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モノが壊れる意味を考えてみた。

ゴールデンウィーク、今年は出かける人も多かったようですね。街を見ていても人出はコロナ前に戻った印象でした。僕は家にいることが多かったのですが、あろうことか幾つかの家電が同時に壊れ「一体どうしたことだろう」と思いました。まず洗濯機。実は半年ほど前に新品に替えたばかりです。次にキッチンの換気扇。更に玄関のインターホン。これらはマンションに備え付けなので15年くらいになるか。そしてドライヤーに、スマホの充電プラグ。これだけ同時に様々なモノが壊れるというのは何か不吉な予感すらします。

聞いた話ですが、機械工学の世界に「応力ひずみ線図」というものがあるようですね。簡単に説明すると鋼などの素材や機械製品の使用頻度による破損までの耐久性を示す曲線のようです。例えばiPhoneだと600回くらい充電をする(プラグを使う)と壊れると携帯ショップで聞きました。「僕のケースもこれだろうな」と思いました。それにしても「同時に壊れる」の答えにはなりません。ビジネスでは、モノが壊れるのは決して悪い考えではなく、むしろ壊れないものばかりだったら買い替え需要が発生しないため売上は停滞してしまいます。ただこの考え方もサステイナビリティが叫ばれる現代では見直されつつあると思います。ある意味、壊れることを善とするのは「古い企業側の考え方」であり、生活者の視点では「壊れたものをどう再生するか」「できるだけ壊れない生活を志向する」のが今的だと言えます。

ただ個人的には「これまでのモノが壊れるから新しいものが生れる」とも思います。より抽象度を高めると「新しいモノや考えが入るスペースを作ってくれる」のが「壊れる」ということでしょうか。モノだけでなく社会制度や経済の仕組みも同じように思います。歴史を振り返っても、社会が前進していくプロセスには「それまでのものが壊れる」が含まれている。現代でも、それがこの数年続いている状態なのだろうと思いす。そして上記の疑問、「同時に壊れる」というのは「変化が一気に進む」ということでしょう。そうやって眺めてみると、この数日に起きた同時にモノが壊れる現象は不吉な予感どころか、僕にとって「良い兆候」となります。この2年ほどコロナ禍でかなり耐えてきたから、壊れてよかった。素晴らしい。