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『英文サインのデザイン 利用者に伝わりやすい英文表示とは?』(小林章・田代眞理共著)|まえがき試し読み

日本の空港、駅、行政機関などの公共施設や観光関連施設などで見かける不自然な英文表示や分かりづらいサインデザイン。先日も新国立競技場の英文表示がSNSで話題になりました。訪日外国人が3000万人を超え、オリンピック・パラリンピック開催を控えた現在、きちんと伝わる英文案内・表示(英文サイン)の整備は急務です。

そのような提案をしている書籍『英文サインのデザイン』の冒頭部分を公開します。「まえがき」では、共著者である欧文書体デザイナーの小林章さんと翻訳家の田代眞理さんがそれぞれの視点から日本の英文表示の問題点を提起しています。おかしな英文表記にしないためにも読んでおきたい一冊です。

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まえがき

0_パリのメトロの広告

違和感を取り除くこともサービスの一部
少し前の、パリのメトロの広告です。意味はちゃんと通じますし、誤字もありません。しかし、ところどころで引っかかるようなリズムの悪さを感じます。この広告のオレンジ色の部分の文章で、わざわざ「理由」「最初」という短い単語を途中で2つに分けてしまっているからで、もし普段から日本語に接している人がデザインしていたら、もっと自然なところで改行していたでしょう。

この例から分かることは、文章を「すんなり読める」ように配列するのには、それなりのテクニックが必要だということです。この広告の場合でいえば、改行の位置を1文字だけ前か後ろにするだけのことなので、「テクニック」と呼ぶにはちょっと大げさかもしれません。

最近、日本の玄関口である空港や鉄道の駅、役所や公園、商業施設など公共空間での英語の文字情報が急に増えました。そして書店の店頭には、旅行者と英語でのコミュニケーションをするための「英語でおもてなし」というようなタイトルの本が並んでいます。小学校から英語教育が本格化するという時代に合わせて、低学年向けの英語の辞典や教材なども増えています。

人は、適切なサービスを受けたときや、適切な誘導で目的地にたどり着いたときは、「注文通りのものが届いたのは情報が正確に伝達されたからだ」とか、「迷わず目的地に着くことができたのはサインが読みやすかったからだ」とわざわざ分析することはありません。よほど敏感に観察している人でない限り、それを後ろで支える人たちのことまでは考えがおよびません。逆に、注文したものが間違って提供されたとき、あるいはサインでの誘導が不十分で目的地にたどり着けなかったときは、どこで間違ったのか考えたりするものです。

文字で情報を違和感なく適切に伝えるのもサービスの一部です。「パリのメトロでおかしな日本語の広告を読んだ人」という今のあなたの立場を入れ替えて、「英語圏で育って、たった今日本に到着したばかりの人」になったと想像してみてください。文字情報の信頼感を左右するのは、第一印象、つまり「見た目」です。

この本では、英語の読み方のメカニズムや適切な言葉の選び方について解説をしていきます。そして、「おもてなし」という言葉の精神に立ち返り、日本を訪れる旅行者に不便さを感じさせないために文字でどう伝えればよいのか、内容とデザインの両面から考えます。まず内容面は、実務翻訳家の田代眞理が担当します。長年翻訳に従事しながら日本のさまざまな英文組版を見てきた経験をもとに、見た目も含めて問題点を抽出し、伝わりやすい英文の組み立て方、改善案を示していきます。そしてデザインの面は、欧文書体デザイナーとして2001年からドイツでタイプディレクターを務める小林章が担当します。英文としてふさわしい見た目にどうまとめたらよいのか、その書体を選ぶ理由や文章の見せ方について解説していきます。

書体デザイナーと実務翻訳家。普通であれば、それぞれが自分の専門分野について別々に何かを言うものです。でも、いくら中身がよくても見た目が悪ければ、また、いくら見た目がよくても中身が悪ければ、残念な結果に終わってしまいます。中身と見た目は切っても切れない関係である――このことを、本書でぜひ実感していただきたいと思います。
                              
小林 章 田代 眞理


著者紹介|小林章

2001年からドイツで暮らしており、欧文書体のデザインの仕事をしています。海外の書体デザインコンテストでの2回の優勝をきっかけに、ドイツの会社に招かれました。活字時代からの定番書体のデジタルフォント制作や、大手ブランドのロゴやそのブランド専用の欧文フォント制作もしています。

