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フルスイングの衝撃-BanG Dream! It's MyGO!!!!!【なお期限には間に合わんかった模様】

29歳の夏ということで、色々予定を立てていたはずだったが、そんなもん全部吹き飛ぶ出来事が最近あった。

このアニメを観てしまったからである。

▲アニメ「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」公式サイト▲

よくわかんないけど、交差点で女の子たちがてんでバラバラの方に体を向けて、しかも

誰も笑ってない

別に、このメインビジュアルを観て視聴しはじめたわけではないが
製作陣が「楽しいだけのアニメ」をつくるつもりじゃなかったんだな、
と今では納得してしまう。

では、楽しいだけではないこのアニメになぜハマったのか。

ストーリー(冒頭)

やはり最初に挙げるべきは、1話冒頭からとあるバンドが解散へと向かうシーンを映し出す大胆なストーリではないだろうか。

見事に全員が別の方向を見ている

どちらかというと、筆者は王道のものより変わった作品が好きなのでここで一気に関心が高まった。

「冒頭で嫌な(多数派はそう思うだろう)シーン映してまで伝えたいことは一体!?」

↑てな感じで

しかもこのシーンが終わったと思ったら、ミーハーっぽいピンク髪の娘が
「クラスに早く馴染みたい」
とかいう理由(?)でバンド結成目論んで、クラスにいた石ころ拾いが趣味のクラスメイトを誘うも、うだうだ言って断られ追いかけると
突然アルバイターに絡まれるという…

「バンドアニメか?これ」

と思われても仕方ないような場面の連続で1話は幕を閉じる。

バイト中に何をやっているんだ…

筆者はテレビを持っておらず、サブスクの配信サービスで観ていたので
「初回3話一挙放送」に関わらず1話ずつ観ていたのだが、第1話を視聴後すぐに継続視聴を決定した。

筆者はギャンブルをよく嗜んでいたからである。このアニメは当たるとデカい。
そう確信したのだ。

…まあ、冗談はさておき、
・石ころの娘(燈ちゃん)がなんでそんなに引っ込み事案になったのか
・なんで愛音ちゃんが5月に転入するという脚本になったのか、無難に入学式で燈ちゃんに出会わせたらええやん
・なんだあのアルバイターは!?(筆者は気の強い女性がお好き)

上記のような疑問、視聴したいと思わせるものをちゃんと散りばめて、練ってつくられたアニメなので「当たる」のではないかという冷静な考えも一応あった。

加えて、実は筆者がおドラムを若い頃に嗜んでいて
「そろそろバンドアニメの一つでも観るべ、他の人より理解しやすいやろ」
と思ったのもある。

筆者の若き日の思い出

元演奏者としては、第7話のライブ本番で愛音ちゃんが出だしをミスるシーンは冷や汗かいたものである。

疲れが溜まってるのか、間違えてムーミンのアニメ観ちゃったよ

だが、何より立希がドラム担当というのがなんとなく嬉しかったのが一番ではないかと思う。

筆者は気の強い女性がお好き(2度目)


よりどりみどりの社会不適合者たち…だが嫌いになれない(だいたい第9話まで)

そしてこの作品には、我々の身近にいる、もしくは我々自身と似た問題を抱えた登場人物が多く(むしろ全員か?)登場する。

優秀な姉にコンプレックスを抱き、そんな自分を隠すためか人当たりが強い椎名立希(ドラム)


以前組んでいたバンドが解散してしまい、より引っ込み思案となった高松燈(ボーカル)
趣味:石ころ拾い


自身が目立つことには関心を向けるが、一つのことをひたむきに努力するのは苦手な千早愛音(ギター)


CRYCHIC復活のため暗躍するも失敗した長崎そよ(ベース)


気まぐれすぎて当初練習にろくに参加しなかった、ギターの天才野良猫

おそらく本稿を読まれる皆さんにとっては、
登場人物(リアルな造形なのでこの娘たちに「キャラクター」という単語は筆者には不適切に思える)についての詳細な説明は不要だろう。

