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美味しゅうございました

祖母から電話があった。

私の近況に関して報告するためにかけたが、
祖母が出先で出られなかったのでその折り返しだった。

私の報告に関しては、祖父から聞いたとのこと。
それについて少し話した後、祖母から、
祖母の姉のことについて聞いた。

祖母の姉は、私にとって、また私の父にとって
「おばちゃん」と呼ぶ存在。

お上品で、言葉遣いも食べる仕草も何もかも丁寧。
優しくてあたたかい表情でよく笑う人である。

豪快で私と同じような大雑把なタイプの祖母とは
本当に姉妹なのか疑うほどの丁寧さだった。
(ごめんねばあちゃん)

おばちゃんは生まれた時からずっと、
毎年一緒にお正月のスキー旅行に行っていたし、
私が小学2年生のときには、祖母とおばちゃんと
私の3人で何泊もした京都旅行にも
行ったことがある。

自分で言うのもなんだが、
本当に可愛がってもらった。
私の父も同様で、実の母である祖母と
同じくらいの愛情を注いでもらったし、
祖母は仕事で忙しかったため、幼少の父と
過ごした時間は祖母よりもおばちゃんの方が
長いくらいだった。

私が最後に彼女と会ったのは大学1年の春休み頃、
祖母と共に、おばちゃんの入院する病院に
お見舞いに行った時。

その頃、おばちゃんは自分では風呂や
トイレをするのが難しくなり、
老人ホームに入っていた(と記憶している)が、
体調を崩して入院をしていた。

おばちゃんはもうあまり以前のことを
思い出せなくなっていた。
祖母が声をかけると、祖母のことは
妹と認識しているようだったが、
「久しぶり、◯◯です」と名乗った私のことは
多分わかっていなかった。

ただ、親戚であるというのはやはり強い
繋がりがあるもので、お互いの近況を話しながら、
昔と同じように色々聞いてくれたり、
笑いかけてくれた。

私達が帰る直前、担当医の方が来て

「今日はたくさんお客さんが
 来てくれてよかったですね」

と言うと、おばちゃんがこう言った。

「そうよ。今日は妹と、妹のところの次男坊の
 娘の◯ちゃんが来てくれたのよ。」

私は驚いて、すぐに祖母の顔を見た。
祖母は私よりも驚いて、姉である
おばちゃんの顔を見つめていた。
その後、私のほうをみて、
私達は目を見開きあった。

おばちゃんは、私との関係性をすらすらと述べ、
担当医に紹介したのだ。

私は正直、おばちゃんと話している間も
「私が誰かわかっていないんだろうな」
と思っていた。
実際、多分わかっていないと感じる場面は
多くあった。

しかし、あの瞬間、確かに、おばちゃんは
私のことを思い出していてくれたのだ。

おばちゃんに挨拶をして、病院から出て、
私達は最寄駅の近くのコメダ珈琲に入った。

「覚えてたね、おばちゃん」
「びっくりしちゃった。話してる時、
 ああもう覚えてないかなと思ったのよ。
 でもすらすら〜って言うんだもの。」

私も祖母も、昔より老いたおばちゃんの姿を
見たはずであるが、会う前よりも確かに明るく、
元気になっていた。

家に帰ってから父に報告すると、父も喜んでいた。

昔のおばちゃんとは確かに違うが、
変わらないところも勿論あった。

「いただきます」と「ごちそうさま」
「美味しゅうございました」

食事の際の箸の持ち方

おばちゃんのお上品さは、たとえ上手に
食べられなくなっても、全く変わっていなかった。


あれから数年が経った。

おばちゃんは今、自分ひとりでは何もすることが
できない状態とのこと。

祖母は「あなたが心配することではないよ」
と言いながら私に伝えてくれた。

私も、
「大丈夫だよ。今元気な私は、
 今できることを頑張るよ」
と伝えた。

おばちゃんが自分で食事をする所を見ることは、
もうできないかもしれない。

しかし、おばちゃんのお上品さは、
私や、親戚みんなの心の中にしっかりと残っている。

そして、私は今ありがたいことに元気である。
私の最近の悩みといえば、痩せたい、とか
就活怖い、面接どうしよう、などである。

これらの悩みの大半は自分で
どうにかできることなのだ。

私を気遣ってくれる祖母も、
腰や膝など色々なところが痛むと言っていたし、
好きだった旅行も
場所を選ばなければならなくなっている。


今元気なやつが、今頑張らなくてどうする。

元気なやつが、今やりたいこと、やるべきことを
やらないでいる必要などない。

ありがたいことに元気なやつである私は、
出来ること、やるべきことを必死にやっていくと
心に決めた。

まずは、私も食事の際の仕草を気をつけながら、
おばちゃんのような女性を目指そうと思う。

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