『悲しくなるときってあるの?』

昨日の夜、相方さんから『兄ちゃんは、悲しくなるときってあるの?』と、スマホ動作が重たいためなのか、相手の送信の数時間後にLINEを受け取って、少し返事をしたけれど、返ってこない。

相方さんは数日前に10年来の親友が亡くなったと報告を受け、そのときから心痛な言葉が返ってきていた。昨日はそっとしておいてほしいとあったのちに時間を開けてLINEで返ってきたのがその言葉だった。

自分に『悲しくなるとき』が無いことは、ない。

ただ、自分は悲しみとともに生きているという毎日で、言葉にしても難しいのだ。自分は表立って『悲しい』という気持ちを言葉では言えても仕草ではできない。むしろ動作で悲しみをあらわせと言われても、何をしても人によっては無意味なものや違う意味とでしか受け取ってもらえないんじゃないのかと思ってしまう。それくらい難しい。

怒りは言葉でも行動でもあらわすことはできるけれど、悲しみのときの行動って憔悴しきったとか涙が出なくなるくらい泣き疲れたとか絶望と言えば大げさだがそのときの衝撃で無表情・無感情になるような感じなのだろうか。

自分は人を亡くしたという出来事での悲しみがあるかと考えたら、生まれて数ヶ月で祖父を事故で亡くしたおぼろげな記憶があるのと、祖母は2011年の震災から2ヶ月後に病気で亡くしていることだろうか。事情で葬儀も告別式にも立ち会えなかったが、母から一報を聞いたときにはおばあちゃん子でもある分、精神的に参ってしまった。

人を亡くす出来事は歳を重ねていくたびに多く出会うのだろう。相方さんとは違い、自分には殆ど友人と呼べる人が少ないけれど、お世話になっている人のほうが多く、これからは相方さんも含めて、その比重が大きくなるのだろう。

ただ、本当に悲しいときは言葉にはできてもほんの僅かだ。

もちろん自分は人の悲しみに無表情でいられるほど薄情ではない。だが悲しいんだと伝えようにも言葉が見つからなくてくるくる回ってしまう。言葉は意味を持つけれど、ときおり無機質になるから、人と相対して話を聞いてその人の悲しみに向き合っていくことでしか、自分はできないのかもしれない。

人は悲しいこと・悲しかったこととともに生きて、ときどきそれらを言葉にして伝えていくんだと思う。人それぞれにそれらはある。だから自分が『悲しくなるときってあるの?』と聞かれて返答に困っても、今の記憶としてあるから、ともに生きている分、忘れてはいない。そこに悲しみの感情がある以上。

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1976.11.05/さそり座/ゲイのおっさん
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