弥勒

Tat tvam asi

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最近の記事

道歌

悟りとは 悟ることなき 悟りなり 起き食べ眠る なにもせずあり

    • 信頼

      母なる大地に抱かれ、種子は安らかに憩う。 無限の信頼を胸に、ただ安らかに憩う。 やがてかたい殻を破り、芽吹くでしょう。 そして大木へと成長し、世界を美しく荘厳します。 人間もまた同じです。 無限の信頼を胸に、安らかに漂いましょう。

      • 道歌

        本来の 面目坊を 一目見て 溶け合い混ざり 如々とこそなれ

        • 他人の意見に惑わされてはいけません。 あなたに対して何を思おうと、それはその人の問題です。 毀誉褒貶のすべては、それを思うその人の状態を表すだけです。 あなたはそれらの意見と何の関わりもありません。 もし気になるのなら、それはあなたの責任です。 あなたが苦しみを創造したからです。 泥中の蓮のように、清く咲き誇りましょう。

          演奏

          私たちは音楽を奏でる存在。 どんな状況でも愛の音楽を奏でましょう。 まわりの音楽につられて自分の演奏を見失うことなく、 ただ愛と平和の音楽を奏でましょう。 そうすれば、ただあなたがいるだけで宇宙は愛に包まれます。

          自由

          あなたは苦しみではありません。 その苦しみを見つめている光です。 過去や未来に惑わされてはいけません。 それは夢と同じ材料でできている幻です。 しかし、それらにもまた感謝しましょう。 あなたは、それらの色彩によって深まったのだから。 あなたは、そして宇宙は、すべてを包む愛の交響曲です。

          道歌

          白雲の 風のまにまに ただよいて 道なき道を 歩まず歩む

          福音

          わたしという観念が、あなたという観念を生みます。 自己を忘れるにつれて、世界の神秘があらわれます。 世界とは自分のことで、何が起ころうと完璧です。 天上天下唯我独尊とは、世界平和の福音です。

          修行

          わきおこる想念をじっと見つめる。 それはたちまち消え去るでしょう。 煩悩即菩提とはこのことです。 正念相続とはこのことです。 行住坐臥の修行とは、いつでもここで、行じるものです。

          開花

          あなたは何になろうとしているのでしょうか。 そして、何を目的に努力しているのでしょうか。 探求はその不毛さに気づいたときに終わります。 そして存在の芸術が始まります。 それは、今この瞬間に花開くことです。

          小鳥がさえずり、花が咲きほこる。 太陽が照りつけ、星々がめぐる。 地球はまわり、人々は踊る。 月は輝き、夜空は歌う。 これらの美しさは、あなた自身の美しさです。 これらの喜びは、あなた自身の喜びです。

          自由

          世界はあなた自身の反映です。 苦しみや悲しみを見るのもあなたの自由で、 愛や喜びを受け取るのもあなたの自由です。 あなたにはそうした創造の力があります。 なんという美しき自由でしょう。

          道歌

          これとそれ あれもどちらも みなともに おなじ光の 愛すべきそれ

          無為

          愛と喜びを胸に、あなたはあなた自身に満たされなさい。 無心とは、全宇宙への愛です。 そして、そこから花開く無為に身を任せなさい。 無為とは、全宇宙の愛です。 鳥のさえずりも、風にそよぐ木々も、宇宙をかけ巡る星々も、 全宇宙の愛のあらわれで、あなたも同じ祝福された存在です。

          道歌

          無心とは 空に浮かびし 白雲の 漂いゆくを ながむる心地

          自性

          明日を思わず、過去にとらわれず生きましょう。 過去や未来でこの瞬間を染めた瞬間、苦しみが生まれます。 それを地獄というのでしょう。 覚者とはこの瞬間を味わう者です。 それが天国です。 過去や未来、苦しみや喜びの往来を超え、 すべてを味う者こそ覚者であり、あなたの本来に姿です。