推しが結婚した

推しが結婚した。朝一番に「ねえ、ボーカルの人結婚したんだね」と恋人に言われた。何を言っているの?と思った。続けて彼は言う、「BUMPのボーカル」BUMPのボーカル…?結婚した…?えっそうなの?と気の抜けた声が出た。急いでTwitterを開いた。タイムラインには「藤くん結婚」、「藤原基央 結婚」の文字。え?嘘でしょ?嘘じゃないのだけれど。

私は昔から特段好きなものがあまりなくて、一時的なマイブームはあるのだけどずっと好きだと言えるのはBUMP OF CHICKENくらいだった。中学2年生のときから社会人になった今でもずっと、変わらずに好きなものは他に無くて、BUMPの存在は特別だった。ボーカルの藤原基央さんの書く選び抜いた言葉だけを使った、思いの込められた歌詞と優しい歌声。彼の作る曲は唯一無二で私を何度も暗闇から引っ張り出してくれた。幼なじみ4人で結成し、40歳を過ぎた今でもメンバーが仲が良くその関係性も含めて大好きだ。昔は「藤くん信者とか、気持ち悪いよね(笑)」なんて言っていたが、BUMPの曲を10年近く聴き続けて、彼の思想を礎に生きていればそれはもう立派な宗教であり、わたしは完全に藤原基央信者になっていた。私の中でBUMP OF CHICKENという存在は、藤原基央という人は、大きなものなのだ。気持ち悪いファンだと認めざるを得ないし、そう言われてもいい、実際にそうなのだから。

彼が結婚するまで、わたしはアイドルや俳優の結婚報道に酷く落ち込む心理が理解できなかった。いや想像はできる。彼の結婚報道が出た時、「小学生の頃から嵐の二宮和也さんを好きな友人はよほど悲しいのだろうな」と思った。しかし、その一方で「彼と結婚できる可能性など1%にも満たないのに」という気持ちもどこかにあった。わたしは藤原さんが誰かととうに結婚しているのだろうと思っていたし、彼と恋愛したかったわけではなかった。今日わかった。違うんだ。全然、そういうことじゃないんだ。わたしたちリスナーに向けていると思っていた彼の言葉は、彼が結婚したという事実を公にしたことによって明確な意味をもってしまった。曖昧にすることによって、様々な解釈ができたのに、確実性を持ってしまった。それが悲しい。そしてわたしはリスナーを愛してくれる、真摯に私たちと向き合ってくれる素晴らしい人物の幸せを素直に受け止め、心から祝福することができない自分に嫌気がさしてしまうのだ。彼のわたしたちへの想いは確かであり、それが嘘だとか、奥さんへの愛の方が上だとか下だとかそういう話ではない。別ベクトルでわたしたちを愛し、大切な存在だと認識してくれている。 なのに、なぜこんなにも虚しいのか。悲しい。この気持ちは同じ経験をした人にしかわからないし、どうしようもない。藤くん、おめでとう。これからもずっと、あなたが、BUMP OF CHICKENが、大好きです。