それよりも、こんな欠陥ばかりなのに放送終了後に、誰一人嫌われるような結果にならなかったことを注目すべきように思える(筆者が観測した範囲内で)。

例えば長崎そよは、愛音ちゃんや楽奈ちゃんを利用した挙句、CRYCHIC復活断念すると「あの二人はいらないよね」と言い放つ。無視もする。
だがそんなことをした理由は第9話冒頭で、彼女の生い立ちをあまり説明的にならないよう描写することで我々に伝わるのである。
100%理解できる、とは言い切れないながらでも。

全体的に言えば、MyGO!!!!!メンバーは皆それぞれに「そうなった」理由が示されていると言える。
わかりやすい悪人がいない、というか。

もちろんただの「いい娘」もいないんですけどね。

そして実は、筆者が最も気に入っているのはこの点である。

アニメとかライトノベルに触れる際、高校生とか中学生でやたら有能なキャラクターや欠点ありますか?と言いたくなるようなやつが出てくることがあって、そんな作品ばかりだと

「じゃあワイとか周囲の人間が10代のとき悩んでたのはなんやったんや」

と言いたくなるタイプなもので、登場人物の欠点をちゃんと描くシーンには目を奪われた。

そのようなシーンでのお気に入りはここだ。

第9話終盤、バンドが崩壊しかけていることを憂う燈のため、八方手を尽くすも空中分解を止められず、自身が最も見たくなかった燈の涙をドラムセット越しに見つめる立希

正確にいうと、立希の欠点というかヤバいところが出るのはこのシーンの少し前で、それらが「結実」したのが本シーンである。

具体的には

  • 無断でそよの代わりのベーシスト(海鈴)を連れてきて、そのせいで燈が歌えなくなる。

  • ↑この事実を認識した後も、他に方法が思いつかないためか演奏を止めようとしない

  • 無断でベーシストを連れてきたのは、愛音ちゃんから「自分はただ、そよに利用されていた」という事実を隠すためだったが、結局それを白状し愛音ちゃんつなぎ止めに失敗

  • 動揺したのか、燈ちゃんに「どっち!?」とよくわからない二者択一を迫ってしまう。

  • せっかく来てくれた海鈴に気を遣わせて、結果的に帰らせてしまう

…このようなことをやらかしてしまう。

これだけ見ると、とんでもないやつだと思うのが正常な反応だと思う。
だがちょっと待ってほしい。

これ、アニメだぜ

しかもロボットアニメとかじゃない、我々とそこまで変わらない日常を舞台にした作品である。

よくこんな、視聴者にストレスを与えかねない作品づくりに踏み切ったな…
まるでフルスイングだ、置きに行ってない。
すごい心意気だ

と筆者はこのシーンを観て嬉しくなってしまった。
この作品は他とは違う、という第1話で寄せた期待が外れなかったのも理由の一つだろう。

とはいえ、わかりやすい悪役がいないのが本作の特徴であるから、立希にもちゃんとやらかした理由は視聴者に伝わるようになっていて、

とにかく不器用なのが伝わってくる。

例えば、作中で彼女はほとんどバンドに関することしか話していない。
頭の中がそればかりだ。
だから第9話で、睦にメッセージアプリでそよの住所を訊くときも

「そよの家、教えて」

と、久しぶりに連絡するのに用件のみ。挨拶まで気が回っていないのだ
(筆者も似たようなところがあるから共感ができた)。

平日の学校終わりの時間に私服なのは作曲に没頭するあまり、学校をサボったからである

初作曲に挑戦した場面では、躊躇いなく学校をサボるという、複数のことを同時にこなせない、こなそうともしない彼女の人格が伝わってくる。

だからこそ9話でのやらかしにつながる、と筆者は納得した。

このような丁寧なつくりが、そこまで嫌われる登場人物をつくらなかった要因として大きいし、
やらかしたことがない人間はおそらくいないので、彼女たちの四苦八苦に共感を寄せる人が多いのではないだろうか。

そもそも本作は

やり直しの話

である。

フィクションだからこそ、初めて組んだバンドでかけがえのない仲間と武道館!!
という話もいいが、

バンドが解散したり、留学失敗したり、祖母のライブハウスなくなって野良猫になっちゃったりしても、それでも…!

