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やさしいかぎづめ

 朝、パソコンを立ち上げ、メールをチェックしていると、サっと鳥影が射した気がして、視線を窓に移す。桜の花びらはすっかり散ってしまった外は、ぽかぽかとあたたかい。
 少し早いけど、文庫(小さな箱を外に設置し、無料で本の貸出を行っている)の設置をするために1階に降りてみると、3歳くらいのおとこの子とお母さんが、設置前でまだ何も入っていない箱に、チョークで何やら描いていた。
 「おはようございます。すぐに準備しますね」よかった、早めに降りてきて。鳥影、すご。
 すると、おとこの子が「おにいさん、きょうりゅうのほん(ある?)」「きょうりゅうのほん?わかった!ちょっとまっててね」
 文庫の蔵書は350冊を越えているのに、実はきょうりゅうのほんは1冊も無い。無いことがわかっていながら「ちょっとまっててね」という期待ありありのレスポンス。どうせ、1分後にはバレてしまう〝しょうもない嘘〟をついてしまった。よく言う〝やさしい嘘〟の類ともちょっと違うよなぁ、なんて謝ろうかなぁ。そんなこんなを、ぼんやり考えながら、罪悪感の1分間を過ごす。
 結局、『きょうりゅうのほん』がないことを受け止めてくれたティラノくんは、『きょうりゅうのほん』ではない本を借りていってくれた。
 今日、私がこれからすることは、『きょうりゅうのほん』を探しに行くこと。それしかない。

 私がつとめている会社は、お昼の休憩が12時から14時まであるため、その時間を使えば、近くの古本チェーン店に行って帰ってくることは十分に出来る。昼食タイムは多少犠牲にはなるけれど、1食くらいどうってことはない。
 12時 – 目的地へ急ぐ。急いではいるものの、ここ1週間ほど、雨や曇りが続いていた中での久しぶりの晴天は、なかなか気持ちがいい。目的も目的だし〈良いことしてますドーパミン〉がぴょっぴょと分泌しているもんだから、無駄に公園の中を通ったりして。公園では小さな子どもがお母さんと遊んでいる。その親子が、3時間前に出会った『きょうりゅうの親子』だったなんてドラマは起きなかったけれど、公園の横にあるビルの看板に目がとまる。小説だったらこれがフラグだな。
 ビルの入り口には、カフェや食堂、カレーに雑貨に書店と、1階から3階まで複数の屋号が並んでいた。なんともポテンシャルの高そうな雑居ビル。
 ん?書店?『その書店に探し物はきっとないよ』とつぶやいてみたものの、いや待て、たまたま『きょうりゅうのほん』がそこにあったら、このビルで(あきらめていた)ランチが食べられる。そうだ、今日はカレーを食べよう。と思った瞬間、ビルの階段を上がっていた。いちげんさんがふらっと入るには、ちょっぴりハードルが高かそうな、薄暗い階段を3階まで上がる。目的の書店の前。ドアが開いている。ちらりとのぞき込んでみるが、店内の様子は見えない造りになっていた。
 「こんにちは」まぁまぁな勇気を出して、ずいっと中まで入ってみると、ひとりの女性が「こんにちは」と返してくれた。おそらくこの書店の店主なのだろう。「まだ開けたばかりで散らかっているけれど、どうぞ」ちょっと不思議そうな顔をして、やさしく出迎えてくれた。「そうなんですね。すみません、開けたばかりに来てしまって」
 散らかって、というほど散らかっていない店内は、片側に本棚、反対側にはカウンター、ガラスケースみたいなものもある。圧迫感のない本棚の数と、奥の窓から入ってくる外の光が、居心地のよさを演出していた。コリコの街にもありそうな古書店の店内は、ふわりとした空間が広がっていた。
 しかし今の私は、その居心地にぷかぷかと漂っている時間はない。きょうりゅうを探さねば。カレーだって2階で待っている。
 棚に目を向けていると「何かお探しですか?」当然、その質問の流れになりますよね。開店直後にやってきた、ちょっと不思議ないちげんさんですし。
「きょうりゅうのほんを探していて」
「恐竜? お子さまのプレゼントとかですか?」
「そうですね」
 もちろん、そうではない。ただ、私が何者で – 平尾の一角で何をやっていて – そこで今日こんなことがあって – 古本屋に行こうとしたらこのお店を見つけて、今にいたる – なんてことを少しでも口走ってしまったら、見るからに〝やさしさと好奇心〟が滲み出ているお店の店主は、急いでいる私をきっと簡単には離してくれないんだろうな。本日2回目の小さな嘘で、ちょっぴり罪悪感を上塗りした私に彼女は、このお店を後にするナイスなきっかけの言葉をかけてくれた。
 「でも、恐竜の本はないかなぁ。見てもらうとわかるけど、うちは鳥の本が多くて。」

 たしかに多い。図録からエッセイ、小説、絵本まで、鳥がついたタイトルや鳥の絵が描かれた装丁の本が目についていた。「そうなんですね」近くにあった『つばめのハティハティ』と書かれた本をパラパラとめくりながら返事をする。そういえばお店の名前も《コトリのなんちゃら》だったな。
 よし、この本を棚に戻したら、お店を出よう。ここには『きょうりゅうのほん』はないのだ。教えてくれてありがとう、コトリの店主。そして、2階に降りて、カレーを食べよう。「鳥が好きなんですか?」なんて質問はせずにお店を出よう。『つばめのハティハティ』を棚に戻しながら「でも、鳥も恐竜ですから」と小さな声でつぶやいてしまった。
「え?」
「・・・」
「え? 鳥が恐竜ってなんですか?」
 あぁ、ちゃんと聞こえてたんだ。「それって、鳥の先祖が恐竜ってこと?」「進化の過程がどうとか、そいういう話?」彼女の〝やさしい好奇心〟が、私をやさしく(しっかり)つかんで離そうとしない。
「いや、違うんです。鳥って系統学的には、恐竜の先祖だとか、子孫だとかじゃないんです。今、空を飛んでいる鳥って、恐竜そのものなんですよ」
 しばらくの間、コトリの店主は、私がネットでかき集めただけの、浅くてのっぺりとした『恐竜は絶滅なんてしていない話』を、うんうん、へぇと、心地よく拾い続ける。
 気がつけば、私が何者で – 平尾の一角で何をやっていて – そこで今日こんなことがあって – 古本屋に行こうとしたら、このお店を見つけたことを話していた。
 うんうん、へぇが、心地よく続いていく。
 時計に目を落とすと14時まであと10分。私は「また今度ゆっくり来ます」と言って店を後にした。また来ます。カレーも、もちろんまた今度。

 さてさて、これは走らないと間に合わない。横切った公園には最初にいた親子とは別の親子が遊んでいる。そうだ、鳥が出てくる本なら何冊かあるじゃないか。今度、ティラノくんにあったら、その『とりのほん』を渡そう。「これもきょうりゅうのほんだよ」って、にこっと渡そう。きっと、くもりなきまなこで受け取って「ありがとう」って言ってくれるはず。


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