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手段を目的にして勝手に苦しくなってた

今週はなんだか「手段が目的になる」と言う事について考えながら過ごしています。

昨日書いた通り、終わってしまったプロジェクトで上司が最後に伝えたかったこともそれでした。

でも、その前から今週は「手段が目的になる」と言う事が頭に浮かんでくるし、よく言葉そのものに出逢うのです。

私はずーっと部屋の片づけをしていますが、ずーっと「部屋の片づけ」をしているんです。

はい、これ手段が目的になってます。

「部屋の片づけをして何がしたいのか?」と言うのが目的で、私の場合は「リラックスがしたい」となります。

人が生活をしていれば(特に片付けが苦手な3人が暮らしていれば)、毎日部屋がゴミ箱みたいになります。

それを毎日毎日片づけをしていて終わりがありません。

目指すはミニマリストのようなモノのない部屋なのですが、毎日が常にマイナスからのスタートで、リセットされた状態に持っていける日が少ないという状況です。

じゃぁ、この部屋でリラックスできていないのかと考えると、普通に出来ているんですよね。

ご飯を食べ終わって、ソファにおいてある子供達のカバンを端に寄せて、本来なら広々座れるはずなのにギュっとくっついて、折り重なるように各々の態勢でテレビを観る時間なんて至福の時としか言いようがありません。

だから適度に片付けることは当たり前の事として、そこに「ミニマリストのようなモノのない部屋にならないと!」と強迫観念を感じながらやる必要は全然ないと言う事に気が付きました。

ミニマリストのように片付けられない私が「ダメ人間」なわけでもないんです。

「リラックスする」が目的なのであれば、よりリラックスできるようにお香を焚くとか、ソファでみんなでくるまれるブランケットを買うとかでも良いわけです。

手段を目的化して自分が苦しくなっている事って他にも沢山ある気がするなぁ。

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