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八百長に腹が立たない理由


 競艇界隈ウォッチャーとしての仕事(要出典)が激減しつつある今日この頃、久しぶりに元ホテをワクワクさせる出来事がありました。御存知の通り、とある元選手による「八百長の告発」です。

 おそらくほぼ同内容のものが元ホテや他の界隈ウォッチャーのもとにも届いており、真偽はどうあれ「告発者に強い意思がある」のは間違いないようです。
 八百長は倫理的に許されるものではありませんし、刑事罰の対象です。しかしながら、私自身はそれでも競艇をやっていくつもりです。その理由がそのまま投票スタイルの解説にもなるので、少し書こうと思います。

 競艇というギャンブルでは、目の前のレースの着順を当てると払戻を受けることができます。その金額(オッズ)は参加者の票の数で決まります。簡単な構造です。
 目の前のレースを当てるために「予想」をします。選手の特徴だとか、モーターの具合だとか、風向き、そのシリーズにおける立ち位置、競艇場の出目傾向、展示情報など参考にして、未来の結果を当てようと奮闘します。そこに「A選手は勝つ気がない」などという情報は含まれないため、八百長が行われると騙された気分になるのです。
 以前M選手が「実は走る前から怪我してました」と発言した際に物議を醸したのも、公開されていない情報によってちゃんとした予想ができなかったという憤慨でしょう。八百長はその最たるものなので、大衆はここに怒ります。

 翻って元ホテは、目の前のレースの結果を当てようとしていません。というより、そこに興味がありません。だって分からないもん。それまで好調だった選手でも、スタート直前に何らかの気の迷いで数テンポ遅れただけでさようなら、レースは滅茶苦茶になります。私は今朝から謎に右肩が痛むのですが、それと同じようなことが選手に起こっている可能性だってあります。っていうかあるでしょう。毎日判を押したようにベストを尽くせる個体はホモサピエンスではありません。AI。
 じゃあそれらすべてを予想に織り込めるのかって、どだい無理な話です。そもそも、どんな要素が着順に相関するのかだって、我々には分かっていません。
 代わりに、どんな要素が大衆の投票動態に間違った影響を与えるのかを考えています。だから私にとっての競艇は、オッズが確定した時点で終了します。そこがゴールです。レースはその後に行われるおまけの遊戯に過ぎません。

 つまり、元ホテにとっての興味は「八百長があるとしたら、それが大衆の投票動態にどのような影響を与えるのか」という点のみになるのですが、答えはあまりに明快で、与えない、でしょう。だって知られていないのだから。八百長がシノギになっている誰かさんは別として、そこらへんの競艇ファンは知る由もないのだから、八百長が行われていたところで大衆が作るオッズは変わりません。
 シノギを得ている人間が悠々と勝ち抜けるような八百長レースに投票するのは、なんだか無駄金に感じられますが、どのみちそんなレースをすべて排除するのは不可能です。それに、八百長が行われていたおかげで的中することだってあるのです。考えるだけ徒労でしょう。不確定な事象は、管理費として計上するのがポリシーです。控除率が25.1%くらいになったと思っておけば事足りると(甘く?)見積もっています。

 レースの結果を予想して楽しんでいるファンにとって、八百長は憤怒の対象であり、興ざめする大きな理由でしょう。しかし私はレースの結果に興味がありません。故に、誰が八百長していたって構わない。どうぞご自由に。その結果競艇そのものがなくなっても、それはそれです。報いを受けるのは業界内部で、市場と向き合っている私には関わりないことです。責任を問うつもりがない代わりに、情の欠片も持てない対象です。
 とはいえ、八百長の仕組みとオッズの看破については、多少の学術的興味があります。特に「人気を集めそうにない選手」がリストアップされていた点は、いったいどうやって利ざやを出しているのか気になるので、そのあたりは黒猫合唱団事務局という変態に任せて、我々は今日もオッズ遊戯に勤しみましょう。
 勝つべき対象は、ボートレーサーでも胴元でもチンピラでもなく、同じように遊んでいる参加者です。



※八百長に関してたくさんのDMをいただいておりますが、元ホテから個人名をお答えすることはありません。もったいぶっているのではなく、興味がないだけです。



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