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短距離走を走らされる長距離走者はつらい

短距離走、中距離走、長距離走。どれも同じ陸上競技ですが、それぞれ距離以外にも違いがあるようです。

瞬発力か持久力か、トレーニングの種類、生まれつきの性格や筋肉のタイプ などなど。

人それぞれ生まれ持ったものや身につけてきたものは違いますから、好成績を残すためには自分はどんなランナーかを見極めて、力を発揮しやすい距離を選ぶ必要があります。

自分の性質に合った距離で走るのが大事というのは、勉強や仕事などにも当てはまりそうじゃないですか?

でも、もしそうだとしたら自分はいったい何タイプのランナーなんでしょうか。

例えば、勝手なイメージですが
短距離走タイプは「要領が良くて、短時間で次々と新しいことを身につけられる。」

長距離走タイプは「一つのことを深堀りして、理解を深められる。」
みたいなイメージです。

「○○タイプの方が現代では有利でしょ」「○○タイプの方が成功者が多い」ってなことでは全然なくて、陸上競技と一緒でそれぞれの距離に優劣なんてないと思います。
自分に合った距離を見つけて、それぞれが身につけたいことや達成したいことに取り組んでいくのが成功のコツなのでしょう。

「どの距離で走る人にも上下はない。それぞれが得意な距離で走ればいい」
いつもそれが許されたらありがたいのですが、私たちが生きているこの社会って、短距離走を走らされることが多い気がします。

人それぞれ...とはいかない学校のテスト

中学生や高校生の時、中間試験や期末試験がありましたよね。あれらは学校生活の勉強面において、結構なウェイトを占めていると思います。

大体、新学期が始まってから中間・期末試験までは2~3か月ぐらいでしょうか?
2~3か月を短いと見るか、長いと見るかは人それぞれですが、主要5教科+副教科を勉強しないといけないので、私は短いと感じていました。

例えば世界史のテストでは、第二次世界大戦について勉強しました。
長距離走タイプの私は「そもそもなんで第二次世界大戦が起きたの?」ということが気になってしまいます。不明点を残したままにするのが嫌なんですよね。

「第二次世界大戦が起きたきっかけには世界恐慌があった。じゃあなんで世界恐慌が起きたかといえば...」と、疑問点が次々と湧いてきて、それらを解消してからじゃないと先に進めません。
でも、そんな勉強方法では時間が足りませんでした。

それよりも「範囲を絞って、テストに出そうな政治家とか有名な戦いを覚える」という勉強をした方がいい点を取れそうです。
いくら世界恐慌について詳しくなったところで、その時のテストに出なければ1点にもなりませんから。

「1年かけてしっかり学ぶ!」の方が私は安心できる

本屋さんの教材コーナーを覗くと「1週間で分かる〇〇!」とか「短時間で覚える〇〇!」みたいな、学習時間の短さを売りにした本を結構目にします。

確かに「情報の取捨選択が得意で、次々と先に進める人」には簡潔でいい教材なのだと思います。

でも、疑問点は放っておけない私にとっては「1年かけてしっかり学ぶ〇〇!」みたいなタイトルの方が安心できます。
時間がかかるのは無問題。とにかく丁寧に教えてほしい。

だけどそんなタイトルの本ってあんまり見かけません。売れないって判断されちゃうんですかね。

これだけで「現代人が短い期間で成果を求めすぎている証拠だ」なんて主張するのは乱暴ですが「短いこと」が大きなセールスポイントになる時代だとは感じます。

なぜ短距離走が好んで採用されるのだろう

世の中で短距離走が採用されやすいとしたら、それは今が変化の多い時代だからかもしれません。
とにかく速く覚えて、時代に取り残されないようにしないといけない。そんなプレッシャーをひしひしと感じます。

「時間をかけて覚えたところで、その時にはもう新しい技術があって使われてないかもしれないじゃないか」という考えが、長距離走タイプの私の頭にもよぎります。

さらに、評価する側(先生や指導役)の立場になって考えると、教えたことを次々と要領よく覚えてくれる生徒や部下の方が教えがいがあります。

教える側にとっての成功って「自分の指導で理解してくれたかどうか」ではないでしょうか。
だから、教えてるその場で「分かりました!」となる生徒の方が、教える側としては安心できる。

教えたことをすぐに呑み込めなくて「咀嚼」の時間が必要な生徒って、教える側としては不安です。
「この子ついて来れていないな...自分の教え方が悪いのだろうか...?」と。

「自分の教え方に問題があるかも」と教える側が思ってくれたら幸運です。
中には「この子は理解力が無いな、頭が悪いんだ」と、スパッと切り捨てる人だっていますから...。

学校や職場で褒められるのは習得の速い短距離走タイプの人ばかり。
なのでそれ以外の、特に長距離走タイプの人はなかなか自分に自信が持ちづらいかもしれません。

長距離走者は時代に取り残されてしまうのか

今は変化の目まぐるしい時代。周りの短距離・中距離タイプの人たちは新しいことをどんどん身につけていく。
ひとつ身につけるのに時間がかかる長距離走者タイプは、今の時代に向いていないのでしょうか。取り残されてしまうのでしょうか。

私は、そんなことはないと思っています。

テストで世界恐慌が出てこなくたって、歴史の理解を深めることは社会人になってから色んな場面で役に立ちます。
一年かけて学んだことが時代遅れになっていたとしても、深く学んだひとつのことは他の領域に転移することができます。

新しいことを次々と習得する華々しさは長距離タイプの人にはないかもしれません。
それならば、こつこつと積み重ねていって、その先で大きな花を咲かせるのが長距離タイプの真骨頂ではないでしょうか。

大事なのは、自分に合った走り方をすること

私自身が長距離走タイプの人間なので、つい長距離走側に偏ってしまいました。

ただ、私が言いたかったのは「短・中・長距離のどれが良くてどれが悪いなんて無い」ということです。

大事なのは「自分はどういうタイプの走者か」を知って、戦略を練ることだと思います。

短距離走タイプなら「理解しきれていないところがあっても気にせずに、まずはどんどん先に進んでみる」
長距離走タイプなら「理解しきれていないと感じたら、時間をかけても理解を深めていく」
中距離走タイプなら、「短距離寄りが走りやすいのか、長距離寄りが走りやすいのかを知る」

そして、会社や学校が求めてきた距離でうまく走れなくても、あまり気にしないようにするのも大切ですね。
長距離走タイプの人に短距離走を走らせたって、いい結果にはつながりにくい。その逆もしかりです。

皆さんの周りの短距離走タイプの人は「分からないところは飛ばして次に行こうよ。そんなんじゃ時間がいくらあっても足りないよ」と言うかもしれません。
長距離走タイプの人は「分からない点はそのままにしてちゃだめだよ。それじゃあ身についていかないよ」と言うかもしれません。

他人は自分の気質に合わない走り方を進めてくるかもしれませんが、自分の走り方を守ることが、何かで成功したり成し遂げることへの一番の近道だと思います。

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