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プレイヤーズヒストリー 有江哲平 編

彼を語るのに欠かせない試合がある。2020年10月26日。フットサルの国内最高峰Fリーグ1部(以下F1)のエスポラーダ北海道戦。0対0で迎えた試合最終盤、残り46秒でロングシュートを決め、ボアルースにF1初勝利をもたらしたのこそ、有江哲平だった。「ボールが僕のところにこぼれてきて、左足で打つ時のキーパーやゴールの位置、打った後のボールの軌道も覚えてます。気持ちよかったですね」。

F1参戦以来39試合、1年5カ月にわたり勝ち星に恵まれなかったチームにあって、40試合目にしてあまりにドラマチックな決勝ゴール。選手やスタッフ全員が涙する中、その中心にいた有江本人は、少し物足りなさを感じていた。「勝った後にコートを1周するんですけど、スタンドに観客の方がいなかったので…」。コロナ禍で行われた試合。本来ならサポーターの大歓声に包まれているはずだった瞬間、響いていたのは、自分たちの雄たけびだけだった。

この日に誓った新たな目標に向かって、有江は現在もフットサル人生を歩んでいる。

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一見、色白でその細身な身体からは、有江が「守備の要」として、屈強な相手にも立ち向かい、チームを引っ張るキャプテンであると誰が想像できるだろうか。「色、白いですよね(笑)ずっと体育館で練習しているので。」

【プロフィール】
有江 哲平(ありえ てっぺい)
1998年10月10日生、長野県信濃町出身
2017年、ボアルーストップチームに加入。今季チーム最古参5年目。

長野県でも有数の豪雪地帯、信濃町出身。スキー場近くでペンションを経営する有江家の三男として生まれた。冬になれば、背丈を超える雪に囲まれ、幼い頃からスキーにも親しんだ。2人の兄の影響でサッカーも始め、他にも水泳などスポーツ三昧の日々を送っていた。しかし雪国出身の有江がサッカー一本に絞った理由はこうだ。「寒さが本当に嫌いで(笑)」。アルペンスキーでは大回転で大会にも出場し、賞状も何回かもらったが、寒さが苦手という理由で、小学校5年生の時にスキーと水泳はやめた。

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学校に行って友だちとサッカーして、昼休みもサッカー、放課後はチームの練習がある日は行って、練習がない日は兄たちと近くの荒れ果てた公園ですけど、そこでボール蹴っていました」。掛け持ちをやめ、いわゆる〝サッカー小僧〟になった有江は、地元の少年団でめきめきと実力と自信をつけ「当時はミッドフィルダーでしたけど得点も決めていたし、自分が一番上手いと思っていました。背番号10番も自分から取りに行って(笑)。親にも『俺、サッカーでやっていくから』ってずっと言ってました」。

憧れの選手はネイマールだった。サッカーをたくさん観る方ではなかったが、世界最高とも言われるネイマールのドリブルの動画だけは食い入るように何度も見返し、真似していた。信濃町中学校でも顧問の先生から渡されたのは、ブラジル代表ネイマールと同じ背番号10、エースナンバー。決して強い学校ではなかったが「中学最後の大会でそれまで勝てなかったライバルの中学に、僕の2点で勝ったんですよ。フリーキックとミドルシュート。もう『俺に任せろ』って感じで最高でしたね」。

本人曰く「オラオラ系」だった中学時代、有江は1つの出会いを果たしていた。当時の顧問の先生がボアルースの勝澤祐人選手(当時)、原山英之選手(当時)と知り合いだったこともあり、指導に来てくれるようになったのだ。この出会いが後に、有江の選手人生に大きな影響を与えることになる。

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いよいよJリーガーへの夢が膨らんでいく。J3のAC長野パルセイロの育成組織は当時、中学生のジュニアユースだけだったが、有江の高校進学と同時にユースが創設された。そのセレクションに見事合格し、ユース1期生として入団。トップチームのフィジカルコーチがユースも指導し「サッカーの面白さを初めて知りました。走らされてめちゃくちゃしんどかったですけど、ゲームの流れとか駆け引きとか、初めてサッカーっぽいことをたくさん教えてもらったんです」。1年生しかいない中、センターバックやサイドバックとしてコーチに見いだされた有江は、守備の要として活躍。県3部リーグで優勝し2部に昇格させるなど、充実した1年間を送った。しかし2年生になった時「もうサッカーを辞めたい」という大きな試練が待っていた。

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「高校サッカーは華があるのでみんな行ってしまったんです」。当時のパルセイロユースは、高校2年生以降はクラブに残るか、それぞれが通う高校サッカーに移籍するか選択できる仕組みだった。なんと有江以外全員が高校サッカーに移籍し、パルセイロに残ったのは有江1人だった。残った理由…それは、チームメイトのほとんどが長野市の強豪市立長野高校に通い一斉に移籍したが、有江だけは仲間とは違う長野工業高校だった。部活に移籍しても1人…それならばパルセイロに残るといういわば消極的な理由もあった。高校2年生になるとパルセイロにも1つ下の後輩たちが入ってきた。「ジュニアユースから3年間一緒にやってきて仲が良いですし、自分は1人だけ上で、何か入りづらくて。非常にやりづらいし、話しづらい。しかも実力的にも下の選手たちのほうがすごく上手くてレベルの差もあって」。1つ下には現在J3ガイナーレ鳥取で活躍する新井光選手もいた。「やっぱりボール取れないし速いし抜かれるし、シュートもすごいし、何も言えないぐらいのすごさでしたね」。有江は次第に練習から足が遠のいてゆく。「一番は後輩たちとコミュニケーションが取れないのが辛くて。学校終わりに練習場の最寄り駅までは行くんですけど、嫌で嫌で辛くて、何回か練習をさぼってしまいました」。そしてついに・・・。

