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実務経験数カ月の男が教える炎上プロジェクトの実態(生存報告)

November, my whole world was cold and grey
Do you remember, how you turned the clock to May
From that day, you took my heart and pulled the strings
I’m suspended in time and space and wandering

Yellow Magic Orchestra-『サーヴィス』収録、SHADOWS ON THE GROUNDより一部抜粋



記録的な暑さと、2年に一度くらいの体調不良の中、
8月末に新宿へ引っ越した甲斐あって会社までは歩いて6分ほどである。

会社の始業は10:00なので8:00まで寝られるはずが
7:00に天井を見つめている。

私の職場の始業は10:00ではないし、歩いて6分ではないからである。

客先常駐エンジニアは在籍している会社にはあまり行かない。
私の"職場"はここから30分かかるのである。


昨今悪名高いSESエンジニアというものは、プロジェクト(PJ)によってその職場を変える。
大体はPJを仕切っている企業のオジサン、オバハンに面談という形で選別されPJに参画が許されるというわけだ。

慣れ親しんだ職場を離れるのが嫌な者もいるだろうが、我々開発エンジニアは必要なときには必要であるが、納品物(開発するソフトウェアなど)が完成すれば不要となるので、

あるPJで開発エンジニアが必要なときはそこに行き、そこでの開発が終わればまた別の働き口を探すというわけである。


とはいえ、平日の朝なので考えごとばかりしているわけにもいかない。

地下鉄丸の内線で新宿に行き、乗り継いで神奈川県の職場までは30分ほどかかる。
いつも8:00くらいに喫煙可の喫茶店で、モーニングと無糖のアイスコーヒーとニコチンを摂取する。

平日の朝はいい。
やることがそれなりにあるし、適度に急がなければならない。

だからろくでもないことを考える時間もないというわけだ。


私が"参画"しているPJは、どっかの官公庁が国民を管理するためにまたどっかの大企業に頼んだソフトウェアを作るというもので、

検索条件をプルダウンリストやテキストボックスで入力すれば、該当の者をDBから取ってきて表示したり、その者についての情報を編集できるということになっている。
(これ以上は言えない)

まあ、完成すればの話ではあるが

というのも、先ほど述べた機能を25パターンほど作るのであるが、一つ23分で作るという作業見積もりがされていたのである。

私がここで言っている機能一つには


DBから適切な値を取るSQL文、
それを操作し、条件ごとに画面側に送り出すJavaのコード、
画面での適切な動作を担保するJavaScriptソース

が必要である。

つまり破綻しているのだ。このPJは

当然の帰結として、9月半ばから参画した私を待っていたのは
歯止めのない仕事量であった。

わかりやすく言えば
2ヶ月分の仕事を5日でやれ、という指示が容赦なく飛んだ。

そして、設計工程においても無茶なスケジューリングは遺憾無く発揮されており
その日本語は私の知っているようなものからは変質していた。

そんな有様なので、当然プログラマーの力量、経験によって出来上がるコードの出来は凹凸が激しい。
不完全な設計書から類推ができるかという能力を我々に問うならば、という留保付きではあるが。
いや。そもそも設計書が合っているかの保証もない。

その点では、品質は安定していると言えるのだろうか。

...当然、コーディングが予定通りに終わることもなく、かと言ってテスト工程をやらなければPJの上層部が大目玉を喰らうので、出来上がっているところから
コードが正常に動くかのテストを行うことになり、今に至るということだ。

こんな風に訳知り顔で語っている私ではあるが、9月末(2ヶ月分の仕事を5日でやれと言われていたとき)の記憶は正直、ない。

確か、電車が職場に近づくにつれ心臓が痛くなってたよな...と、それだけが思い出される。
業務用PCでExcelファイルを探し出し、開いた直後に何のために開いたかわからないという"症状"が頻発していたときは乾いた笑いが出たことも思い出した。

元々ワーキングメモリは少なかったが、現在自分が何の作業をしていて、そのために何が必要かをスケッチブックに書く習慣までついてしまった。

あの9月末を超えてチームリーダーは精神をやられリーダーを下ろされ、後ろの席の潰瘍性大腸炎持ちの同僚が5日間入院し、私は心療内科で診断書が出た。寝ようとするとダメだった。暇ができると仕事のことが頭を離れなくなった。しかし職場に行くのを止められない。そうこうしていると祖父が亡くなった。世界についていけなくなった。

振り返られるだけ、まだマシなのかもしれない。


今日も仕事がある。

テスト工程を行うための環境構築を20人ほどがしていて、私がなぜか早くできてしまったので、うまくいっていない同僚からの問い合わせに応えなければならない。かつ自分の仕事もこなしたい。仕事ができない自分など受け入れられない。

そう電車の中で思うと、東京都と神奈川県を分かつ名も知らない大きな川が目に入った。

河原の草木に故郷を思い出す。

私と彼らに春は来るはずである。
なぜかそう思えた。


何かに使いますよ ナニかに