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「つきすぎて出禁」になった話


 私はこれまでの麻雀人生で、天和を2回和了ったことがある。ちなみにいずれも4人麻雀での和了だ。これは、麻雀好きに話したら鉄板でウケるネタである。
 天和というのは、親が配牌の時点で和了っている役のことで、その確率はおよそ33万分の1とされている。標準的な半荘戦であれば1ゲームに10局前後行われるため、1ゲームで誰かの天和を目撃する確率は3万分の1といったところか。それがまだ三十路にも満たない自分に2回も訪れたのだから、それだけで非常に幸運だと言える。
 しかし、話はそこで終わらない。

 麻雀というゲームに熱中していた二十歳そこそこの私は、セットで友人と打つことに飽きて、いわゆる「フリー雀荘」という場所を頻繁に訪れるようになっていた。地元は郊外だったので、駅前に気の利いた大衆店はなく、昔から細々とやっているようなくたびれた雀荘だけが存在していた。場末雀荘などと揶揄されるものだ。
 地元から電車で数駅。例に漏れずヤニで黄ばんだその雀荘は、平日の昼間から老人数名が卓を囲んでいるような、ある種牧歌的な空気の漂う場末雀荘であった。主に最寄り駅の雀荘で打っていた私だが、たまにそこにも顔を出すようになった。若者は私だけだったのでそれなりに歓迎された。
 歓迎されたのにはもうひとつ理由がある。これは後々気づくのだが、私は非常に麻雀が弱かったのだ。自分ではそう思っていない。仲間内では圧倒的な勝ち頭であったし、牌理や状況判断などはそれなりに勉強していたつもりだった。しかし、そこでは負けに負けていた。点数計算もおぼつかない爺達に、マンゴだのハネセンゴだの(※調べてください)を引かれ続け、なけなしのバイト代を吐き出していた。

 通い始めて数か月が経ったある日。その雀荘は配牌が自動的に上がってくる台ではなく、山から4つずつ取り出して最後に親が「チョンチョン」と2枚加えて局を開始する、今では場末でしか見なくなったスタイルで行われる。親番を迎えた私は、いつものように「チョンチョン」を済ませ、配牌を見た。

 実際には牌の上下もバラバラである。並べ替える前に左の南を切りそうになったが、そこで気づく。人は本当に驚いたときに無言になるというが、それを体験したのは初めてだった。
「和了ってます……」
 人生最初の天和は、そんな情けない発声だった。
「おおおお」
「兄ちゃん! 写真撮れ写真!!」
「何十年ぶりに見たかなあ」
 これでゲームが決まって精算しなければならないというのに、爺達は口々に賛辞を述べて、私を持て囃した。
 痺れるような体験だった。天和という奇跡にだけではなく、いやそれよりもこの爺達の反応こそが、私を心底震え上がらせた。強い相手に天和など和了られたら、嫌味のひとつでも言いたくなるのが人間だ。しかし彼らにそれはなかった。このとき、自分がカモの若造と認識されているのだと理解した。これは屈辱的な体験として今でも心に刻まれている。

 それからも半月に一度くらい顔を出して、徐々に向上していく麻雀の技量を確かめるように、いや、あの屈辱を振り払うように、摸打を繰り返した。だいたい常連メンツは十人程度で固定されていて、全員の顔と名前を覚える程度には馴染んだ。
 一年経つか経たないかのことである。惰性になった山の取り出しから事件は起こった。自分の親番で、サイコロを振って取り出し位置を決めるのだが、私は出目を見間違えてしまった。全員が取り終わる直前に気づくも、時すでに遅い。
「いいよいいよ、そのままやろう」
 卓外から聞こえたマスターの一言で裁定は終わった。すみませんと一言謝る。誰も何も気にしていないようで、自分の配牌に夢中だ。

 記憶というのは不思議なもので、並び順こそフィクションだが、牌姿は鮮明に覚えている。綺麗な順子手(面子がすべて数の並びで構成されている手)だった。
 喜ぶほど青くはなかった。自分のミスから生まれた配牌である。それがあろうことか天和、親の役満だ。バツの悪いことに、その日は勝っていた。第一打を切ればなかったことになる。しかし裁定を下したマスターが後ろで見ていた。この天和を認識していたかどうかまでは分からない。しかし牌を倒す十分な理由にはなった。
「16000オールです」
 伏し目がちにそう申告した。刺さる視線を感じた刹那、下家の爺が大きくため息を吐く。彼は前回の天和のときに真っ先に反応した打ち手だ。
「兄ちゃん、バカヅキだね」
 点棒が飛んでくる。いやあ参った、こりゃラス半だと口々に聞こえる。精算をすると本当に卓が割れた。もっとも、あからさまにゴネる客はいなかった。自動卓でイカサマはできない。取り出し位置の裁定も配牌を開ける前に下っていた。そんなこと全員分かっているから、誰も文句は言わない。
 こんなの払えないと突っぱねてくれた方がまだよかった。黙って渡された点棒とチップは、まるで奇跡を黒く塗りつぶす意思のようだった。
 精算を済ませるとマスターから謝られた。
「みんな気に食わないことがあると帰っちゃうんだ。ほら、小さい雀荘だから、それを引き留めるのはできなくてさ。言いにくいんだけど、誰もM君とは打ちたくないかもしれない。ほら、小さい雀荘だから……ほかにも雀荘はたくさんあるし。ね」
 謝罪のトーンだったが、それは出禁通告のようなものだった。「小さい雀荘」としきりに繰り返していたのをよく覚えている。分かりましたと返事をして、それ以来一度も行っていない。

 私はこれまでの麻雀人生で、天和を2回和了ったことがある。ちなみにいずれも4人麻雀だ。これは、麻雀好きに話したら鉄板でウケるネタである。
 天和というのは、親が配牌の時点で和了っている役のことで、その確率はおよそ33万分の1とされている。標準的な半荘戦であれば1ゲームに10局前後行われるため、1ゲームで誰かの天和を目撃する確率は3万分の1といったところか。それがまだ三十路にも満たない自分に2回も訪れたのだから、それだけで非常に幸運だと言える。
 しかし話はそこで終わらない。同じ雀荘で、一年という短いスパンで、その幸運は蛍の尻のように儚く灯されて、卓の中へと消えていった。

 人間は、世界の中に「物語」を見出すことで生存確率を上げてきた生き物だという。どんなことでもそこに意味があると思いたがる。それは人間本来の性質なのだ。ランダムな物事の中に、勝手に意味や意図や意思を読み取ってしまう。あの天和はランダムな幸運だった。そこに壮大なストーリーなど描けないまま、それでもたまに飲み会の席で小噺にすることで、自分の人生に色があったと思いたい。
 牌は何の意思もなく山に積まれ、人々の運命を決める。そこに意思を感じ取るのはプレイヤーである人間の方だ。自分の物語を紡ぎたい。だから無機質な136枚にそれを託す。誰かの物語では満足できないけれど、取り立てて長所もなかった自分の、ほんのささやかな抵抗としてこの文章はここにある。



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