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人間はもっと自由に、真剣に生きるといいと思う

東京は連日の猛暑ですが、こういう暑い夏のほうが冷夏よりも好きです。週末は日中の外出を避けて、夕涼みにぶらりと出かけました。ちょうど代々木公園で台湾フェスをやっていたので夜祭気分で覗いてみました。夜祭。僕の思い出のなかにある夜祭は、子供の頃に過ごした田舎の夏祭です。盆踊りや夜店を眺めながら金魚すくいやりんご飴を楽しむ。無邪気な思い出です。代々木公園の台湾フェスは盆踊りや金魚すくいはないものの、アジアの雑貨や食事を提供する夜店、コンサートもあり大盛況。懐かしい夜祭の熱気を感じるものでした。

こうやって昔のことを思い出していると、子供の頃の様々な思い出が蘇ってきました。「本当にかわいげのない子だったな」。苦笑しながら、後悔したり開き直ったり。父が一徹な考えのひとだったので、それに反抗することも多かった。もっと自由に考えてもいいのではないかと、子供ながらに抗議すると逆に叱られることが多かったものです。高校生になってもそんなことは続きました。典型なのは将来の進路に関する対立でした。父は「医者になれ」と自分の希望を押し付ける。しかし僕は医者になどなりたくない。そこで僕なりに「勉強を一切しない」という手に打って出た。学校は県下でも有名な進学校でしたが、本当に文字通り、まったく勉強しない3年間でした。テストの点が何点だろうと関係ない。同級生が受験勉強をしている時、僕は美術部の友人と絵を描いて過ごしていました。みんな僕のことをバカだ、落ちこぼれだと思っていたに違いない。それで結構。上等でした。両親とあまり言い争うこともしなくなっていたので、彼らは僕に反抗期はなかったと思っていたけれど、僕にとっては言葉や暴力を使わない無言の反抗だった。「父にしてみたら、本当にかわいげのない子供だった」。しかし人間はもっと自由に、真剣に生きるといいと思う。いまでもこの考え方は僕のベースにあります。お盆には父もこの世に帰ってきているに違いない。この文章を読んだら、父も当時のことを冷静に見つめられるのではないか。

台湾フェスでビールを飲んだ後は、そのまま渋谷でバーホッピングしました。バーホッピング。僕が洋酒会社で働いていた時に身につけた「楽しい飲み方」です。数軒のバーをはしごする。だいたい3軒から7軒。バーだけではなくレストランも居酒屋も縦横無尽にノックする。バーホッピングは元々、酒類会社の営業マンの営業活動です。しかし、まずいことに営業が形骸化して「はしごする」ことが目的になる。こんな楽しい飲み方はないですから。そこが人間らしくていいところなのです(笑)。コロナ前はよくクライアントの人たちともバーホッピングをしました。またそんな日が来るといいなと思っています。