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2つ上の兄のこと

みなさんいかがお過ごし?

私自身はここ3~4ヶ月変わらず、週4リモートワーク、休日はちょろっと出かけたり、でもまああんまり家から出ない日々を過ごしています。私自身の変化はあまり無いけれど、兄が沖永良部島に移住したり、友達のバンドが解散したり、東京に住んでた時によく遊んでたライブハウスの閉店が決まったり、周りに変化が大きく心は激動のここ半月でした。

今回は珍しく2歳上の兄の事を書こうかな、書いてみようかなと思い、久々に仕事以外でPCを開きました。ちなみに4歳上の兄もいます。テレビの仕事してるのはこっち。私に漂う舎弟感はこの兄妹構成(特に4歳上の兄)によるものだと思ってる。

2歳上の兄は「ネルソン水嶋」という名前で、インターネットメディアを中心に編集やライターをしています。最近は自分で会社を作ったり、新しいメディア「SalmonS」を立ち上げたり、Tシャツを作ろうとしていたり、ん?合ってる?お兄ちゃん、これで合ってる?
正直、会う度に新しいアイディアが口から洪水のように溢れ出るので、帰る頃には端々しか覚えてません。覚えきれません。そんな兄です。

兄がどんな仕事してるかはFacebookを見るのが早い。
https://www.facebook.com/takeru.mizushima.1

ドリアンでおなじみですね。

(よく「ネルソン」と「ボビー」であだ名を合わせて来たのかと聞かれますが、偶然、各々、「ネルソン」と「ボビー」になりました。)

昔から趣味趣向が似てて、私がTSUTAYAではっぴいえんどとキリンジのアルバムを借りてきたら、同じ日に同じTSUTAYAではっぴいえんどとキリンジの別のアルバムを借りてきたり、歌いながら帰ってきたら家で兄が同じ歌を歌っていたり、ちょっとしたサイコな出来事もありました。もちろん事前にそのアーティストの話はしてません。

鏡のように思える時もあれば、私はお兄ちゃんとは違う!な時もある。昔からそんな感じだから、私が上京を決めた時も文句ひとつ言わず家に転がり込ませてくれたんだろうな。
そういえば私にmixiを教えたのもお兄ちゃんだった。そこから文章を書くのが好きになって、今もそれを仕事にしてるんだから。私の夢につながる道をこっそり整備してくれたような気もします。水臭い言い方だけど、足を向けては寝られない存在です。

まあ家族の話は語り出すときりがないので、歴史はこの辺で。

ネルソンの兄貴は5年東京でサラリーマンをした後、ベトナムに5年?6年?ほど住み、タイにも半年?住んでみたり、たまに帰国して数ヶ月大阪の実家に滞在して、パソコン抱えて日本各地飛び回って、また海外に行くような、今やはっきりとした定住地を持たない暮らしを送っています。これが本当のノマド(遊牧民)ワーカー…。

兄が出来るなら私にもそのポテンシャルがあるのでは…?と思って試しにベトナムに1ヶ月滞在したことがありましたが、最後の一週間は見事にホームシックになり「チャーハンが食べたい」と母にぐずって電話してました。

そんな兄の近況。昨年末より1〜2ヶ月ほど沖永良部島(奄美諸島にある母の故郷)で暮らし、島に人脈を広げ、大阪に帰ってきたと思ったらすぐ東京へ、3月のコロナ禍では実家に戻り、会うとよく「沖永良部いいわ~人も場所もめっちゃ面白いわ~いつか住みたいわ~」と言ってて、お、移住?と思ってたら6月には沖永良部から仕事の依頼が舞い込んで、7月になる前にピョンと行ってしまった。移住前の一週間、またパソコン片手に九州を飛び回ってたようです。

こちらは沖永良部島の島風(暴風)に耐えるためワンちゃんみたいになった兄。沖永良部には自然遺産がたくさんあるよ。

兄が大阪を発つ2日前に会ったのですが、こっちに話を振っといてすぐに興味が無くなって「沖永良部でこれ乗ってたらめっちゃ良くな〜い?」とバイクの動画を見せてくる。というのを何度も繰り返して「もうはよ買えや!ほんで乗れ!」と言ってしばしの別れとなりました。

その後、何とも言えない気持ちに…何だろうこれ…と帰りの電車で気持ちの因数分解してみたところ、人に話を振っといて聞かずに沖永良部の暮らしをあれこれ考えちゃう兄には、ワクワク感、不安、面倒臭さ、清々しさ、いろんな感情がごちゃ混ぜになってて、結果的に輝いて見えたんだな~と。

変化を選ぶ勇気、それに向けて整える心、ジャンプするための脚力。何よりも身軽さ!眩しく見えない訳がない。

この眩しさは先日解散したシャムキャッツにも感じたもので、シャムキャッツなんて20年活動して青春全部捧げて、地道な活動で日本各地に根を張って、ファンを増やして、その先に解散の話が持ち上がって。きっと何度も4人で話し合って悩んで考え抜いて出した結論なのに、メンバーのコメントにはどことなく爽やかな風が吹いてて、それがまた泣けてきて、

これを読んでる兄が「俺の話は?」ってなってると思うので戻しますね。
兄のフットワークの軽さは異常だと思うけど、異常、いいじゃない!と思う。私は結婚して、さらに家族が増えれば、独り身のような身軽さはどんどん無くしていくのだろう。でもやっぱり出来る限りは身軽でありたいし、変化は求めたい。

何をしてても、どんな状況でも、軽さを持てているのはすごい強いことなんじゃないかな。
と思って、ちょっと試してみるかと計画していた5月から1ヶ月のベトナム滞在がコロナに流れてしまった。その1ヶ月では兄と短期でマンションを借りて、ダナンのビーチで夕日を眺めたり、観光したり、人を紹介してもらったり、カフェで仕事したり、一人気ままに暮らそうと思ってたんですけどね。そういう仕事+休みの短期移住を「ワーケーション」というらしい。既に言葉があるなんて素晴らしい。

兄の沖永良部島移住は一旦春までの予定で、その間の仕事についてはオフレコか分からないので一応伏せておこう。私としてもコロナ次第ではありますが、一度流れてしまったワーケーション in ベトナム計画を春頃に実行できれば万々歳と思ってます。諦めてないわよ!

コロナと梅雨でこもりっぱなしだし、低気圧だし、いよいよ体が重くなってきた。頭上に分厚い雲がかかったような気分ですが、気持ちだけでも遠くに行きたいもんだね。と、見通しの立たない予定を立ててみる。
どんな状況下でも「どこにでも行ける、どうとでもなる」と思えることは強い。歳を重ねて一番良かったのはこの感覚を知れたことかもしれないね。

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