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祈りによる経済成長〜生きやすさへ踏み込む〜

私達は何かにつけ
“非効率的”、“非合理的”
というレッテルを貼って満悦に浸る傾向があるかもしれません。不思議なことを見たり聞いたりすると、直ぐに遮断しようとしますが、これは私達の自我を守る自然な機能だと言えます。

一方私達は同時に、
効率的を目指して非効率的になる
自由を目指して不自由になる
金融・経済の勉強をして文無しになる

そういうあべこべな側面を持っているような気がしませんか?割とよく聞くのは貯蓄から投資にという局面で、投資の勉強をした結果大きく減らすということ。気づかぬうちに欲に目が眩むようになるんです。自分は大丈夫という妄想に取り憑かれて、おかしなことをやらかします。これは私にも経験があって、過去に大きな心の傷を負いました。生きていることが苦痛のような時期でした。しかし今ではそのことを、かけがえのない大きな財産だと思っています。

実際は破産とまではなかなか行きませんが、私達は多かれ少なかれ、そういうジレンマを抱えています。そのことが生きやすさを後退させ、生きやすさの背景となる経済的成長をも阻害しています。

祈りとは何か?何の役に立つのでしょうか。
祈りもまた、非科学的で裏付けのできない行為のように思われます。

しかし、誰しも願いは持っているわけで、私達がそれぞれに願いを抱くのは自然なことです。ああしたい、こうしたい、と何かを思い描くとき、願うと祈るは重なっていきます。

その願いをより明確に、加重していくときに“祈り”になるのだと私は思います。
例えば、

・先月の支出を下回りたい
・支出は支出しただけの効果を得たい
・先月の収入を上回りたい
・仕事に新しいタスクが加わっても、今までのタスクがおざなりにならないようにしたい
・経済的チャンスを見逃さずアクションしたい
・体調を整えて記憶力、集中力を発揮したい
・睡眠は睡眠しただけの効果を得たい
→例えば5時間睡眠で3時間分しか眠れていなければ、大変な損失です。5時間眠ったから5時間分の睡眠効果が得られるとは限らない。
・余計な一言を言わずに居たい
→失言の経済的損失を知るということ。
リカバリに手間暇がかかり、妙な気を遣うことは大きな損失となる。

と、何度も願う過程で、自分の行動がそれに沿って行くことになるのです。想像、シミュレーションも祈りの一部だと言えるでしょう。結果的に物事の道理を見極める力が向上するとともに、生きやすさが実現していくことになるのだと思います。

そのようなわけで、祈りは経済成長を後押ししてくれるのです。

よい祈りを!

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