しかも、何かトラブルがあってのことでもなさそう。
これは入国するのに相当時間がかかるな、午前中の観光はもう無理だな、
と覚悟を決めなくちゃいけないな、と感じた刹那、、、

210124_写真_空港_修正後2

近くにいた20歳くらいに見える係員が英語で話しかけてきました。何かな?列にちゃんと並べと言っているのかな?と思ったら、
 「急いでいるのか?急いでいるなら、10ドルあるか?」と質問を受ける。

その時は、何を言っているのかよくわからないまま、何か空港の手数料でもあるのかな、と思いつつ、とりあえず財布の中にある10ドルを示してみると、着いてこい、というニュアンスの手ぶり。
行列のほぼ最後尾にいたので、まあ再び並び直してもいいか、過去の経験からピンとくるものを感じ、面白そうだからついていってみよう、と覚悟を決める。
ついていってみると、長蛇の列をササっと追い越して、イミグレーションの検査官の場所の近くに誘導される。

そこで「おい、出せよ」とのジェスチャー。そういうことか、
と理解が確信に変わり、その場で10ドルを手渡す。契約成立。
見知らぬ者同士の最小限の言葉でのコミュニケーション。

でも実際はどうなのかと状況を注視。その列には自分の前に2-3人が並んでいる。右を見ると長蛇の列が連なっている。。。ブースは10程度か。でも全然進んでいない。
その一番左のイミグレ検査官のブースに、右にある長蛇の列を差し置いて、自分が並んだ列から割り込む形で優先的に案内されていくことを確認。
ラッキー!午前中を観光に仕えるぞ、と思った刹那、

右後方から、「ヘイ!、ヘイ!割り込んでんじゃねえぞ」と白人のおばちゃんが大声でクレーム。
連れてきてくれた係員が、これは別ルートだという説明している様子。
でも白人でっぷりおばちゃんも引き下がらない。「何故だ?説明しろ!」 と大声の主張を続ける。そして、攻撃の矛先が自分に。
「Hey , Can you hear me?」

しかし、めげずに聞こえないふりを継続。粘り強く自分の番が来るのを
待ち、優先的にイミグレーション係員のブースに。

そこで見たのは、そりゃ時間かかるわ、と痛感する衝撃の方式だった。

無題 - 2021年1月25日 21.56

人口1.6億人のバングラディシュの首都の空港で、1日に何万人(数は不明)?という人が到着する中、紙で全てを記録しようとしていることの衝撃。。。そりゃ長蛇の列がなくなることはないよ、と実感。

目の前にあるPCは何に使うんだろう、とも不思議に思いながらも
きっとちゃんとしたソフトウェアもないんだろうな、と推察。

この後、結局、空港から市内まで大渋滞に巻き込まれ、ホテルにたどり着くまでに2時間超(すいていたら30分弱)と結局時間は空費。
とは言え、こういう体験こそ、現地に行かないとわからないこと、とも改めて感じています。

ダッカでは、手で直にカレーを食べる現地スタイルを楽しんだり、
当時出来たばかりのユニクロで服を買ったり(積極的なセールスを受けた記憶が)、遊覧船に乗るなどの観光を楽しむことが出来ました。

①バングラディシュ、という感じの街の風景

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②川沿いの風景

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③ユニクロの店内の写真です。民族衣装が印象的。

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5.最後に

本件については、後ろめたい思いを持ちつつも、途上国ではあるあるの話かな、ということで、まあ時効でしょ、と自分に言い訳をしつつ書いてみました。

尚、訪問してから4-5年後の話ですが、日本のJICAによるレポートが出されていました。是非ともオペレーションの改善に寄与して欲しいと心の底から思います。

バングラディシュ国 ダッカ国際空港の運営に係る情報収集・確認調査


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