普段はABCの文字のカーブや太さについて細かいことを言っていても、空港や駅で搭乗ゲートや駅の番線が変更になる、遅延が生じるというアナウンスを聞いて正しい乗り場の番号を探そうとしているときなどは、ただの素人の目線になります。生まれたときからのバイリンガルでも何でもないので、ドイツ語でも英語でも苦労していることの方が多いですが、苦労させられる側になって感じ取れることも多いわけです。

ドイツに越してまもなく、家族と一緒にバイエルン州の観光をしているとき、ある駅のバスターミナルで困った経験をしました。その町の路線バス案内のシステムが分かりづらく、ようやく自分たちの目指す方向のバス番号を探し当てバスターミナルを見回すと、それぞれの停留所が絶望的に離れていたのです。おまけにサイン表示もすごく小さいので、目当てのバスの発車場所がすぐに見つけられない。近くにいたバス会社の職員にたどたどしいドイツ語でたずねて、指で示された方向に幼い子どもたちを連れて走り、出発直前にギリギリで間に合いました。その時にとてつもなく広く感じたバスターミナルの風景や、それと比較して小さく感じた停留所の高さ数センチメートルの文字を恨めしく見上げたことは、いまも思い出します。

住んでいるドイツだけでなく、出張でいろんな国に行くので、そのたびに何らかのトラブルや困りごとが起こります。到着地の空港で荷物受け取りの際に預け入れた荷物が出てこない、同じ旅で今度は帰りの空港に行ったら飛行機が運休になっていて、ドイツまでの乗り継ぎ便の出る空港まですぐに長距離バスで移動するようにすすめられてバス乗り場まで小走りで移動、などなど。そんな困った経験がたくさんあるので、日本を移動中にも「もし私が日本語の分からない旅行者だったら」と想像することが多いのだと思います。この本では、そうした目線で日本の中のサインを見てみます。

著者紹介|田代眞理

もうかれこれ30年ほど、英語から日本語、日本語から英語の実務翻訳をしています。翻訳をする上で大切にしていることは、その翻訳を実際に読む人、利用する人の目線に立った訳文づくりです。原文の意図やニュアンスが翻訳先の言語でも適切に伝わるように、文化的な背景も考えながら、その言語の文脈でそのまま使える文章にすることを心がけています。そのため、時には原文の内容を調整する必要もあり、クライアントと話し合いをすることもあります。

利用者目線での訳文づくりという延長線上で、自分の訳文が読者に伝わりやすく組まれているか、ということにも注目しています。これは私自身の経験がきっかけです。実務翻訳では取り扱うジャンルが幅広く、毎回新しい分野に取り組むといってもよいくらいです。そのため日本語・英語を問わず、いろいろな資料にあたってリサーチをします。納期に追われながら作業をすることも多く、必要な情報を早く見つけようとする中で、文章の「見た目」がとても重要だと感じるようになりました。読みやすく組まれたものとそうでないものとでは、頭への入っていき方がまったく違うと実感したからです。

日本では、本書でもご紹介するような日本ならではともいえる独特の英文表記も見られます。ただ私自身、これが独特であると分かったのは翻訳の勉強を始めてからのことです。ひとつ、強烈な経験として覚えていることがあります。翻訳の勉強を始めてまもなくの頃、英訳の課題文に出てきたイベント名を、固有名詞だから目立たせようと何の疑問も持たずにすべて大文字で書いたところ、ネイティブの講師からその部分に「No!」と大きく赤字を入れられたのです。このとき初めて、「文章の中では大文字表記はダメなんだ」と知りました。勉強を終え、仕事をするようになってからは、欧米人の翻訳者や編集者からいろいろなことを学びました。その中で、彼らが大文字表記はもちろんのこと、引用符についても「日本ではどうしてこういう表記が多いのか」と疑問を口にするのを耳にしてきました。

海外からの観光客が増え、英語を含めた多言語での情報発信の機会も増えてきています。外国人の読者にとって、無理なく自然に頭に入ってくるような内容・見た目にするにはどうしたらよいのか、私のこれまでの経験をもとに、少しでも皆さんのヒントになるようなことをお伝えできればと思います。


http://www.bnn.co.jp/books/10070/



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