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さびしい

私は人が「さびしい」と認識する状態がさびしい状態だと気づけずに
長い間過ごしてきてしまった。


ひとり=さびしいになることはなく
人といる時こそ言葉にできない複雑な感情が芽生えてきて
怒りや批判や軽蔑になってひとりの方がいいと思い込んでいた。
その場にいる人となんらかのコミュニケーションをとりたいのに
とることが出来ず
自分からどう働きかければいいのかわからないまま、
誰からも声をかけられずただ時間だけが過ぎていき、
自分もその場にいる人も全部バカでくだらないと思うことで
自分の正しさを保ちなんとか生きてきてしまった。
本当はただ「さびしかった」んだと気付いたのはごく最近のことで
そんなことに気づけなかった自分がものすごくバカだなと思った。
あぁそうか私ってすごくさびしかったんだ。
何度か思ったことはあった。でも認めてなかった。
さびしがりやだからひとりでいるんだ。そう思ったことも何回かあった。
誰も私の気持ちなんてわかるはずがない。
そりゃそうだよね、その気持ちを表現できず沈黙を貫いているんだから。
沈黙したいわけじゃないのが問題で、
この気持ちが「さびしい」で表せることに気づけなかった。
そしていまさら「さびしい」と口に出すことが難しくなっている自分を
自分でももてあましている。
「さびしい」と口にすることができたとしてそれで?
誰かに何かして欲しいの?誰かって誰?
このさびしいという気持ちを理解して共有してくれる誰かっているの?
誰にもわかってもらえないのにひとりで「さびしい」とつぶやくことに意味はあるの?

さびしいと言ったらセックスしようとする男がこの世にいる限り
表立ってさびしいとはなかなか言えない。
そういうことじゃないんだ。さびしい=セックスなわけじゃない。
まあそういう時もあるから余計面倒なんだけど。

さびしさに気づけたらただそれを認めて回復するように
そっと自分を見守るのがいいのかな。
今ここに寂しくて仕方がない自分がいて、
それを知っているのが世界でただひとり自分だけ
という状況がさらにさびしさを増長させて
世の中が憎くなって犯罪者になってしまう気がする。

さびしさに敏感な人がたくさんいると
人に優しく社会に優しく生きやすくなるのかもしれない。
さびしさに鈍感な人が増えて今の日本になっちゃったのかな。
もっと自分の今の感情は状態はどういうことなのか自問自答して
「さびしい」って気づけて
「さびしいよ!!!」と声にだして
通りすがりにでも軽くハグしあえる世界になって欲しい。

赤ちゃんや動物が無条件にかわいがられたり
大切にされているのを不快に思う人はさびしい人だ。
弱いものに優しくできない時、きっと自分はさびしいんだ。
そう気付いて
自分のさみしさを怒りや憎しみに変換せず
優しさに変えられたらいろんなことがうまくいくような気がする。

ひとにやさしくされた時
自分の小ささを知りました
あなた疑う心恥じて
信じましょう心から

あなたに/MONGOL800


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