君はもう自由だ サヨナラさ
感傷ベクトルが活動を終えることを発表してからもう一週間が経ちました。今の自分は何を考えているのか一度吐き出しておきたいと思います。
まずは発表を聞いてまず思ったのが、「ああ、やっぱりな」です。前にもnoteで上げたのですが終わる気はしていました。でもこの発表があるまで感傷ベクトルが終わりそうなことを忘れていました。
このときにはもう涙があふれていました。無意識でした。(余談ですが僕はそう簡単には泣くことができないです。本当にここ最近泣くことができるようになりました。今年は3回泣きました。これで四回目です。)
そしてこれは後日談的なものですが、僕のこの予想が当たってうれしかったです。何を言っているんだとは思いますが、二年前「青春の始末」が発売されたときは感傷ベクトルが終わろうとしていることに全く気付きませんでした。当時終わろうとしていることを初めて知ったときは自分の無知さに腹が立ちました。だからこそこの二年間感傷ベクトルを知る努力に励み、今ここに成果が出たことがわかり嬉しかったです。
発表のあと流れてきた「その果て」。こんなの卑怯でしょ。今までの感傷ベクトルの思い出が一気にあふれ出てきました。
感傷ベクトルを知ることになった「チルドレンレコード」を初めて聞いたとき、初めて感傷ベクトルのライブに行ったとき、神様のコンパスが自分の曲だと錯覚した時などなど…。ああこんなことあるんだなと思いました。また涙が。
「心配ないさなんて言えないけど僕ら明日にまだ繋がっていて」
囁一さんがサビを歌っているときに「この人は前を向いて歩いているんだ」と思いました。そして楽しそうだなとも思いました。
囁一さんはライブではいつも「誰か」の為に歌っているように見えました。でもこのときは囁一さんが囁一さん自身の為に歌っているように見えました。
そして次曲「僕の嘘とエンドロール」。正直ちゃんと聞けてなかったです。でもこのフレーズだけは覚えています。
「君はもう自由だ サヨナラさ」
これだけ上げるとわかりずらいので後ろのところも載せます。
「始まりの部屋で僕らは互いに向かい合った
『おかえり』語りだす
『君はもう自由だ サヨナラさ』」
です。
僕は好きなものが好きすぎるゆえにそれに縛られることがよくあります。まあ好きだからこそそれを糧に自分が生き生きとできるので悪くはないとは思っていますが。感傷ベクトルも例外ではありません。
何が言いたいかといいますと僕はたまに「感傷ベクトルを好きでないといけない」と思ってしまう時があるんですよね。ほんとたまーにですけど。最近でいうと「境界線上にて」が発表されたときかな。発表当時は正直よくわからない曲でして、あ、これやばいな早く理解らないといけないと思ってしまいました。これがそのときです。
また感傷ベクトルが好きになってからはほかのアーティストは感傷ベクトルと天秤にかけて評価するようになってしまっています。よくない。
別に誰から強制されたわけではないですが感傷ベクトルを一番としないといけないという謎の使命感に襲われていました。でももういいのかもしれない。自由になってもいいのかもしれないです。これからはいろんな音楽に手を出してみよう。そう思いました。
多分この時から涙が引っ込んだのかな。僕も前を向こうと思ったからかな。
ライブがあったときの心情はこんな感じです。ここまでは忘れないうちに書き残しておきたかった。
そして今なのですが、正直よくわかんないです。もっとずるずる引きずるもんだと思ってました。多分まだ僕の中で終わったという実感がないからです。まあそのときは思いっきり暗くなってやるからな。今、朝の5時でもう眠たいのでこれからのことはまた今度。近々あげれたらいいなあ。
朝陽に塗れておやすみなさい。
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