「サッカーを辞めたい」

小学校から背番号10を背負い、プロを夢見ていたサッカー少年にとって、最大の正念場だった。それでもクラブを去らなかったのは、有江自身がサッカーの夢を諦められなかったからだ。「自分からコミュニケーションを取るようにしたら、そこから少しずつ仲良くなれて、自分の実力も上がってきて、対等に認め合いながら戦えるようになったので」。

2年生1人と1年生十数人。普通なら挫折をしてもおかしくない状況の中、有江は大好きなサッカーを続けた。そして3年生になった時、1つ下の後輩たちも全員、市立長野高校に移籍し、すぐさまインターハイ出場を果たす活躍を見せた。一方の有江は、今度は2つ下の後輩たちとの練習の日々。「仕方ない。こういうものなんだな」と言い聞かせ、唯一のユース1期生として卒団するまでやり遂げた。他の選手とは違う特別な3年間を過ごしながら浮かんできた進路は…サッカーではなく、フットサルのプロ選手だった。くしくも中学生の時に指導に来てくれていたボアルースの選手が「セレクションを受けてみないか」と連絡をくれたのがきっかけだった。

当時Fチャレンジリーグと北信越リーグに参戦していたボアルースの「トップチーム」に加入。高卒1年目としては異例の抜擢だった。とはいえサッカーに比べれば、競技や選手の知名度はまだまだ低い。有江も含めて全員が、日中はスポンサー企業でフルタイムで働き、夜に練習という毎日を過ごしている。「僕は工場で板金作業をしています。最初は大変でしたけど慣れましたね」。

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サラリーマン生活と選手の両立、さらにはサッカーからフットサルへの転向に戸惑いはなかったのだろうか?「5対5でサッカーとは人数も違いますし、1人抜いたらもうチャンスなわけです。逆に抜かれたらピンチなので、絶対に自分のところで抜かれちゃいけない。そして自分が抜いてやる!という、サッカーよりも狭いからこそ起こることがあるのは面白いですね」。

長野県は冬場に雪が降り、サッカーの練習ができないため、少年時代から冬場にフットサルの練習や大会に出場するチームが多い。有江も小学校の頃からフットサルにも親しんでいたため、それほど戸惑いはなかったという。さらにはパルセイロユースの3年間で磨いた守備力がフットサルでも活きた。「高校からディフェンダーをやっていたので守備はかなり自信をもってできるようになりました。自分でも不思議なんですけど、1対1とかそういうシーンでも力負けしなくなったんです」

加入以来主力選手として活躍を続け、F1昇格にも貢献。そしてF1では参戦から39試合も勝利から見放される時間を過ごし、昨年劇的ゴールで歴史的勝利に導いたのこそ、有江だ。その名はフットサル界にも知れ渡り、F1の強豪からプロ契約のオファーもあったが、あえて長野に残る道を選んだ。「地元長野で、長野出身選手がホーム戦を戦える誇りもありますし、今度は有観客の試合での初勝利をサポーターと一緒に味わいたい。それが夢というか、想像しているんで、絶対に勝ちたいですね」

ボアルースは今シーズンも開幕から14戦未勝利が続き、10月には監督交代もあった。苦しい状況が続く中、11月23日、1年前と同じエスポラーダ北海道を相手に3対2で競り勝ち、有江が目標としていたホーム有観客での初勝利を成し遂げた。「やっと一緒に喜びを分かち合えて嬉しかったですし最高でした!
涙も出ちゃいました笑」

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夢が1つ叶い、次に浮かんできたことは…?「やはり残留ですね。まだまだチャンスはあると思うのでここから巻き返してやろうと思いました」。11月28日のY.S.C.C.横浜にも勝ち、F1でクラブ史上初の連勝を果たし、有江も新たな目標に向かって突き進んでいる。

チーム最古参5年目の有江は23歳の若さでキャプテンを務めている。年上の選手相手に積極的にコミュニケーションを取り、仲間を鼓舞し、身体を張ったプレーでチームの一体感を高めている。高校生の時、たった1人の先輩として自分から後輩の輪に入り信頼をつかんだあの時のように。

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・勝利の瞬間に思ったことは?
やっと勝てた!っていう喜びと
サポーターへの感謝というか少しは恩返しができたかなという思いです。

・観客がいるなかスタンド一周されて浮かんできた感情は?
やっと一緒に喜びを分かち合えて嬉しかったですし最高でした!
涙も出ちゃいました笑

・夢が1つ叶い、次に浮かんできたことは?
やはり残留ですね。
まだまだチャンスはあると思うのでここから巻き返してやろうと思いました。

・あの試合でキャプテンとして、選手として出来た事、また課題は?
できたことは多くはないですが強いて言えばベンチワークの部分ですかね。
味方や自分がナイスプレーをした時鼓舞する意味も込めて吠えたりして一体感を持って戦えました。
課題に関しては得点力ですね。
点を取れる、取らせる選手にならないといけないと思いました。

ライター:武井優紀

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