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その指先に


 昭和の歌謡曲が流れる店内で、いつも顔を合わせる爺達と麻雀を打っていました。もうだいぶ前の話です。
 その頃私は、麻雀というゲームの虜になっていて、ろくに大学にも行かず毎日朝から晩まで卓にしがみついていました。いま思えば青臭いですが、日本一の雀ゴロになりたいなどと本気で思っていたわけです。雀ゴロとは、麻雀の勝ち分で生活している人のことです。分かりやすく言い換えると無職ですね。つまり日本一の無職を志していたことになります。
 ご老体に一人若者が混じると、嫌われるか可愛がられるかの二択なのですが、幸いそこでは好かれていました。麻雀では、一緒に打つ人に好かれていた方が得をします。というより、嫌われると損なことしかありません。「こいつにだけはアガられたくない」なんて思われると、いくらでも邪魔をすることができます。対人ゲームの面白いところです。
 ですが、好かれたら好かれたで面倒なこともあります。卓内では得をしますが、卓外ではちょっとそうとも言いきれません。

 その老人はコッシーと呼ばれていました。名前の由来は、一度麻雀を打てばおおかた想像がつきます。麻雀で前の人が切った牌で止まることを「腰牌」というのですが、コッシーはその常習犯でした。ただ人柄がよかったせいか、その雀荘自体がおおらか(雑)だったせいか、咎める人はいませんでした。
 コッシーは決まった曜日の日中に出没します。雀荘に入ってきて「やあ」と右手を挙げる仕草。海軍のカレーのように、それのおかげで曜日感覚を取り戻したものです。
 腰牌以外は基本的に問題ないのですが、いつも夕方になると時間に追われるように店を出ていくので、財布やら煙草やらを忘れていきます。店側も慣れたもので、通称「コッシーボックス」と呼ばれる保管箱までありました。

「おい、コッシーのやつケータイ忘れてるぞ」
 マスターがしかめっ面で言いました。サイドテーブルならすぐに気づくのですが、椅子に挟まっている忘れ物はしばらくしてから見つかる場合が多いです。例に漏れず、そのケータイも私が卓を抜ける頃に発見されました。
「コッシーボックス行きですね」
「いやあ、ケータイは困るだろう」
 どうせここにしか忘れないのだから、別に困るも何もないとは思うのですが、老人というのはちょっとしたトラブルに飢えているのか、この程度のことでも騒ぎ立てる習性があります。
「ちょっと、帰るなら届けてやってくれよ」
「マジっすか」
「今度2ゲームサービスするからさ。コッシー可哀想じゃんか」
 2ゲームだとたかが1,200円ですが、雀ゴロぶっていた私には悪くない提案です。それに、私もちょっとしたトラブルが好きなタチです。雀荘の客の家までケータイを届ける。いいじゃない。聞けば電車で一駅、そこから歩いて10分ほど。その駅は乗換で使っていたので、だいたいの地図は頭に描けます。
「分かりました。交通費はコッシーに請求します」
 そんな軽口を叩いて店を出ました。

 郊外の駅前はどこも似たような景色になりがちです。体力のあるチェーン店と個人店が混在し、申し訳程度の娯楽施設と怪しげなスナックが肩を並べています。ひとつ路地に入ると住宅、住宅、住宅、道道コンビニ道。そんなうら寂しい道のりをちょうど10分。コッシーの一軒家がありました。
 ガラパゴスなケータイを小脇に抱え、インターホンを押します。少しくぐもった声で応対がありました。聞き馴染んだ声です。事情を伝えると、申し訳ない申し訳ないと言いながらコッシーが出てきました。
「ありがとうありがとう、わざわざ」
「いえいえ。また麻雀しましょう」
「うんうん。来週また行くから」
 立派な一軒家です。ただ、ところどころ剥げていることからも、築年数は相当なものでしょう。とっくにローンを払い終えて、悠々自適な年金生活か。いや、毎日雀荘に来ないということは、一応何かしらの仕事をしているのかもしれません。それか孫でも預かっているか。
 やや刺激に欠ける一駅の旅でしたが、なんとも言えない興奮を覚えました。いつも指先だけで会話している人の私生活を少しだけ垣間見たことで、ただの駒だった存在に肉付けがなされたようなカタルシスがあったのです。

 年齢を重ねるにつれて、関わる人の「種類」がどんどん少なくなっているように思います。
 学生時代、教室を見渡せばそれはそれはいろんな人がいて、多種多様な価値観を垣間見ることができました。しかし、付き合う友人はだんだんと篩にかけられて、今では自分と似たような人でスタメンが組まれています。
 競艇をやっていると、それはもうたくさんの種類の人間と出会います。中には理解しがたい手合いもいますが、それはそれで楽しいものです。雀荘もそうです。賭場は多様性というものについて、口先だけではないリアルを突きつけてくれます。

 ほどなくして、コッシーの奥さんが亡くなったとマスターから聞きました。
 晩年は、今で言うところの老老介護だったそうです。ヘルパーさんが来てくれる日は、コッシーにとって唯一の息抜きだった。だから決まった曜日にしか来なかったわけです。
 ヘルパーさんが帰るまでの数時間、牌を握って気を紛らわせていたのかもしれません。介護は過酷です。だからといって相手が悪いわけでもない。だからコッシーは指先でそのストレスを逃がしていた。そんな風に想像するのは野暮でしょうか。
「何も考えずに打てるってのは、幸せなのかもしれないねえ」
 マスターがそう呟いたとき、私は持ち合わせの言葉がありませんでした。コッシーの指先に何が宿っていたのか、ただぼんやりと想像するだけでした。

 あれから十年近く経ちました。今でもたまにその雀荘を訪れます。相変わらずヤニで黄色くなった壁に、灰で焦げたサイドテーブル、何でもありの雑な雀荘がそこにあります。
 麻雀から離れたものの、やっぱり思い出してしまうのです。独特な牌の感触は、心の表象ではなく、おそらくもっと深いところで、私のことを掴んで離してくれません。未だに何の枷もない指先で、気楽に淡々と打つだけですが、それを身体が覚えていてくれるのが少しだけ嬉しかったりします。
 そんな場末の雀荘に訪れた変化といえば、コッシーボックスが少し大きくなったことくらいです。
 彼の命日になると、小さい花でその箱がいっぱいになるそうです。奥さんの分と二輪ずつ。いつか右手を挙げて取りに来たら、あのときより強くなった麻雀でこてんぱんにしてやります。


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