という本作は、かつてやらかしたことがあるだろう私たちに必要な作品になるんではなかろうか。

リアルな噛み合わない会話や、ガチでバンドやりたい立希が、そこまでやる気はない愛音を詰めるところも身近に思えた。
はっきり目的を決めずに集まっては、当然ぶつかり合うのは10代の通過儀礼みたいなものだから…

だから、29歳の筆者が、
赤の他人である中高生がバンド結成、もしかしたら解散するかもという話を最後まで目を離せなかったのだと今ならわかる。

あとは立希坊のかわいさかな…


わかりやすさ

先ほど「共感」というワードを出したのは、本作には「わかりやすさ」があったからこそ共感を得られたと筆者が推察しているからである。

まず、画(え)1枚で説明するのがうまい!!

第9話冒頭の中学に上がる前の長崎そよ。広い部屋に一人という構図、寒色系の色合いで「満たされなさ」が伝わってくる

またまた第9話の話にはなってしまうが、長崎そよの生い立ちが語られるシーンの1カットである。
説明口調のナレーションや台詞がなく、「スマート」に我々に情報を伝える本作の象徴ともいえるシーンだ。

筆者は野暮ったくない作品が大好きでね…

また、「伏線回収」シーンというか、愛音ちゃんが長崎そよの真意に気付いた場面で、
愛音ちゃんの回想という形で、長崎そよの違和感ある行動をあらためて視聴者に見せていたのも親切設計だと言えるだろう。

利用されていたことに気づき、唖然

ここら辺は、現在X(ありし日のTwitter)で多くの外国の方がMyGO!!!!!について言及してもらえる結果を生み出してくれたように思われる。

「こんなネチネチした話が海外でも人気やと!?」
と筆者は思っていたが、

スマートに、わかりやすくというのは世界でも通用するようだというのがわかった。

スケールの大きさ≒身近さ

というか、わかりやすさや
人間というもののリアルさを深掘ることで、突飛な設定もなしに

スケールが大きい作品が生まれたのは…嬉しい
(筆者自身も気持ちの整理がついていない)

もちろん、圧巻のライブシーンも評判上がった原因でしょうけどね

ストーリー(後半戦)

ライブシーンといえば…第10話だ!!!

と筆者は考えている。

理由としては、第3話(CRYCHICの『春日影』)のライブはどうしても過去の話なので

「このあとこのバンド解散すんねんな…」

と思えてしまい(第3話はずっと少し悲しみながら視聴してました)、
この後一体どうなる!?、というような「ライブ感」はなかった
(映像、音楽などはよかったです)。

第7話のライブシーンはそもそも、ライブ中に祥子さんと睦が映りまくりな上、彼女たちが関わることで演奏中もストーリーが動くものとなっている。

それに伴いステージ上のメンバーにのみ集中できないつくりとなっていて、変則的ライブシーンとなっている。

対して第10話では徹底的にステージ上の、本作のメインバンドたる5人がフォーカスされ、メンバーに向けた「詩」が鳴る。

噛み合わない会話、違う方向を向いていた5人…これを9話近くかけて丹念に描いてから、
彼女たちがバラバラであっても、何とか、無理やりメンバーをステージに引っ張り上げてまでもまとまってバンドをやる姿が描かれる。

それこそが我々がずっと観たかったもので、だから筆者はここが最大のカタルシスポイントだと思わざるを得ない。

このシーンで、本作がバンドアニメである、音楽を題材とする意味を理解できた方も多いのではないだろうか。

筆者にとって音楽と、それによりもたらされるカタルシスについて思い出される作品に、
映画『セッション』がある。

先述した通り筆者はドラム経験者だからか、ジャズドラマーを目指す音楽大学生が主人公であるこの映画はお気に入りだ。
主人公は、スキンヘッドの音楽教師(講師?)にパワハラじみた指導を受けるわ、ここでは書けない差別用語を投げられるわ、とんだ目にばかり遭う。

