映画「聲の形」を見て

 今日9月2日(日)、NHKで再放送されていることをたまたま知ったので見てみました。

 まずは感想を
 「終始心が痛かった」です。出てくるキャラ全員が全員なにかしら苦痛を持っていてそれを客観視することは簡単なのかもしれないけれど、その苦痛は僕自身が持っているものとひどく似ていて辛かった。
 いじめられている子、嫌いな人を直接いじめる人、可哀そうとは思うけど何もできない人、いじめっ子の仲間だけど直接いじめることはなく自分は何も悪くないと思っている人、いじめっ子が怖くて何もできない人、何も関係がない部外者、どの人も僕が今まで生きてきた中で経験したことがあることばかりで、当時嫌いだった人や喧嘩別れしてしまった友達の顔が浮かんできてしまいました。

 僕は酷い人間です。この「酷い」というのは自分の中にある物差しで測ったものではあるのですが酷い人間です。自分のグループに嫌いな人がいれば同士を集めて無視するし、直接的にひどいことを言ったこともあります。それしかできませんでした。もし今の僕が当時の僕になったとしてもきっと同じことをするでしょう。

 この苦痛を忘れることは多分簡単です。でも僕みたいなめんどくさい人間はそう簡単には忘れることはできないでしょう。だからこそ忘れるのではなく和らげる必要があります。その解答は出ています。でも怖いです。その答えが正解かどうかもわからないですし。
 というわけで別解を考えました。それはこの痛みをもっと苦しくなるまで感じることです。まあ要は「逃げ」です。今出ている解答が実行できないということはまだそのときではないということだと思います。思いたいです。
 さてこの苦しくなる方法ですが原作を読んでみようと思います。どうやらネットで調べたら原作はもっとドロドロしているみたいなので僕はもっと苦しくなってみると思います。

 僕は苦痛が好きみたいです。おしまい。
 

 

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