カコ二とらわれています

卒論のための本読むのが最近の逃避。

卒論というちょっとしたキッカケがあるから、

もともと読みたいと思ってはいたけど読まないと死んでしまうわけではないから生活の中での優先順位としてはちょっとしたに来ていた

しかししかし

 瞬間を生きる哲学 〈今ここ〉に佇む技法
         と
とくに
世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学

という本でモロモロぽロぽロピよぴヨないた。


というのも、

だいじなひとたち

とくに ٩ あい و かんしるひととおばあちゃん

をおもいうかべておなきになった


もとは共有した時間からだね

その時間があったからほんのそのことばに

はんのうしたんだね

                      それとドウジニ

ほんよまなかったら

きづかなかったよね

                      
じぶんにできることはそんなにおおくない

とおもうのもここちよい

とおもった

                      だって

すきなものをすきと言って、

いやならナマけて

もういまじゃない

ものは一かい離れる

                      
いまに集中してもいいか

あるのはいまの連続だけで

過去も未来なんてものもない らしいよ

うちらいましか生きれないね永遠に

とわにフォーエバー⭐︎

                       それにしてもAdy Suleiman ンよすぎ。

                      
まいどのようにわすれちゃうけど、

さいしょに言いたかったのは

わたしの最大•最高の感動は

音楽であって、

それ以外は互換性ない下位•下級のもの

とおもっていたそれは私の話ね

でも

交換などできず

互換性はないままに、

比べるなんて粗末なことせず、

本も、

感動じゅわる

だちだった

ことがわかった

て話

                      
ps.哲学やら倫理学やらのほん達よんでると、
しごとや社会やお金など
わたしにはどうにもならないことがある
物事と
これまでよりももっと、ちょっと 離れていく
感じがしたんだけど

どれもひととの関わりであって
たしゃとの関係
にむかうとき
じぶん知らないと
じぶん知ってたホウが
よくなるときあるから、

きゅうじんサイトはみてない
じかんでアッテモ
ながいじんせい
めのまえのことに
つうじている? の で は.
 とおもった テ ミ タ -



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