しかし、ラストシーンで
スキンヘッドが指揮を務めるビッグバンドに参加した主人公が突如、ライドシンバルをブッ叩き、予定にない曲をはじめて…

二人は、ステージ上で初めて向き合う。

予定にない曲を勝手に演奏するとドラマが始まる法則、あると思います。

というストーリなのだが
両作品とも、丁寧丁寧丁寧にフラストレーションを溜めに溜めて一気に爆発させるのは共通しているのではないだろうか。

そして、ライブシーンを観終わった後のなんとも言えない感情も…
(映画『セッション』未視聴の方はぜひご覧いただきたい)

ただ、『セッション』は主人公である青年一人を描写するのに対し
本作はクセの強い5人それぞれを描いている。

そんな5人が、音楽の力で集まり
別々の理由で感情を剥き出すが、なんとか一つの方向に向かえるようになったこと

↑ここが、『セッション』とは違った、名ライブシーンたる所以であると思う。

まあ、孤独なドラマーが一人で、フルスイングでかき鳴らすライブシーンもそれはそれでいいんですけどね…


一方、本作のドラマーである立希は
第11話以降孤独どころか、物語上ではハッピーエンドに向かっていたように思われた。

愛音ちゃんの努力を不器用ながらも認めたり、

このシーン好きじゃない人おる?

そよりんにぶっきらぼうな言い方ながらも、「私も最悪」と歩み寄り、
野良猫の枕となる。

立希のネックレスが「お母さん感」出しててまるで親子

もう少しで
高校1年生にして2度も所属バンドが空中分解
(ただ、参加したライブは全て成功させている)

の憂き目に遭いそうになり、ヤバい!!!と思ったのか、
第10話で燈ちゃんの歌/詩に動かされるものがあったのか、

10代の少女達を主人公とした本作らしく、一定の成長を見せてくれた。

祥子さんや姉のようなリーダーシップ、
楽奈や燈ちゃんのような天才さ、
愛音ちゃんやそよりんのような立ち回りのうまさ/社交性

はない彼女ではあるが、確かに居場所は見つけられたのではないだろうか。

彼女以外のMyGO!!!!!メンバーについても、また同じことが言えるはずである。

そう思える本作の後半であった。

不憫なときほど彼女は輝く



しかし、本作のとんでもないところはまだあって、

MyGO!!!!!の音楽によっては救われなかった人々も描かれるのである。

音楽には力がある。だが、それが全員に伝わるとは限らない。どこまでも現実的なアニメ


続編では報われてほしい

第10話では音楽の力が描かれ、ライブ会場は確かに感動に包まれたが
現実には、あの演奏を聴いても響かない人はいる。

そもそもそういう人は会場に来ないかもしれないし、途中で帰ってしまうことも考えられる。

筆者自身、Yellow Magic Orchestraやサウンドトラック(作曲:川井憲次氏)が好みだからか、MyGO!!!!!の曲はアニメ放送前には知らなかった。

好みのジャンルではなかったから、触れる機会もなく触れたいとすら思わなかったからである。

幸い筆者は機会を得て好きになれたが、そうでない人も現実にはいるわけで…

本作開始直後から提示されていた疑問、

なぜ祥子さんはCRYCHICを抜けたのか

これに絡めてMyGO!!!!!に救われなかった者たちを描くとわかった第13話は
どこまでも現実と向き合う製作陣の覚悟、誠実さが見られたのではないだろうか。

最後まで置きに行っていない…フルスイングだ

そう思えたのがただ嬉しかった。






あと、最後に言わせてください



コンテストの期限、切れてる~~~~~!!!

執筆したのは9/29


…失礼しました。

以上、ありがとうございます。

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